仏友からのメールで、映画に行ってきた。
触れ込みは、FUNKYな日本のお坊さんが門を開ける…。
正直、そのときは「お坊さんが…」というところに魅かれた。
映画の名は『GATE』。自主上映のため、実家に泊まり、朝から京都・丹波橋の駅にある文化センターに向かった。
映画の内容は、シンプルなれど、実に斬新。
福岡県星野村には『原爆の火』と呼ばれる火が守られている。
広島の原爆の業火から取り出された残り火が今も燃え続けている。これを日本のお坊さん3人が、世界で初めて原爆の実験が行われた米国のトリニティーサイトに返すというお話。彼らはサンフランシスコから灼熱のデスバレー(40度以上という)を徒歩で横断し、核施設に向う。その距離2500キロという。彼らの願いは『原爆の火』をそれが生まれたトリニティーに返し、「破滅の輪を閉じる」ということ。このシンプルな実話が、ドラスティックに描ききられている。
会場からはすすり泣きが、絶えなかった。
クライマックスは、核施設のGATEがひらくところ。
なぜか?
このGATEは昔よく映像に流れていた。
8月6日のHIROSHIMAの日に、平和団体が強行突破を試み、警備員によって取り押さえられるシーン。
つまりこの重い扉は60年間、民間には開けられたことがない開かずの扉だったのである。
結論をいえば、ランタンを持ったほほえみの僧侶らは、警備員に取り押さえられることなく、破滅の扉が開かれた土地、トリニティーにたどり着き、そこで広島の火は法要をみとったのち、役目を終えたかのように消える。
会場のすすり泣きを思うと、これほどまでに戦争や核の恐怖を訴える方法があったであろうか?
あれだけ、戦争反対や原発反対と(いいか悪いかは置いといて)、平和団体が声高に主張しても伝わらないのに、このギャップはなんだろう?
上映後は、MATT監督と一行の一員だった宮本先生を囲む会が行われた。これがまたよかった。
MATTは流ちょうな日本語で先生のように語りかけた。
「タイムカプセルってあるでしょ?僕の友達が冗談で『爆弾を入れたら、空けたときボンだぜ!』ってふざけてた。でも今の状況はまさにそれと同じ。地球を何回滅ぼしてもまだ余る核兵器が地球に存在する。わたしたちは、未来に悪しきタイムカプセルを残すことはできない」
それで彼は、この映画をつくり、自主上映をしているのだが、それだけではない。
冒頭のオブジェだ。
これは核兵器の廃棄物でつくったもの。映画の収益で、核兵器を買い取り、溶解。さらにはそれを若者が好むアクセサリーに変えているのだという。
おそるべき発想。まさに『破滅の輪』を円満に閉じようとしている。
核の残りかすで作られたオブジェは、ズシリと重い。片手ではとても持てない。でもこれはあくまで破片…。
人類はこんなくだらないものを再生産してきたのだ。
MATTの熱いトークの後は、座談会。連れと私は善良な市民を装い、質問を投げかけた。
核兵器1個をつぶすには、いくらかかるのか?
「10万ドルぐらい。円高なんで今は少し安くつぶせます」
といかにも外国人らしいジョークも。
なぜ、GATEは開いたのか?
実際、MATTもダメだと思っていたという。
そりゃ、あまたある平和団体が強行突破しようとしても60年間開かなかった開かずの扉なのだから。
だが、ここは仏教でいうところの縁が奇跡のように連鎖した。
当然、MATTは国防省に何度も嘆願書を送っていた。だが、それはいつも返事を留保されていた。ときが過ぎたが、知らぬまにそれは、責任逃れのために上層部に上がり、ついにはブッシュJrという大統領までたどり着いた。
しかし、彼の答えはこうだったという。
「私としては許可してあげたい。だが、原爆が落とされた日に、GATEを開けるということは米国の非を認めることにもなる。そんなことを大統領が認めることはできない。だが…」
「扉を開ける権限をある一定の時間だけガードマンに与える」
超法規的丸投げが、トリニティーに投げ返された。
一件落着ではない。
この警備員というのは、太平洋戦争で家族を失った男。そんな男が、日本のMONKのために、扉を開けるはずがない。ブッシュもそう思ったろう。
しかし、扉は開けられた!
「彼らはほほえみながらただ歩いてきた。いつものやつらみたいに敵意を感じなかったんだ」
仏教が掲げる無抵抗がGATEをこじ開ける原動力となった。
しかも、2500キロを3人で走破した宮本老師は飄々としたもの。
イヤだと、師匠に断ったにも関わらず、
「心配するな。骨は拾いにいかせてもらいます」
といわれて、腹を据えたという。
ここはベスト・キッドや少林寺の世界だが、実話だというから、仏の教えって超クールやわ。
MATTは「宗教を掲げる映画ではない」と強調していた。
確かに、声高に仏教は叫んでいない。
ただ日本人が観ると、仏教スピリットを感じずにはいられない。
また、米国人にもそう映るようにも思える。
文句なしに、史上最高の映画だと思う。