「まわす」と聞いて常人は何を連想するだろうか?
驚いて、目をまわす。
疲れて、肩をまわす。
ちょいと奥さん! 回覧板をまわすなど…。
様々あろうが、こんなもんをまわすことは想像しまい。
彼らは太鼓をまわすのである。
いわゆる順番に交代するの意味ではない。
文字通り、太鼓をまわすのである。
わけがわからないであろうが、これはれっきとした天台行者の修行の一環で行われる行事である。
今弘法を自認する珍スポットオタクの先輩と、滋賀県大津から湖西の葛川という奥地に向かった。
いきなり閑話休題となるのだが、腹ごしらえに京阪・膳所本町駅すぐにある美富士食堂まで車を飛ばした。
観光案内所でガイド本を手にすると、カレーの特集があり、「地元では有名」とあったのでそこにした。
ここが普通の食堂ではないことはすぐにわかった。
車で店を少し過ぎ、駐車場を探していると、古ぼけた食堂の前で立ち尽くしていたおっちゃんにすごまれた。
「そこに止めたらあかんやろ」
ではどこに?
言葉もなしに指さされた駐車場にしぶしぶ移動。
そして、店に入るのだが、これもまたすさまじい。
著名なタレントのサインもあることからして、有名店であることは間違いない。
だが、この借金取りの催促のように書き殴られた無数のメニューの張り紙は、魔除けのお札にも見えてくる。
注文を取りに来るでなく、主人は調理場から出てこない。
仕方なく「カレー2つ!」と声をかけるが、返事すらない。わかってもらえたのかすら謎である。
そして、待つこと数分。注文の品が無造作にテーブルに置かれる。
それを見て、2人は絶句。
メガ盛りとはこのことを言うのか…。
皿からあふれんばかりの金色のカレーと白いライス。
2人で黙々とスプーンを口に運んだ。
すると、若いカップルがゲートイン。
われわれ同様、店主の対応に戸惑いながらも、親子丼を注文した。
「男はいいとして、おねえちゃんは無理やろ…」
しばらくして、隣のテーブルからも弾けるような会話が消えた。
おそらく、帰りはけんかであろう。
われわれはカレーを胃袋に流し込み続けた。
雪山の『眠っては死ぬ』の心境。そして、この無愛想な店主への敗北を認めたくない反骨心がスプーンをただただ口元に運んだ。
そして、完食した。味はいたって普通であった。
これが洋食屋で出てくるこくまろカレーなら、とっくにギブアップしていたであろう。
そういう意味では勝利の美酒に酔いしれて、胸を張り気味に食堂をあとにした。
「おもろい店やったな」
文句一つ言わない先輩も豪傑である。
もう2食はなくても平気である。
われわれは、水分だけ補給して、葛川にある明王院に急いだ。
寂しい夜道を抜けると、谷間の村に着く。
だが、村の祭りもあるからか、すでに駐車場は満杯に近い。
実は小生は、冬に来ているので2度目。わが庭のように、境内を横断していくと、
すぐに今宵行われる奇祭「太鼓廻し」の舞台にたどり着いた。
開演1時間前の夜9時だが、10メートルかけ5メートルの板葺きの舞台のそりは満員である。真ん中は演者のためのスペースなのであろう。
「舞台をよく見てみぃ。くぼんでるやろ。杖でゴンゴンやるからなんやで」
高そうなカメラを持った御仁は、何度か来ているのであろう。
初心者に丁寧に祭りの説明を施してくれた。
「写真撮るなら、四隅から出たぐらいのとこがいいよ。真ん中行くと、カメラごとはたかれるからな」
そんな凶暴な祭りなのか?!
太鼓はまわるわ、行者は飛び込むわ、いったいどんな地獄図絵が繰り広げられるのか…。
突然、舞台の照明が消え、提灯とともに、行者と地元の衆が叫びながら、なだれ込んできた。
なんや、こりゃ!
地元衆は竹の先を切ったササラを打ち鳴らし、輪になって、自ら結界となっていく。
そこに巨大な太鼓が登場。そして、斜めにすると、かけ声とともに地元衆の1人がぐるんぐるんとまわし始めた。
これが「太鼓廻し」か!
ゲームセンター嵐の「炎のコマ」よろしく高速回転させられた塊が、凶器と化した。触れようものなら自殺行為。だから、地元衆が結界になる。
竹は先端が割れており、振ると、カラカラという音を発する。
これが滝の激流を表すのだという。
そして太鼓がピタッと動きを止めると、今度は白装束の行者衆がご登場。太鼓の上に担ぎ上げられる。
真言を叫びながら、行者が太鼓から舞台に飛び降りる。
これ、千日回峰行の始祖・相応和尚が滝壺に飛び込み、不動明王を感得した様を表しているそうな。
太鼓がまわるのも、滝壺が渦巻く様を表現しているのであろう。
なんとも、わかりにくいが、奇祭といわれるゆえんである。
行者が次々飛び込んでいく。
そう、これは天台行者の修行の一環なのである。
夏に1つの場所に集まって修行することを夏安吾という。
その最後の5日間の中日が、7月18日。この日に太鼓廻しが行われる。
壮絶な奇祭は、20分ぐらいであっけなくフィナーレを迎える。
しかし、行はまだ終わっていないのである。
明かりが入った舞台の向こうの本陣では、行者が法要の準備で走り回っている。
用意ができると、本尊の厨子を囲んで、行者がお経を唱えながら、まわっている。
歩行禅と呼ばれるものだ。
ときおり、隊列が乱れる。
見れば、若い行者が昏倒しかけていている。それを後ろのものが懸命に支えて、なんとか行を続けさせる。
いわば眼前で繰り広げられているのは、トランス状態にある修行僧なのである。
そんな光景にも慣れたものなのか。参拝者は行儀よく、正座で読経を授かる。
法要を仕切るのは千日回峰行者なのだから。
約1時間のおつとめが終わると、大阿闍梨からのお加持をいただける。
お持ちの数珠で頭をポンポンとたたいてくれる。
京都の人は、これを受けることを名誉としている。
なにせ、大阿闍梨は京都のまちを守るために千日も山を駆け回っているのだから。
わたくし、今年で2度目のお加持をいただくことになった。
順番がきて、ポンポン。
なぜかしら、両肩がふわっと軽くなった気がする。
千万分の一の功徳はいただけたようである。
「内陣には入れんのかなぁ」
先輩が欲どしく言われる。
「そこまで言うたら罰当たるでしょ。彼らは修行の身。わしらは向こうに行けません」
そう諦めていると、行者の一人が大声でのたまった。
「きょうは特別、内陣に入っていただけますので、ご希望の方はどうぞ」
なんともツイている。
もう夜の12時近くだが、断る理由はなかった。
前に来たときは結界越しで、よくわからなかった。
それが今宵は、行者の説明付きで仏像やら掛け軸やらを見ることができた。
もう、感動もん。来てよかったわ。
赤山明神を拝むことができるとは思いもよらなかった。
この神様は、中国の道教由来のお方。天台宗の円仁が船の上で感得したという。
赤い官服をまとった姿で描かれることが多いとされる。
京都の赤山禅院は、この神様をまつっている。
仏教寺院でまつられるが、滅多に拝むことのできないお方である。
神聖と狂気は紙一重。
このまがまがしさが、天台密教の奥深さであろう。
当然、聖天さんらと同じく、天部の神様である。
おそらく、太鼓廻しなどの荒行を無事に行うため、霊力の強い神に助けを求めたのであろう。あのような荒行に耐えるのには、常人とは異なる神様が必要なのだと、思い知った。
おそらくというか、絶対そうだが、太鼓廻しは場所の遠さや始まりの遅さから、知る人ぞ知るの祭りである。
しかし、そのままであってほしい。
神聖でかつ、おどろおどろしいままで存続していってほしい。
行者はこの内陣案内が終わると、ようやく片付けをすませ、しばしの就寝につく。
あと2日で夏安吾も終わり、満行を迎える。
葛川息障明王院
大津市葛川坊村町155
☎077-599-2372