なつかし寺めぐり(2016年3月・大阪市・愛染堂など)

ひょんなことで、相撲に行くことになった。大阪場所である。
初日前日に「土俵祭」なるものが開催されている。
その名の通り、新たに土俵を作る際のお清めの行事で、正真正銘の神事である。
大阪場所は、両国と違い、行事ではなく、宮司さんを呼んで行う。
土俵の真ん中に米や勝ち栗などの縁起物を鎮め、五穀豊穣や力士の安全を祈祷する。親方だけでなく、横綱らも参列し、張り詰めた空気の中なかなかの厳かな儀式である。こんなものがあるとは、今まで知らなかった。 
 
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せっかくだからと、近くの谷町くんだりを散策してみた。
懐かしい寺に出くわした。
応典院である。知る人ぞ知るの寺である。
何が有名って、住職である。その名は秋田住職。得度前は、情報誌「ぴあ」に就職し、そこから脚本家としてパンクな暴走族を描いたカルト映画「狂い咲きサンダーロード」などの名作を世に送り出した。
その経験をもとに、1997年から応典院で数々のイベントを手がける。
昨今はやりの「イベント寺」の嚆矢である。
かくいう私も円飄と、20年ぐらい前に訪れ、脳天に撃鉄を食らわされた。どんなイベントかは、覚えていないが、あの秋田老師の人を刺すような視線は忘れない。ここまでの冷徹な覚悟で、寺をやっているのかと、すさまじさを感じた。この経験があったから、MONKの活動があったことは間違いない。
残念ながら、約束もしていない中で無粋に訪問する勇気もなく、ただ変わらぬ素っ頓狂な建物に、初心を思い出した次第である。
 
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ついでだから、あそこにも行こうと思い立った。
松屋町筋を南に行くと、東にのぼる細い石段がある。
源聖寺坂である。
寺町を貫く小道は、コテコテの浪速にいることを忘れさせてくれるほど、趣がある。
 
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右を見ても左も寺である。
寺をつたって、赤い門が現われる。愛染堂である。
勝鬘院ともいう。6月30日から行われる大阪最初の夏祭り、「愛染まつり」が行われることで知られる。このときに、愛染明王がご開帳される。これを暇をもてあましていた大学時代に、友人3人と見に行った。それは覚えているのだが、境内を歩いても、そのときの景色が皆目浮かんでこない。
ただ、1597年創建とされる大阪市最古の建造物という多宝塔は重厚感があって、青空に映えている。
 
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高野山のコテコテな感じより好きじゃな。
 
はて、境内に小さな祠があった。大力金剛尊という。来歴が面白い。
説明書きを読むと、これは大阪市天王寺区出身の26代横綱・大錦が満州巡業の際に中国から持ち帰ったものだという。横綱とは、さきの土俵祭りの神様の導きか。
 
この大錦は、異色の力士だった。失礼ながら、頭が良かったようで、ローマ字で入門願いを書いたという。175センチという小兵ながら、スピード相撲で1917年に横綱にまで昇進したが、角界のストライキ問題で、1922年に自ら髷を落とし、引退。親方になることもなく、廃業し、早稲田大学政経学部に入学し、その後は新聞社で相撲の評論を書いた。葉巻を吸うダンディーとしても名をはせた。彼が大事にしていた仏像がここにまつられている。
 
寺巡りで少し感傷的になりつつ、友人の寺に泊めてもらった。前には涅槃仏がまつられていたが、本尊さんが、新しくまつられていた。こちらも中国の有名仏師が彫ったという愛染さん。なんでも今は、日本より中国の作家さんが仏教界を席巻しているらしい。だから、精巧にできている。
大学時代に見た浪速の愛染さんもそんなものであったか。そういえば、愛染堂の大力金剛尊も中国から持って来られたモノ。こじつけが過ぎるが、これも奇縁じゃのう。
 
 
応典院
 大阪市天王寺区下寺町1-1-27
 地下鉄堺筋線・日本橋から徒歩7分 
 ☎06-6771-7641
 
愛染堂
 大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
 地下鉄谷町線・四天王寺前夕陽丘から徒歩3分
 ☎06-6779-5800

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