天台修験をめぐる地獄・完結編(無動寺)

さて、翌日の31日は再び比叡山だったのだが、宿泊は京都市内にした。
西本願寺の信徒施設、聞法会館に泊まるためだ。
 
「部屋は車いすの方も使われるタイプなので、ちょっと広くなってございますよ」
 
受付の方の対応が優しい。さすが、敷居が低いとされる浄土真宗だ。
ちなみに言うと、比叡山の比叡会館は、「ありません!」とピシャリだった。
 
別に批判している訳じゃないですよ。寺の宿泊施設なんて大概そんなもの。
普通のホテルに比べても、このホテルは対応がいいと言っているだけですので。
受付の方が話していたことが理解できた。確かに広い、ではなくデカイ!
 

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なるほどとも思った。
車いすが通るためには、廊下も広くして、介助者のために風呂の手すりも人が立てるスペースを造っているのね。このバリアフリーポリシーは、普通の宿坊では考えられぬ。
 
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西本願寺を参る人には年配者も多いもんね。さすがは信者ファースト!
 
デスクに置かれた門徒向け公報誌にもビビッたで。
「なんでこんなに種類が…」と思ったが、中身を見て疑問は氷解した。
 
住職向け、住職の奥さん向け、檀家向け、一般向け…と、対象とするグループごとに、本願寺のことを違う切り口で紹介しているのだ。
 
女性ファッション誌のアレですよ。
ティーン、独身女性、余裕ができた奥様世代など、細かい区分けがなされている。
そりゃ、真宗にいってまうで、この至れり尽くせり感…。
 
で、テレビをつけると、やってるんですよな。アレが。
BS朝日の午後11時からと言えば…!?
 
そう。40歳世代の青春を彩った小林克也の「ベストヒットUSA」ですわ!!
ネットで調べると、1981年からやっているとのこと。
しかもずっと、小林克也!すげえな、Katsuya Kobayashi!!
 
仏友と年末(と言うか大晦日ピンポイント)の地獄巡りをするのが毎年になっておるが、夜に宿で一息ついてチャンネルをまわすと、いつもそこに克也がいる。「いつもそこにKatsuya」。何やよう分からんが、かっこええな(そうか?)。で、人のこといえないけど、克也も頭が薄くなったなぁ。
 
全盛期に比べると、軽快だったトークもたまに言葉が出てこないことが。俺らもそうやが。
盛りを過ぎたゲストミュージシャンとの思い出話は、マニアックすぎて既にわからん。
完全に視聴者は置いてけぼりだが、さすがはKatsuya、全く意に介さない。
それでも聞きたいと思わせるところがKatsuyaよなぁ!
 
彼には、Queenの「Radio Ga Ga」の詩を捧げるしかないで。
 
「お前は今でも黄金期を生きてるんだ!」 
「今でも、お前のことを好きなやつはいっぱいいるんだぜ!」
 
でも、なんでこの番組って続いているんやろな?…謎である。
 
ここで、一つのことに気付いた。例によって例のごとく、まったく本筋と関係ない。
番組の間に、これでもかというぐらいに同じCMが流れるのだ。
 
その名も「リョウシン」!
は、はぁぁああぁ?「両親」!?または「良心」!??
 
…関節及び神経痛に効くとされるお薬なのだ。
なんでも、痛みに苦しむ両親のために開発した薬だから「リョウシン」だとか。
何度も見ていると、自然に頭にすり込まれる謎のCMのフレーズ。
ただ、それだけにひっかかるところも出てくる。
 
「『医薬品』ってうたっているのに、『医薬品レベルの効果』ってどないやねん?」
医療系の仕事を手がける仏友が激しくかみついた。
 
そう。何度も何度も「医薬品レベル!!」と連呼するのだ、このCM!
 
仏友が興奮して問う:
「例えばやで、『私は弁護士です』と自己紹介したとしてや、その直後に、『私の法務能力はもはや【弁護士レベル】ですからね。』言われても、何もプラスにならんやないか!?むしろ不安になるわ!『弁護士やのに【弁護士レベル】』てどないやねん?『行政書士だが弁護士レベル』やったらプラスの印象を持つが、弁護士で弁護士レベルて、分かっとるわーい、そんなもん!!
 
…いや、まじであんたの仰る通り。めっちゃ気になる謎のフレーズ。
 
HPで調べて見ると、第三類医薬品なのだそうだ。
第三とかの区分は、薬についての情報提供者の義務規定の有無で、第三類は、薬剤師などがいなくても販売できるということらしい。(詳しいことを知りたい人は、おのおの調べて下され!)
 
ただ、腰やひざの痛みに効くなんてものがあれば、ノーベル賞もんやで。言い直そう。「ノーベル賞レベル」ちゃうんけ?すげえもん出してるがな。…が、そこは「リョウシン」さんに聞かないと詳しくはわからない。
 
さておき、私と仏友は、「ベストヒットUSA世代は腰の痛みに直面している」という結論に達した。よって、これを『リョウシン世代』と呼び習わすことにした。…なんでもネタにするなあ。
 
さて、次の日が早いので、日付が変わらぬうちに就寝した45歳たち。
 
そして、朝5時に起床!
早いか!!
 
お隣にある西本願寺の朝のお勤めに参加するためである。
さすがに、久々の早起きはつらい。
そして、外はまだ暗いのだ。
 
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それでも信者とおぼしき方が、本堂に入っていく。(黄色いのは円瓢だが。)
こんなところが、京都って感じがする。堂内は意外と閑散としていた。
 
敬けんな門徒による「南無阿弥陀仏!!」の大合唱を期待した。
が、意外にも、桁外れに広いお堂に冷気が充満しているだけであった。
まぁ、翌日こそが大晦日で大イベントなので静かなのだろうけど。
 
動いていない分、前日の地獄巡りより体が冷えてくる。
 
寒さに耐えながら、用意された経文を震えながら唱えていく。
すると、最前列から自己主張するかのように、「南無阿弥陀仏」の合いの手を入れる古参の信者がおられた。すかさず、別のじい様信者も「なまんだぶぅ」とかぶせる。
 
すると、負けじと「なまんだぶぅ、なまんだぶぅ」。そのそばからまたもや別の「なまんだぶ…」。息をするような念仏!!まさに鳥のさえずりのようにずっとなまんだぶぅなのだ!!「さえずり」と言えばTwitterやが、これやったら恐怖やで!なまんだぶぅの輪が、湖面に投げられた小石のようにどんどん同心円状に広がっていくんやで。そのツイートをリツイートしたかと思うたら、コメントがまたなまんだぶぅや。それへの返信もむろん、なまんだぶぅ!未来永劫。ずっとずっと。どこもかしこも。はっ!これが阿弥陀仏の西国浄土か!!…いかん、寒さで妙なvisionが見えてきた。
 
それにしても、競っているのか、饗応しているのか。
冷気を切り裂く鋭い南無阿弥陀仏の応酬が耳から離れなかった。
すげえな念仏三昧。じい様たちは、勤行が終わって下駄箱のところでもまだなまんだぶってた。
 
約1時間のお勤めが終り、お堂を出ると、ようやく外が明るみ始めていた。
 
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もう一眠りという選択肢もあったが、「早起きは一文の得」と、天台修験3つ目で最後の目的地、無動寺に向かうことにあいなった。
 
京都駅までの道すがら、仏友がうなった。
 
「あれすごいな。多分セブンイレブンやけど、原型とどめてない。何あの『ぱちもん』感!」
 
かの有名なコンビニチェーンのことである。
 
私は知っていたので、驚きはなかったが、都心暮らしの仏友には、鮮やかな3色カラーが目印のセブンイレブンのラインが、ことごとく地味な土色に変えられてレンガ屋みたいになっていた様子に衝撃を覚えたようだ。
 
いや、何もセブンだけではない。西本願寺の前のローソンなどは、ブルーのラインさえもなく、なんや失敗したブティックのロゴみたいになっておる。ロゴがそんなんやから、店の佇まいが全体的に個人商店のような地味さに落ち着いておる。確かにこれ、ぱちもん感満載やわ…。
 
「京都で商売するんどしたら、わてらの流儀に従ってもらわななぁ。」
 
そんな感じであろうか。
いわゆる京都人の特性を言い表すとき関西人がよく使う「いけず」な感じである。
 
「いけず」とは雅さのメッキに隠された意地の悪さ、とでも言っておこうか。
家に行くと、歓迎していない意味を示す「ぶぶ漬け(お茶漬け)」が出されるというあれである。
関西人にはなじみ深い、京都の確かな本質である。関東人は知らんやろうが。
 
だが、考えてみれば京都は、もっとよそ者に不寛容な、つまり『いけず』である方がいい。
 
いま日本国中が、観光ビジネスにやっきになっている。
京都もご多分に漏れない。
 
京都駅の改札を出ると、ガラガラを引いた外国人であふれかえり、自由に歩けやしない。
祇園では、日本人より外国人観光客の方が多いだろう。
だから、休日はホテルも予約が取りにくい。日本人だろうと関係ない。
それにも関わらず、国や自治体は成長産業として観光客を増やそうと息巻く。
そんなもん、ほんまにあのプライドの高い京都人が許容しているのだろうか?
 
「お・も・て。な・し」とかいって、そんなものは京都人の本質からは外れている。
京都の真骨頂は「いけず」やで!!それこそが京都のおもてなしや!
 
応仁の乱以前からずっと町中が戦場や。よそもん(非京都人)にガンガン町を破壊されとんねん。長屋かて単純な美的センスから生まれた建築様式やない。長い廊下空間の中で敵やと思うたらぐさりと行くための、警戒心の現れやで。それをクリアした暁に見せるよう来たなぁという表情と、一旦信頼関係が出来た後に展開するゆったりした雅な歓迎こそが、京の都の「the おもてなし」や!
 
結果として醸成された、「そともん(部外者)は習うておくれやす」という、「こちらが『お上』なのだからこちらに合わせろ」というあの上から目線のぶっとい軸の通ったツンデレな歓迎。あれこそが、京都のおもてなしやで!けれど、ちゃんとそこを分かった上で都を立てて、「お邪魔します」と入っていけば、ちゃんと雅にもてなしてくれる。…それを関西人はよう知ってるので、京都人にいけずされても、「うんうん。京都やわぁ。」と生暖かいまなざしで頷くのです。
 
日本でも屈指の「つき合いにくさ」と「腹芸」(え、フレンドリーですよ、と思ってるそこの非関西人のあなた、だ・ま・さ・れ・て・る・し!)、もっと言うたら「腹黒さ」こそが、京都人の真骨頂ではあるまいか。1000年を超える歴史が作り上げた文化は、いけずな精神があったからこそ、あの度重なる戦火の中でがっちりと守られてきたとも言えるのである!!
 
ところが、どうです?金閣寺はマナー知らずの外国人でごったがえす。
参道は、ひっきりなしに「わさび」やら「抹茶」やら彼ら好みのテイストのお菓子が売られている。何じゃそりゃあああ!?USJのテーマパークと変わらんやないかぁぁい!?
 
だからこそ、我々MONK衆は京都人の、東京資本にこびぬ「いけずさ」の復活を夢見る。そして、それを心からたたえる。目覚めよ、京の都の行けず根性!
 
目指すなら、「世界一意地悪(正確にはいけず)な都市」を標榜してみぃや!
それがひいては、むこう1000年に続く文化を保持する礎になるのではあるまいか?
じきに、外国からこの「いけずさ」を求めて人が来る。媚びてはいかん!
 
文化は観光客のみが評価するものではないはずです。
そこに根付く住民こそが育み、それを理解したそともんが評価するものである。
いけず万歳!ぶぶづけ万歳!
 
外国人にもいけずをかませたれ!
(説明すれば分かってくれる。)
 
そんな暴論を吐きつつ、外国人の巣窟と化した京都駅を発ち、またもや湖西線で比叡山に向かった。
 
(追記@6/16/2017: 実はこれがそんなに「暴論」でないことは下記の新聞記事からも分かるだろうか:

超満員のバス、消えゆく情緒…急増する訪日客に京都苦悩
http://www.asahi.com/articles/ASK5K4GM6K5KPTIL00W.html
(萩一晶 2017年6月14日10時58分)

 
いったん比叡山坂本で降り、荷物をロッカーに預け、今度は坂本から京阪電車で引き返す。
天台修験最後の聖地、無動寺を目指すため、滋賀里に降り立った。
 
はっきりいって、超回り道ですわ。
坂本からケーブルに乗れば、すぐに無動寺に着きますよ。
いや、それでもすぐではないかも知れんけど。
 
でもよ、これじゃ年納めの地獄巡りにふさわしくないじゃろう。
比叡山の南から千日回峰行者に思いをはせながら、山を目指すのみ。
とはいえそんなルートをたどる酔狂な輩は、決して多くはない。
当然、駅に降りても、無動寺に行く案内などあるはずもない。
はぁ~…。いつものことやけど。
 
奇跡的に開いていた駄菓子屋のおばあに聞けば、「そういう道があるのは聞いた気もするけど、わてらで行ったわけやないので、はっきりとは知らんなぁ。でも大丈夫や思うよ。」と丁寧すぎるお答え。
 
つまり、自分らで責任もって行けよということやね。骨は拾わんで、と。
ごもっとも。
 
さて、しばらく住宅地を登っていくと、突如山道になる。
このルートを選んだのには、当然わけがある。
 
第一のチェックポイントが、百穴古墳。山肌にボコボコと穴が開いており、これがすべて古墳、つまり古代人のお墓という。この地帯は、古くから渡来人が生活を営んでいたところで、ここに一族が埋葬されたと伝えられる。穴といっても、しっかりと石室になっているものもあり、バリバリの古墳なのである。昼でも薄暗いひっそりとしただだっ広い山肌のそこかしこに古来の息遣いが聞こえてくるようである。中々に趣がある。ここでかくれんぼとか、真昼のホラーである。
 
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「こりゃすげぇわ!」 
仏友が感嘆の声を上げて片っ端から穴を覗いて行く。
 
ただ、場所が悪すぎる。
地元の人も心霊スポットぐらいにしか認識していないんじゃなかろうか。
ただ、比叡山が元来は麓から霊山であることが再認識できるに違いない。
 
さらに進むと、柔らかい表情の石の大仏さんに出くわす。
これがなかなかの出来であるのだ。
「志賀の大仏」と地元では呼ばれ、きれいに周りは掃除されており、村人に大事にされていることがうかがえる。少し腰を下ろして休ませてもらう。なんでも、ここから続く険しい峠を前に、旅人たちが道中の安全を祈念し、また、不幸にして峠を越えられなかった旅人たちの魂を慰めるために、ここに仏を刻んだとのこと。
 
数珠を擦り線香を上げた。
 
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さぁて、ここから一気に「地獄度」(あんのか、そんな言葉?)がアップする。
 
陽の光が弱くなり、心細げな山道を急ぐと、1時間ばかりで崇福寺跡にでる。
これがこのルートをたどった理由である。
 
崇福寺とは、天智天皇が大津京をつくったとき、都の守護にと668年に建てられた大寺である。大仏を造った聖武天皇が、百万塔陀羅尼を奉納したことからも、隆盛を誇ったことがわかる。平安時代の798年には法隆寺や東大寺とともに十官寺の1つにまで数えられた。
 
だが、強者どもが夢のあと…である。
今では小高くなったところに礎石を残し、石碑が立つのみである。
仁王立ちし心経を唱える仏友の声が広い空間にむなしく響いていく。
 
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ちなみに、百万塔陀羅尼であるが、聖武天皇が鎮護国家のため、陀羅尼を印刷して小塔に詰め、さきの10の寺に奉納したもので、現在は4000あまりが法隆寺に残るだけとなっているそうな。
 
ウィキペディアによると、世界最古の印刷物とも言われる。
とあるオークションサイトで調べると、なんと400万円とあった。
 
1つぐらい落ちてないかな。思わず二人で辺りを探す。
いや、失礼。はしたないものをお見せした。
 
ここから無動寺を目指すのだが、各所にトラップが用意されており、分岐には注意を要する。
看板が示す方向と道が一致していない場合があるからだ。(まさにトラップ!)
 
比叡山は行者さんのおかげか、実にいろいろな山道がある。 
しかも、「無動寺に通じていまっせ」なんて案内は、近くに行くまで現われない。
迷ったらどうするか…。
 
そんなときは引き返せ!
若気の至りで突き進むと、えらいことになりますよ。老婆心ながら、それは言っておきます。
 
この山道は、仏友とも箕面で、そして地獄行脚の先々でお世話になった東海自然歩道につながっている。でもこの「東海自然歩道」、いろんなところで出くわすけど、いったいどこからどこまで続いているんだろうか?
 
疑問が沸いたので調べてみた。
 
東京都八王子の高雄から、大阪府の箕面まで実に1697.2キロの道という。
仏友によると「共に修験系真言宗な箕面山と高尾山を結んで結界にするとは旧厚生省さすがに分かっておる…」らしいが、疑問符がガチで100個ぐらいつく。
 
自然道などというと、親子で手をつないでらんらんてな感じであろうが、とんでもない。
今回の道など、どう控えめに見ても、行軍である。
 
急勾配が続き、足が上がらない。終わりなき踏み台昇降をしているようだ。
こんな坂が無言坂とか言われていくんだろうな。
さすがに饒舌を絵にかいたような我々の会話も、途切れがちになっていく。
 
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しんどさが続くと、このしんどさがいつ終わるんだろうかとまず考える。
でも、それを考えることさえしんどくなってくる。
そうなると、しんどいと考えることをやめていく。
つまり限りなく思考停止していくということだ。
 
歩行禅の最終形態とまでいわれる千日回峰は、無の境地に近づくために山道を駆けるということがほんの少しだけ、理解できた。むろんそんな境地には、恐れ多くも1mmもたどり着いてはいないのだが…。
 
ただ彼らは命がけなのである。
仏友がいう。
 
「山道だから、いつ獣に襲われるか分からん。でも、あちらさんかて、白装束の正体不明な生き物がすごいスピードで疾走してきたら、そりゃ『ヤバイ!』って思うわな、絶対。必死で防衛するわ。で、気付いたときには、白装束は体当たりされて失神して地べたにぼろ布のように投げ出される訳よ。なんでも、自分の血の温度を感じて、その温かさで意識が戻ると聞いたことあるで。」
 
…ちょっと待て。しんどいなどと考えていては、この行はできないのだ。
 
戦後2度この行を満行し、2013年に亡くなった酒井雄哉さんの番組が1月に放送されていた。この行のしんどさは、回峰行そのものではなく、700日を終えたときに始まる堂入りにあるという。
 
9日間、飲まず、食わずはもちろん、横になることも御法度で、当然寝てもいけない。
そのときの映像が流れたが、口からはかすかに真言が唱えられているが、まさに死人の形相だった。まさに生死をさまよう荒行なのである。実際に、医療班は彼の瞳孔が完全に開いていることを何度も確認している。だが死んではいない。そして満行したとき、行者は「行ける不動明王」と称せられるのだ。
 
それにしても、こんなスゴイ映像、よくNHKはおさめたなぁ。
 
改めて山道を歩くきつさを思い知らされた年の暮れであった。
風景を楽しむなどという余裕は微塵もない。
頭にぼんやり浮かぶのは、「早く次の道しるべが出てこんかなぁ…」。
それのみ。もうね、後悔の念すら湧き起らない。
 
意識が遠のいていく中(だいじょうぶか?)、やけに新しい標識に出会った。
関西でいうところの「さらぴん」である。
 
「『環境省』とか書いてるけど、これ誰が立ててるんやろな?」
「こんな大変な場所になぁ…。若いやつしか無理やろな…。」
 
返しにもキレがなくなってきた。無間地獄をさまよっていると、突如殺気を感じる!
なんと、われわれを猛スピードで追ってくる人影があったのだ。
昼間だったが、まじで一瞬ぞっとした。単独行なら叫んでた。
年齢は、われわれより少し上か。千日さんか!千日さんなのか!?
 
謎の登山者は、とびきりの笑顔で「お先に」と瞬く間に先に消えていった。
ちょっとだけちびりそうになった。いや、ちびったかも知れない。
天狗…?ほんまに天狗じゃなかったのか…?
 
それはそうと、山道はまだまだ続く。
だが、明けない夜がないように、いつか山道にも終りがある。
何時間歩いたのかわからないが、苔むした鳥居に遂に出くわした。
 
「やっと寺や!着いたで!」
 
この日一番の喜びであったろう。
 
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しかし、喜びと同時に再び殺気を感じた。今度は前方11時の方角である。
本能が「やばい!」と告げ、アドレナリンがほとばしる。
 
なんと、例の微笑みの登山者に、またまた出会ったのである。
 
はて?ちょっと待てよ。
彼は、われわれのはるか前を走るように歩いて行ったはず。
もかかわらず、こんなところで再会した…のはどういう…わけ…なのか。
 
しかも、である。
彼はこの鳥居から先が延暦寺の境内、つまりはゴールであるにもかかわらず、そちらには向かわず、なんと、引き返していったのだ!!
 
えぇぇえええ!?
 
おれらが何時間もかかってようやくたどり着いた山道やど。
3時も過ぎていたので、今から引き返したら、下手をすれば遭難である。自殺行為やど。
 
ちょっと、彼は何者なんや?
(「飛び込み」はないから相応さん関係者ではあるまい。)
 
「言うてええか?…俺が思うにな…お、鬼ちゃうやろか?」
また仏友が物騒なことを言い始めた。
 
ほほえみの彼は、寺にある結界を前に、入りたくともそこを越えることができない。
だから、同じ場所をぐるぐるまわったが、遂に途方に暮れて引き返したのだ。
なるほど。確かにロマンはあるが、その推測は外れであろう。
 
私が下した結論はこうである。 
「やつは役人である」と。
 
先のさらぴんの看板を東海自然道に、刺しまくっているノンキャリアではあるまいか。
 
そういえば聞いた話がある。
電力会社といえば聞こえはいいが、ノンキャリアは田舎の電柱の配線工事なんかで山小屋に泊まることもあるのだという。
 
彼は環境省の木っ端役人として、日夜人知れず山道を走破しているのではないか?
 
がんばれ、役人!
 
ただ、やっとの思いでたどり着いた鳥居から、さらに寺は遠かった。
1時間弱は歩いたか、いや登ったと言うべきか。
延暦寺と簡単にいっても、とてつもない広さである。
いやはや、大晦日だというのに、本当の地獄であった。
 
それだけに、無動寺についたときは感動が全身からこみ上げてきた。
「無動」と名付けられのは、ここに着いたらもう体が動かない(無動)だからだ。たぶん。
 
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おぉおおぉお!
ついに!ついに満行じゃ!!(何も修めてないけどな。)
 
これで、天台修験の三大聖地の制覇が相成ったのだ。しかも、本堂の横には今回の我らの「納め地獄」の根本テーマであり、恋い焦がれた天台修験のレジェンド、相応和尚が立っておられるではないか!
 
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感謝の念で、2人で頭を下げた。
 
ここまで見守って下さり、誠に有難うございました。
(鬼にも食べられずに。)
 
こうして我々の2016年の「納め地獄」は、無事に幕を閉じたのでありました。
 
 
無動寺明王堂
 滋賀県大津市坂本本町4220
  坂本ケーブル・延暦寺から徒歩11分
  ☎0775-78-0450
 
 

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