摩耶詣~春の雨と煙に包まれて (2011年3月)

仏友(瀧之坊)を伴って、山に向かった。
家を見下ろす摩耶山である。

きょう3月21日は山開きである。
だがあいにくの雨…。
傘を差しながら、ずんずんと坂道を登る、さらに登る。
2週間ぶりの摩耶ケーブル駅。

山上で摩耶詣というお祭りも行われるとあり、老夫婦ら数人が集まっている。が、様子がおかしい。

「登れへんらしいで」

ん、どういうこと? 聞けば、雨ではなく風の影響でロープウェーが運休しているのだという。ケーブルは動いているのだが、それは山上から中間地点までしか行かない。

そこから祭りが行われる天上寺までは歩いて約1時間という。
老夫婦はあきらめ顔で、帰路についた。

さあどうする?

行きたい気持ちは多分にあったが、わざわざ堺から早朝に神戸山麓に呼び出しといて、雨の登山とは申し訳ない。

「せっかく来たんやから行こか」

これが仏友の返事である。
吹っ切った。ケーブルの片道切符を買って、改札をくぐる。するとどうだろう。数人も仏友の義挙に数人(2人ぐらいか)が続いた。

いざ登ろうぞ!

とはいったものの、雨の山道はつらい。
一人で登っていたならば、この決断を悔いまくっただろう。
もう10時開始のお寺の祭りは始まっているはずだ。
それでも、ひとまず上を目指そう。
息を切させながら、足を進めて行くと、ようやく兆しが…。

整えられた参道が姿を見せた。
だが、これはお寺に続く道ではない。
ここは元天上寺への参道なのだ。

どういうことかというと、天上寺は昭和に全焼している。今の本堂はここからさらに上に再建されたものである。ただ、霧雨もあいまって、独特の雰囲気は醸していた。

江戸時代には参拝客でにぎわった壮大なお堂があったのであろう。そんなことを偲びながら、一礼。

さらに30分ぐらい歩いた。これで道半ば。
あとは惰性にまかせて、ぬかるむ山道を登った。

そして、1時間弱。ついに山上のロープウェー駅にたどり着いた。
ゴールは近い。舗装された車道を進み、本堂に。
参道を上がると、やはり摩耶詣は行われていた。

だが…。今から始まる感じだ。
間に合った!
 
本堂の前には袈裟を着た住職と司会者。
そして、摩耶詣の主役を張る飾り付けされた馬が2頭。
そのかたわらに、イカしたいでたちの一団。
白足袋に獣の腰巾着。杖を持つ年配の集団。
そう陰の主役、山伏さんである。

私は山伏に釘付けになった。
とはいえ、ここは摩耶詣のことに触れておく。
この祭りは、山開きのため行われる。
「いつも使役ばかりしてゴメンな」と、かつては人間を背負っていたであろう馬を飾り付け、山伏の先導をつとめてもらい、感謝するというものである。まあ、本来は馬が主役。

ただ、白装束の一団はひときわ目を引く。
ここからは山伏さんの営みをば…。
本堂の前には、壇が設けられ、四方を縄で囲ってある。いわば、結界である。山伏は2組に分かれている。

はじめから内陣にいる人と、その他の外で待つ人。
雨の中、傘を差していると、私らの前で儀式が始まった。

結界の外にいる山伏が入り口? 前に立ち、雨に負けじとのたまう。

「案内申す。案内申す」
すると、内陣の山伏がまた答える。
なんじゃこりゃあ!?

すると仏友が視線をそらさずに、
「問答するんよ。柴燈護摩はいつもこんな感じよ」

ん、柴燈護摩とはなんぞや?
これは山伏が屋外で行う護摩行で、今日は山開きなどで行われることが多い。まあ、山で五穀豊穣を祈願するわけですよ。
その始まりが「山伏問答」といわれるもので、
本物の山伏かどうかを確認して、彼らを内陣に迎え入れるというもの。

問答は続く。
だが、真剣な山伏の表情と裏腹に、
問答は雨の寒さからかしどろもどろ。
しばしの沈黙…。

はたで見ていると、新入りさんは忘れまいと衣装にその口上を書いているのだが、これも文字が小さすぎるのか、思うように口上が進まない。そのおぼつかなさがほほえましい。

これが安宅の弁慶であれば、偽物とバレて、奥州に逃げようとする義経共々生け捕りになるというわけです。

だけどそこはご愛嬌。

なんとかやり過ごすと、内陣に招き入れられるわけです。
すると、四方を弓矢で清めたり、剣で壇を清める。
失礼だが、これはやっている方は実に楽しいと思う。
実際に、寒いながらも見ている方も面白いのだから。

うりゃ! と放たれた矢はもらえます。

そしていよいよ、点火!
山伏さんも摩耶山も冷雨に凍えるわれわれも
待ってました!

もうもうです。煙が目に入って何も見えない。
でも暖かい…と思ったら、あちっ! 火の粉も飛びまくり。

かれこれ約1時間。

仏友がお供でよかった。
嫁であれば、寒かったとはいえ、雨はなかったお水取り地獄ですまされないぐらい怒られたであろう。

ああ、またしても炎の行にやられてしまった。
東大寺のお水取りに続いてである。

練行衆が松明を掲げるお水取りは、近寄りがたい異国情緒があった。だが、こちらはどこか土着っぽい。

この『におい』の違いは何か?

 山伏が行う柴燈護摩は、このあとに火渡りの行も行うこともあるという。それはそれで参拝客は大喜びであろう。
つまりは魅せる要素が強いのである。
いわば『客寄り』なのである。

一方で、お水取りは意味を差し挟む余地さえ与えてくれない純粋な行で、宗教の大本山の力に守られて伝統を守ってきた。魅せることなど考えずに、絶やさずに続けるという純粋な宗教行事である。

かたや、柴燈護摩はといえば、やや力の弱い山伏の集団が行うもの。供物などをくれるのは、とりもなおさず参拝客である。
ならば、彼らが喜んでくれる魅せる行(問答や法弓の儀など)を「いっちょやったろか」と考えるのは自然の流れであろう。

また、山伏といえば、その祖は葛城山系を跋扈したとされる役行者。だが、彼が念じていたのは、虚空蔵菩薩といわれる。歴史の流れで中世以降に不動明王を祭ることになったのだという(宮家準『修験道』による)。そりゃ、火の方が迫力があるものね。

何がいいたいのかというと、安心してみていられる火の行。
それが柴燈護摩ということ。

下山の際には、お寺から摩耶昆布なるものをいただいた。
これを食べると、福が授かるという。

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