バンコク紀行・ラストの巻(2017年12月・仏具街など)
タイに行く前に、なんのガイドブックを買うかで悩んだ。 「るるぶ」もいいけど、安定感は「地球の歩き方」なんだよなぁ。 こんなところがそそるんです。 124ページに「バムルン・ムアン通り」とある。 仏具屋街の説明がある。 こりゃ行かない手はない。 ひっきり […]
タイに行く前に、なんのガイドブックを買うかで悩んだ。 「るるぶ」もいいけど、安定感は「地球の歩き方」なんだよなぁ。 こんなところがそそるんです。 124ページに「バムルン・ムアン通り」とある。 仏具屋街の説明がある。 こりゃ行かない手はない。 ひっきり […]
バンコクがたまたまなのか、国全体がそうなのかはわからないが、 とにかくタイはお寺が多い。歩いていると、すぐ寺にぶち当たる。 タイ王国大使館のHPによると、全国で約3万とある。ちなみに言うと、日本は約8万弱とされる。タイの人口約6500万人。日本の半分と考えると、そうなのかと思うが […]
タイの寺院は面白い。 それは間違いない。 ただ、いくつもお寺をまわっていると、同じように見えてしまうのも事実。 とても文字には見えないタイ文字がわかれば、少しは由来も楽しめるのだが。 そんなときに訪れたこの寺院は斬新だった。 ワット・サケット なにが違 […]
「バンコクの博物館の日本人ガイドさんの説明がいいわよ」 チェンマイで教えてもらった。 わたしは案外素直なので、行ってみることにした。 わが安宿から、これまたいつ着くかわからぬバスを乗り継ぐ。 時刻表も行き先もないのだが、今は便利になった。 スマホである […]
仕事でタイに行く機会に恵まれた。 タイという国は仏教国であるということ以前に、いい印象がある。 行ったことは一度もないのだが…。 正確に言うと、立ち寄ったことはある。 パキスタンからのトランジットで。 大学の連れと「ガンダーラに行って、ゴダイゴのあの名 […]
太鼓廻しから物語は続く。 また飛び込む話だ。 しかも今度は、高さ7メートルから飛び降りる。 もはや自殺やな…。 竿飛びといわれる。 こちらも行者の修行の一環である。 伊崎寺のその名も竿飛び堂から飛び出した16メートルの竿の先から、琵琶湖に […]
「まわす」と聞いて常人は何を連想するだろうか? 驚いて、目をまわす。 疲れて、肩をまわす。 ちょいと奥さん! 回覧板をまわすなど…。 様々あろうが、こんなもんをまわすことは想像しまい。 彼らは太鼓をまわすのである。 いわゆる順番に交代する […]
また福島を想う季節がやってきた。 8月6日。 われわれMONK衆が福島県富岡町の浄林寺に、笑い仏を届け、 開眼法要をしていただいたのが2015年の8月6日であった。 浄林寺の早川住職は、放射能被害で町を離れた檀家さんのために、 原爆が広島に落とされたそ […]
期待していなかっただけに戦慄した。やってくれるやん大阪市教育委員会! 7月9日からわずか3日間の展示だった。向かったのは、以前訪れた「天下茶屋聖天」といわれる正圓寺。地下鉄・天下茶屋からうだるような暑さの中、東に歩いて行くと、住宅地から小高い山が顔を出す。これが聖天 […]
今回は少し趣向が異なりますが、他のサイトで紹介された情報から。「坊主バー」。知る人ぞ知る「街に出てくるお坊さん」活動の走りでしょうか。 ファウンダーは大阪の清老師だと思いますが、今ではそこから発生した流れだけではなく、様々な主体が類似の活動を地道に行われています。 我々のサイトで […]
織田信長の命日は6月2日。自害したのが、京都の本能寺です。 ご存じの方もおありでしょうが、「能」の字が違うんです。つくりが「去」のような字になっているのがわかるでしょうか? これ「ヒ」が「火」を意味することを忌んだということ […]
坂の多い町である。油断していると、目的地にたどり着けない。 地図で見ると、すぐそこなのに…。 周りに人がいないので、坂の注目にひっそりある質屋で道を聞くと、「そこをまわって下に落ちていくと、すぐ正面」と丁寧に教えてくれた。職業差別ではない […]
いつもお世話になっているライターの方から、信じられない話をうかがった。 「寺好きやったよな? 神戸の山に朝6時から100人が集まるお寺があるんやで」 100人? 耳をうたがったが、確かに「100人」らしい。ラジオ体操を行うため、寺の境内に集まるのだとい […]
関西人以外は、「豊中」と言われても、口ポカンであろう。関西国際空港ができた今となっては、影も薄くなったが、 国内線が発着する大阪空港がある。伊丹空港ともいう。 だが、なぜか敷地にまたがってもいるのに豊中空港とは言わない。 ついでに言うと、池田市にもまたがる。 そんな空港の話をお寺 […]
3月12日から大相撲春場所である。久々の日本人横綱・稀勢の里の奮闘に期待である。 今回の舞台は、大分である。福岡県の隣でさして遠いとは思えないが、さりとて仕事ではよらないので、北九州を訪れた折に、思い切って足を伸ばしてみた。 思っていた通りの田舎町…。 […]
五木寛之の本でビビらされたことがある。 「隠れ念仏と隠し念仏」 隠れキリシタンという言葉は聞いたことはある。だが、「隠れ念仏」とはいかに?これこそが忘れられた日本の哀しき黒歴史なのである。以下は本の受け売りである。 1597年、薩摩を治める島津義久は、一向宗を既成権 […]
那覇から高速を飛ばしても、1時間あまり。キャンプ・ハンセンという米軍基地で名高い金武町(きんちょう)に、観音寺はある。 一見普通の寺のように見える。だが、境内の植生などながめると、南国の寺であることがわかってくる。木造は本州と同じだが、屋根瓦など、一目 […]
最近、「障害者アート」という言葉をよく聞くようになりました。ツイッターで情報を知り、近鉄・奈良駅から歩いてすぐにある「奈良県障害者芸術祭」に足を運んでみました。 平日ということで人はまばら、しかし、是非訪れてほしい展示であったぞよ。最初の展示は、障害者 […]
京都国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙」展に行ってきた。 寒くて雨というのに、人だかり。 おそらく京都の町で、利休が愛でた樂茶碗の博覧会ともなれば、足を運ばざるを得なくなるのであろう。 まぁ、よかったと思います。初代・長次郎のシーサーみたい […]
「太陽の蓋」という以前から見たかった映画を大学のホールで鑑賞した。東日本大震災による福島第一原発事故の官邸の緊迫感を忠実に描いた秀作であった。 映画は、東電の無能ぶりとそれに右往左往させられる官邸の混乱ぶりを描いていた。 ただ、観客の半数以上はゲストに引かれて、足を […]
まずもって、貞慶さんて誰やねんでしょ。 そうですよね。僕はさわりぐらいは知ってますよ。法相宗の僧侶で、笠置寺におったぐらいのことは。でも、それ以上は知りません。だから、仏教オタクが5人ぐらいやったら怖いなぁぐらいに思っていました。 ところが…。木津川市 […]
お前に見せたいものがある! 先輩の車で、奈良県でも奈良市内からかなり南に降った五條に拉致された。 この先輩、見かけによらず、寺のみならず全国の珍スポットマニアで、それを制覇することをある種の〝行〟としており、今弘法を自認されている。 難波を昼に出発し […]
う~ん、体中があちこち痛い。そして若干の寝不足。深夜バスに乗るのなんて、何年ぶりだろうか? 仕事を終え、昨夜は見送る妻に、「大丈夫ぞ! 達者でな」と、名古屋から勇躍飛び乗ったが、朝の東京駅八重洲口では、軽いめまいなどしておる。 ただ、来たからには寺めぐり。 円瓢とま […]
1年ぶりの福島訪問である。富岡町にある浄林寺の施餓鬼法要に参加させていただいた。 鳥取県倉吉市を2012年6月に出発した笑い仏は、2015年7月に最終目的地の浄林寺を安住の地とさせていただいている。被災地のみなさまの笑顔を少しでも取り戻せるようにと。 […]
先日、NHKの中部地方を紹介する情報番組を見ていたら、前に訪れた富山県高岡を取り上げておった。 高岡を簡単に説明すると、富山県では、富山市に次いで、第2の都市で、北陸の大観光地・金沢の西にある。 番組では、高岡の観光協会の方が、金沢新幹線開通で盛り上がる北陸人気にの […]
言うまいか、言わぬべきか? 東京でうどん屋に入った。 なんでも「関西風手打ちうどん」とある。関西出身の懐かしさで入ったら、満員。結構有名な店なのかもしれない。忙しそうにおやじが、一人で店を仕切っている。そのため、おそろしく回転が悪く、 8人がけのカウンターでうどんが […]
愛知県江南市にある永正寺を訪ねました。 福島県に「笑い仏」を運んだ際にお世話になったお寺です。 (そのときの活動の模様はこちらに) いつも忙しい中村副住職にお時間を取ってもらいました。 このお寺は、「攻める寺」です。 様々なイベントを仕掛けています。 昨今は、ヨガ教室などイベント […]
一度は行くべき寺である。珍しさもあるのだが、いろいろな意味で世界的な関心事にもからまっている。 阪急・上新庄を降り、下町風情の残る通りを進んで10分弱ぐらい。瑞光寺公園の中に、目的の瑞光寺がある。なにが珍しいかって、見りゃわかる。 ほれ。 […]
ひょんなことで、相撲に行くことになった。大阪場所である。初日前日に「土俵祭」なるものが開催されている。その名の通り、新たに土俵を作る際のお清めの行事で、正真正銘の神事である。 大阪場所は、両国と違い、行事ではなく、宮司さんを呼んで行う。土俵の真ん中に米や勝ち栗などの縁起物を鎮め、 […]
生命力がほとばしる真緑の植生 明らかに日本とは異なる南国風料理の味付け 国道から結界がなされる異様な米国基地、 刺激的な邂逅を暗示する土地、 それがヤマトンチュウー(本土人)にとっての沖縄である。 だが、しばらく沖縄にいると、その期待は幻想であることがわかってくる。 […]