おぬしに言われて月蓋長者と善財童子の三尊像のいわれを探っている。
それと、同じものが南禅寺の三門にある。
特別公開で見に行ったのだが、これが網越しでなんとも不親切。
どっちが月蓋さんかわからんかったし。
ここで、引き下がれんのでここにいこうと考えておる。
東福寺(京都)にも同じ配置のものが三門にあるらしく、
これは3月14~16日、涅槃図とともに特別公開される。
月蓋と善財童子はセットになっていて、なぜか三門にある。
これは強烈ないわれがあるんやろな。
善財は文殊に知恵を授かった善智識を持つにいたる修行者。
月蓋も仏に教えを諭されている。
つまり、この門くぐったら仏の教えに従って修行しなさいという表れなのか?
三門の中にあるのが味噌だと思う。
ここは一般のものは参拝できない。
つまりだ。観音さんなどは参拝者用なので、表に出さねばならぬ。
でも、坊さんなどの修行者は現世利益に過ぎるのはいかん。
修行者を見習えと。お前らの頭の上には
尊い修行者がいるんだぞという戒めなのではなかろうか。
あくまで、推測だ。
こればかりはネットだけではどうにも調べられない。
こんなところが悠久の時を隔ててきた仏の教えの雄大さやね。
ああ、仏教に抱かれて温かい。
気になると、寝れんな。
今回はレンタサイクルで京を疾走してきたが、
やはり寺は京都じゃな。
今日、通りがかって太融寺にいってきたが、
なんでこんなところに寺やねん、てナ感じやったが京都は逆。
なんでこんなところにマンション建てるねん!ちゅう感じや。
さすが魔都よの。こころしてかからんと・・・
何かまちの奥行きを久々に感じてきたわ。