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正式には「大聖歓喜天」といいます。秘仏中の秘仏で、正しいお祈りをすればどんなに無茶なお願いでも叶えてくれるが、怠けると逆にたたるとも言われる、ちょっとコワモテの神様です。
もともとはインドの神様で、魔神から(十一面)観音様のお力で善神に転じました。聖天信仰として江戸時代に商売をされる方に厚い信仰を受け、「7代分の福を一身に集めてしまう」ほど大きいとされています。お姿は、象の頭をされ2人が抱き合われている、珍しくそして愛らしいものです(左上図)。
そうそう、聖天さんの好物は大根なんですね(特に二股大根)。これはインドの伝説に由来しているのですが。だから、聖天さまをまつっている境内には、大根のマーク(例:左下)がいたるところにあります。是非ともチェックしてみてください。
たたるとか、子孫の福を横取りするなどと先ほどは言いましたが、まあ、これは仏教で言うところの「方便」でございまして、怠け心を戒めるためにこのようなことがまことしやかに語られたのだ思われます。また、それくらいの覚悟でことに当たると、何事も成功するということではないでしょうか。皆さんも、怖がることなくご参拝くださいね。
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江戸時代の高田屋嘉兵衛は、淡路島と大阪を通う貧しい船乗りでした。しかし、両親孝行のためにと努力を重ね、この聖天さんに毎日お祈りを捧げていました。
ある日、それを見た堂島の米問屋の主人がその熱心なさまに心打たれ、松前(北海道)に米を運ぶ商売を任せてくれることになり、彼は北廻船の航路を開き大商人として成功しました。
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また、不幸な生い立ちから極道人となったが、後に江戸時代の易の大家となった水野南北もこの聖天さんの熱烈な信者でした。罪を重ね、牢屋に入れられた南北は、出所後、ある易者に「おまえの命はあと一年」と宣告されます。さあ、慌てた南北は一念発起、改心してお坊さんになろうとします。
入門の条件として、米を断つことなど厳しい指示を出されました。お寺とすれば、この極悪人を断る口実だったのでしょうね。だが、その教えを忠実に南北は守ります。そしてその間、この聖天さんにも訪れ、自分の業を深く懺悔したのでしょう。
1年を経て、以前の易者に会ってみると、「死相が消えているではないか!」と言われたのです。それから、南北は易の研究を重ね、3000人の弟子を持つまでの大人物となりました。余談ですが、このお寺の「福島聖天通商店街」では、毎週金曜に占い市で賑わっています。これも、南北さんのご縁なのでしょうか。
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ここの聖天さんではありませんが、厚く聖天さんをまつられたとされる女性がいます。この人は、5代将軍徳川綱吉を産んだ桂昌院です。彼女は、もともと京都の八百屋の娘といわれます。しかし、信仰心が厚く、春日局に引き立てられ、将軍家光の側室にまで出世しました。そして、綱吉を産み、将軍の母親となってしまったのです。
後に桂昌院は、従一位という最高の位を授けられ、大商人などの力を借りながら護国寺(東京)など多くの寺院を建て、より深く仏教に帰依しました。聖天信仰が盛んに行われた理由もここら辺にあるのかもしれませんね。
こうして見てみると、聖天さんは考えられないようなご利益を与えてくれる、とてもとてもありがたい神様だといえるでしょう。皆さんも、未来に目標、または今に悩み事があれば、一度聖天さんの前で手を合わせてみてはいかがでしょう。
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