はるばる来てしまった。
長野県は松本から北上すると、松川村というのどかな田舎町がある。
安曇野北部地方と言えば、少しイメージしやすいか。
わさびが有名ということだから、水も清涼なのであろう。
夏はいい。暑くて、蒸しっとする殺人的な関西とは対極の気候である。
みずみずしくて、カラッとしていて、小金でもあれば、移住でもしてみたくなるほど。
実際、関東からの移住者も増加しているらしい。
まぁそんなところだから、人通りは少ない。というか全くない。
お寺ならなおさらである。
小雨の中、傘をさして人を待っている。
目の前にはあばら屋のようなお堂。
ここが観松院である。
その今にも崩れそうな木製の縁側に腰をかけた。
「お待ちになりましたか?」
人の良さそうなおじさんが、小走りでやってきた。
彼はお寺の人間ではない。
松川村の教育委員会からの委託を受け、斜め向かいの収蔵庫を管理している。
なにやら暗証番号を照会して、鍵を開けている。
厳かに蔵の戸が開けられると、中でもまた硝子戸が行く手を阻んでいる。
こんな田舎町の小寺に、とてつもないものが収蔵されているのだ。
硝子越しに目をこらすと、奥に小さな仏像がみえる。その大きさは30cm。
愛くるしい表情で軽く右手を挙げている。
これこそ、銅造菩薩半跏像。
朝鮮の新羅で作られたものとされ、重要文化財に指定されている。
細身の作りは、広隆寺の半跏思惟像を想起させる。
確かに、日本の仏像とは異なる独特の風情を醸し出している。
600年代前半の作といえば、聖徳太子の時代であり、
しかも新羅と百済が激しく戦う世に、来日したとあれば、
なにやら曰く付きの仏である。
だが…。
「詳しいことはなにもわかっていないんですよ」
お寺にある経緯も定かではなく、
当初はお堂の軒下に転がっていたともいう。
「それをお寺の安寿さんが、仏さんだからというので、お堂に入れて、
それでも子供がおもちゃがわりに遊んでいたらしいんですよ」
なんと、重要文化財がガキの遊具とは、この仏さんも因果な運命をたどってこられた。
「安曇族のお話をご存じですか?」
話慣れておられるのか、管理人のおじさんは、話の運びが絶妙である。
安曇族とは、古代から九州の玄界灘付近を牛耳っていた海の民で、
それがなぜか日本各地にその足跡が残されているのだそうだ。
滋賀県にある安曇川などは、その名残とされており、安曇野もその1つとされる。
ぞくぞくさせられる渡来仏のミステリーに、思わず引き込まれる。
その謎に、近くにあるちひろ美術館の松本猛館長が迫られた。
渡されたパンフレットには「失われた弥勒の手」という著書を書かれたとある。
そのそもなぜ、海の民が海のない長野県に来たのだろうか?
そのあたりの考証が、本には収められているのであろう。
小雨の中、時間を忘れて話し込んでいたが、ふと寒気が走った。
「お時間は大丈夫なんですか?」と申し訳なさそうに尋ねた。
というのは、教育委員会から送られた書類にこうあったからだ。
「拝観は300円、硝子ケースを開けて、手に触れる場合は1万円」
そしてこうもあった。
「30分以内を拝観時間として、それを超えた場合も1万円」
違法駐車の罰則みたいだが、1万円となると財布がすっからかんになってしまう。
だが、おじさんの善意でそこは大丈夫のようだった。
1万円とは、強気の値段設定だが、はたしてそこまでの需要はあるのだろうか?
確かに、1万円のサービスは「撮影可能」など、仏像好きを少しくすぐってくる。
ただ、1万円は高すぎるのでは…。
「1万円でも団体で来られて割ると、1人当たりは1000円とかそんなぐらいなんです」
なるほど、何人でもフィックスプライスなのか。
1000円なら妥当。
パンフレットもなかなか親切。逆に300円は安すぎると思うわ。
「先日はポーランドから見学に来られる方がいました」
韓国でもなく、欧州か!?
聞けば、この渡来仏はすでにロンドンやニューヨークで展示されたことがあるという。
正直、わたしも最近までこの仏の存在を知らなかったが、
海外の人間の方が、このミステリー仏に接する機会が多かったのだ。
「韓国では展示されたことはあるんですか?」
男性は難しそうな表情を浮かべた。
「何度か韓国からそんな話もあったらしいけど、
対馬の仏像の件とか、いろいろ難しさもあるからねぇ」
故郷への帰還はなされていないらしい。
艱難辛苦を乗り越えてきた弥勒仏は、故郷に帰りたがっているのであろうか?
いにしえの仏は、ただほほえみをたたえるだけである。
●観松院
長野県北安曇郡松川村町屋1324
JR大糸線・信濃松川から徒歩14分
連絡は松川村教育委員会
*拝観申し込みは1週間前までに(☎0261-62-3111)