天上寺⑨~摩耶山笹おい七夕まつり~
5日は「摩耶山笹おい七夕まつり」じゃった。掬星台から、笹をかついだ一行が、天上寺に来るんじゃ。 「笹おい、ほ~い、ほい」との威勢のいい掛け声が迫ってきたわい。 笹おいまつりの人手
ここでは、鳥取県は倉吉市の集仏庵よりこちらの世界に来た「がれき光背仏」であるわし、通称「笑い仏(ぼとけ)」が、旅先から日々の思いをつづるブログじゃ。わしについての概要は、こちらのページからご覧いただければ幸いじゃ。
5日は「摩耶山笹おい七夕まつり」じゃった。掬星台から、笹をかついだ一行が、天上寺に来るんじゃ。 「笹おい、ほ~い、ほい」との威勢のいい掛け声が迫ってきたわい。 笹おいまつりの人手
はや立秋じゃのう…。 先日の天上寺句会(雲の峰主催)で発せられた素晴らしき俳句が整理されてきたので、ここで披露することにしようかのう。 ≪摩耶山笑い仏吟行≫
日付にすると14日になるが、無事にわし「笑い仏」こと「がれき光背仏」であるところの釈迦如来は、 鶴林寺への引越を終えた。鶴林寺の皆さま、お忙しいところ丁重なご対応、誠に有難うございます。 幹住職には、正装にて焼香台までご用意いただき、感謝しきりであります。最大限の誠意をもって対応 […]
せっかく加古川に来たのだから、少し町を歩いてみるかのう。 じゃが、加古川といえば、何が有名なんじゃろうか? 駅前の商店街を歩いていると、大変なものを見つけてしもうたぞ! かつめしの石像 か、かつめし!?
さて、今あらたにお邪魔している鶴林寺は、国宝の太子堂だけでなく、宝物館もみどころ満載じゃ。そしてここには、「あいたた観音」がおられる。重要文化財でもあるのじゃ。 あいたた観音さまの看板
わしの教えを広げる目的につくられたのがお寺じゃが、何とも寺院というものは不思議なものをつくられる。 ここ鶴林寺にも見つけた。その一つがこれじゃ。 開かずの扉遠景
いやあ、実に初夏は暑いが、瑞々しい緑がすがすがしい。広い境内には、いろいろなみどころがある。ちょいと、案内してみるとするか。 仏足石の遠景
境内を入って、左手に行くと、白壁の向こうから、小気味よく「パチン!」という音が聞こえてくる。虫の羽音にしてはでかすぎる。裏手の鶴林寺公園に回ってみた。 将棋好きの皆さん!
季節が季節だけにお寺を訪れる人は暑そうじゃ。わしはもちろん仏じゃから、修行の成果で汗一つかかんぞ。境内を歩いていると、もう一つの夏を見つけたわい。 ほれ! 「鈴なり」なセミのぬけがら! 古来は空蝉(うつせみ)といっていたかのう。情緒あふれる響きじゃわい。 現実は夢…とは少し寂し […]
鶴林寺には短い間じゃったが、本当にみなさまによくしていただいた。ありがとうござりました。 最後に本堂からの眺めを目に焼き付けておこう。 本堂から外を見る
姫路の山寺である圓教寺をあとにして、次にお邪魔するのは、兵庫県加古川市にあるお寺。あの聖徳太子ゆかりの鶴林寺じゃ。創建は589年ともいわれる。 威風堂々たる本堂
食堂の横に、常行堂(じょうぎょうどう)という立派な建物がある。名前の通り、座禅を組むところで、一般の方も事前に申し込めば、修業することができる。常に行を行うお堂、というわけじゃ。 雄雄しい常行堂の姿
いよいよ姫路の書写山ともお別れじゃのう…。1カ月の山寺生活にも慣れてきたところじゃったが…。 いろいろな方に出会えて、本当に感謝じゃ。わしの前に置かれているノートにも、福島を思う方々の気持ちがあふれておったわい。
散歩をしとったら、いや~びっくりしたわい。何をって?そりゃ、あんなとこにあんな方はおらんじゃろう。普通は。しかも寒さ好きのお方と聞き及ぶお人よ。飛べないとも聞いていたが、ひょっとしてあの羽は飛行用だったのかも知れんのう。 早く教えろって?まあ、せくでない。じゃが、見るが早いじゃろ […]
鳥取の倉吉を発って、はや3週間か。今ではすっかりこの山寺暮らしに馴染んでしもうたわい。新緑の山内は実に心地よい。 こうして散策しておると、発見もある。しかも、ちょっと変わったものじゃ。ほれ。
わしが今いるのは、圓教寺の食堂の1階じゃ。 1階というからには、当然2階もある。ここがまたわしの仲間の仏像らが、わいわい騒いでおるのじゃ。じゃが、一番奥にいる仲間にも手を合わせてほしいのじゃ。
僭越ながら、先日4日に神戸新聞さんにわしのことをとりあげてもろうた。最高の笑顔をつくったのじゃが、読まれた方、どうじゃったかのう? それから、色々な方々、メディアがわしのことに興味を持ってくださっている。まさに縁。ありがたいことじゃ。 そして、次の11日にラジオ関西の「時間です! […]
性空殿が九州からなぜ、姫路に来たかじゃと?それは文殊殿の仕業らしいぞ。 なんでも修行中に、頭上を紫雲が覆ったらしいんじゃ。その雲は性空殿を招くように、進んでいく。紫雲についていくと、どんどん西へ、西へ。そしてたどりついたのが、姫路の書写山だったんじゃな。
また性空殿の話である。 九州の霧島山で修行を行ったあと、今度は背振山へ移った。そこで法華経を暗じていると、それを聞きつけ、乙天と若天が現れた。かれらはそれぞれ、不動明王と毘沙門天の化身ともいわれる。乙天と若天は、終生性空殿につかえ、身の回りの世話をしたという。 修行熱心な主人のた […]
性空という御仁はどこまでも修業熱心だったそうじゃ。はじめ比叡山で勉学を続けたのだが、堕落していた当時の山内の雰囲気に嫌気がさし、九州の修験道のメッカ・霧島山に身を寄せた。 彼はどこまでも修業の道を究めたかったんじゃろうな。わしもその気持ちはわかるわい。俗世と関係を断ち切ると、いろ […]