我々の地獄巡りは、赤子の歩みで進み出したが、書き手が遅々として進まない。
今、ボストンというロックバンドの『アマンダ』という曲を聴いている。繊細なメロディライン、哀愁漂う名曲だ。このバンドとて、この曲のアルバムを出すのに、8年かかっている。執筆も同じ。それなりの時間と作法が必要であろう。我が愛すべきアーティスト・運慶はじめとする仏師たちも仏を彫る前に、材料の木に経を唱え、魂を注入して作業にかかった。
ここは、いにしえの道に従おう。我は数珠をつけ、黙して禅を組んだ。CDは『チベタン・ブッディズム~チベット仏教音楽の神髄』。世俗の垢を葬り去ってから、筆を執ることにしよう。脳味噌が昇天するほどに、大きく息を吸い込むと、冥界からの呻きのような重低音が五臓六腑に染みわたる。忘却の彼方にあった、1月前の地獄が眼前によみがえってくる。
近江に向かった。かの司馬遼太郎は近江を愛した。「下り列車が関ヶ原盆地をすぎ、近江の野がひらけてくると、胸の中でシャボン玉が舞いあがってゆくようにうれしくなってしまう」とある。我々も近江を愛する。京都という絢爛たる文化の中心の周縁にして、中心になりえなかったくに。古くは大津京にはじまり、信長の安土城、そして信楽には大仏が計画された。しかし、すべてが頓挫した。そこにはいにしえよりの静寂さだけが残った。石田三成の居城・佐和山城の天守跡地には「兵どもが夢のあと」とある。あと・・・。そう、ここには京都のような喧噪はない。しかし、歴史は近江の地にしみこみ、地下ではグエンの炎が渦巻いている。炎に巻かれたまう。
草津の駅を降りると無情にも雨だった。山に向かうというのに、仏は我らに試練を与えたもうた。雨に洗われた緑の稲穂がすがすがしい。のどかな田舎道をバスは進む。雨は降っていたが、我々とて計画を最初から、諦めるわけには行かぬ。雨天決行、行軍、進行。相方(円瓢)がつぶやく。「どこかでみた風景だ。」いきなりのデジャブか、こんな田舎で。もしぞや、こやつは前世は落武者か何かのたぐいで、その記憶が地獄を呼び込んでいるのであろうか。
井上というところで、バスを降りる。しかし、依然雨は止まない。濡れるがまま、落武者の記憶を頼りに坂を上ると、豪奢な家に出くわした。「おばの家やで。」これぞ、仏の助け。蜘蛛の糸。一時避難じゃわい。
なんでも、この家は有名な調教師(もちろん馬の)だそうである。なるほど、ここは栗東である。おばなる人に通してもらう。相棒の血が絡む人間だけあってかなり濃い。綺麗な家に似つかわしく、壁に古ぼけた競馬の記事がはってあった。調教した馬が勝った記事だ。名前は忘れた。おそらく有名ではない馬だ。
話をしていると、うちの会社の方々もお世話になっていたらしい。「あの人には、うちの旦那がゴルフを教えたわ。」あの人たちもこのおばはんにかかれば、形無しである。あけすけな性格で、嫌みがない。なかなか強烈なキャラだ。高邁な我々の計画もこの人にとっては、あほ扱いである。まあ、ここまであっけらかんといわれたら、スッキリする。
気前は良かった。誰かのお土産であろう、さつまあげが出てきた。これが醤油をつけると絶品。山を登るというのに、ビールまで勧められる。ひっく!いい気分だぜ。ほろ酔い気分に、窓を見やると青空が見え始めてきた。満腹に酩酊。気分良く、我々は出立した。それが地獄の一丁目だということは露知らずに。
「金勝」と書いて「コンゼ」と読む。我々が向かうところは、金勝アルプス呼ばれるところで、ちょっとした登山道である。ただし、道の駅方面は車道が整備されており、きれいに整備された階段まである。ふるさと創生金たら、山奥のボスざるが掲げたバブルの遺産で建てられたものである。悪態をつきながら、階段を上っていくが、我々はこれが第一の地獄であることに気づく。
飲酒のあとの登山である。見る見る間に、大量の汗をかき、心拍数が速くなってくる。汗もひょっとしたら、冷や汗であったか。尋常でない疲れ方をしながら、重たい足取りで石段を踏み越えていく。飲む方も悪いが、飲ます方もこれいかに。
何でもない坂道が、雨は降る降る(今は晴天になったが・・・)じんばは濡れる越すに越されぬ田原坂だ。(西南戦争時の熊本城下の激戦地で薩摩・官軍あわせて1万以上の命が失われた)息絶え絶えになりながら上っていたのだが、いきなり吹っ切れたように体が軽くなってきた。仏の助けか?いや、単に酒が抜けてきたのである。我々は悟った。仏は我々に試練を与えたもうた。宗派は違うが「求めよさらば与えられん」である。地獄を求め我らはとりあえずは、乗り越えたのである。相棒はこのごくごく単純な神秘体験に感動して、これからの地獄巡りには酒は必要だと、熱弁した。打って変わって、爽快感に包まれながら、山道を急いだ。のんきな道中である。まだ登山道の入り口なのに時計は3時を差していた。
第一の目的地・金勝寺に着く。800年代の山寺で、軍荼利明王が安置されている。素朴なつくりの仏である。金勝寺は初代の東大寺別当の良弁によってつくられている。ガキの時にタカにさらわれ、わざわざ奈良の春日山の大杉の根本で発見された。そこを通りかかった僧正に育てられて名僧になった、という話がある。今も東大寺の二月堂に良弁杉なるものがある。
だが、この良弁ただの僧でなさそうだ。彼は百済の帰化人の子孫とされる。この地には、金勝族という青銅つくりを生業とする集団がいた。良弁は渡来人直伝の技術と富を使って、彼らを統率したと考えられている。単なる秀才だけで東大寺別当までなれたわけでない。まだ、道は続く。タカよ、我らを高みに運びたまえ。
遠方に近江富士が眺められる。均整のとれた美しいプロポーションをした山だ。耳岩・国見岩・重ね岩など花崗石の奇岩群が広がる。山に荒野があるとすると、この風景だ。昔ここを根城に修験者たちは何を思ったことだろう。荻原朔太郎が詠んだ犬になりたいよ。遠く高く、そして孤高に咆吼してみたい。それを察してか、友はここで一喝した。雷鳴が轟いた。(ホンマやで)我々は無邪気に喜んだ。太古の民が雨乞いに成功したときのように。しかし、よく考えてみると、危険が迫ってきているのである。
道案内は奇妙な仏に導いている。その名も「茶沸観音」。そんな仏聞いたことないぞ。こんな山奥とはいえ、登山者への心ない配慮か、観音さんのボタンを押したら、お茶が出てくるなんてバカヤローな休憩所なのか。その仏は、おぬしがたの目で確かめろ。絶大なる仏の助けがあるに違いない。案内板にこうある。「不思議な・こともある」禅問答のような言葉に、相方と共にぶっ飛んでしまった。
「が」ではない。「も」である。「あるかもね。ないかもね。」と来た。仏には頼れ。でも頼るな。空観が光る。円瓢がつぶやく「希(こいねが)え。しかし、乞い願うな、やな…。気に入ったぜ、この仏!」なるほど。
仏への道のりははるかに遠い。山ひとつ登ったくらいで何が悟れよう。そんなことは、期待するな。あればあったで、良いではないか。「不思議なこともある」この仏に向かって、心から祈ろう。功徳など考えずに無心に祈るのじゃ。その願いは叶えられるか知る由もない。しかし、無心の願いの彼岸に、不思議なことがあればそれはそれで良いのではないか。地獄巡り第1番札所は茶沸観音に満場一致で決定した。
後日、我々は「茶沸観音」なるものを調べた。「身代わり不動」というものがある。その名の通り、自分の身代わりをしてくれる不動明王である。不動明王は元来、大日如来の従僕なので、それが転じて人々の艱難辛苦の身代わりをしてくれるという説話が生まれた。これらは修験山伏らによって世間に広められる。これが、民衆に身近な地蔵や観音に結びつき、平安時代末ぐらいから身代わりの説話が語られていく。
例えば、田植えを熱心な信者に代わってやったという「泥付地蔵」、戦場で身代わりになってくれた「矢取り地蔵」などいろいろなバージョンがある。僧侶や山伏のイマジネーションとセンスが競われたに違いない。「茶沸観音」なるものは、この山の悪路に迷って路頭に伏していた山伏に、人間に成り代わった観音がお茶を施し、九死に一生を得、大成した山伏がお礼にこの仏をつくった、という説話ではあるまいか。「困ったときの神頼み」されど、そのこころは「不思議なこともある」である。いとおかし、「茶沸観音」であった。
山を下る。しばらく行くと、そこに異空間が開ける。山中に忽然と現れる神的空間。自然のドームの中にわれらは仏に包囲されてしまったのだ。ここぞ、狛坂廃寺の奥の院。前方の5m強の巨岩には阿弥陀如来が優しい顔を見せてくれている。両脇に仏を従える三尊像。静寂の中、異様なゲニウスロキ(場の醸す雰囲気)を感じる。動かぬ仏からハーモニーが聞こえる。それは、背後の小仏からも繰り出され、重層的に我々を囲み、そして愛撫する。友は中国産24金の観音を磨崖仏の前に安座させ、心経に続いて真言を唱え、魂を注入した。何でこやつはこんなに本格的なのか。おそらく、猪木の張り手より強力であろう。ともかく、素晴らしい自然の伽藍である。修行者が山道を駆け上がり、この光景を目にするならば、それは仏以外の何物であろうか。
忘我の中にも時は過ぎゆく。暗いと思ったら、何時やねん。地図によるとまだ1時間半も歩くらしい。もうとっくに、4時は回っている。嗚呼、10年近くも前のあの忌まわしい想い出がよみがえる…。
あれは、我々が高校の時であった。相方・円瓢の家の近く、箕面の山を登ろうとなった。行きは良かった。山頂に着くと、薄明かりの空であった。しばらくすると、星が輝きだした。山から見る星は最高であった。遮るものなど何もないのだから。「お前の家は近くにいいとこあるなあ」と言っているうちは良かった。そこで当時奴が熱心に勉強していた「立禅(たんとう功)を教示してもらった。証拠写真まである。で、下山である。もちろん、真っ暗闇である。
それこそ、闇の奥だ。都会育ちの私は真の闇に本当にびびった。前に伸ばした自分の手が見えないのだぜ!?『高校生裏庭で遭難』…。そんな見出しが情けなくも脳裏をかすめた。が、そこは相方見上げたものである。箕面の猿としての血を生かし、見当もつかない山道を下っていく。雲をつかむ思いでやっとの事で生還した…。もう10年以上も前のことになるか…。
その不安を金勝の山で漏らすと、「俺もその時のことを思い出してたわ!」とやっこさん微笑む。とことん不動の心である。「地獄を巡ろうぜ」などという玉である。なにをか言わんである。
とはいえ、周りは闇で雨もまだ止まない。さらには肩まで伸びるシダ原生林の下り坂。誰も思わないだろう、まさかこの悪天候の夕暮れに、こんなマニアックな山をまがい佛との出会いで心温まった酔狂青年達が、遭難の不安と楽しく闘いながら下っているとは。
とにかく急いだ。何でこんな目にあっているのであろうか。好んで始めたこととはいえ、我らは自らドツボの道に沈み込んでいくのであろう。いつものことだ。
シダの群生をかき分け、我々は進んだ。状況は近似しているとはいえ、ここは勝手の違う場所。金勝族の跋扈する外魔都なのである。1時間歩いた。今度はさすがに道草を食う余裕もない。シーズンを過ぎた人っ子一人いないキャンプ場が見えたときは、「ああ、文明だ!助かった…」と思った。そう、我々は生きて帰ってきたのである!!
現金なもので、人間は苦しみから開放されると、今までの苦しみなど遠い過去のように振り返ってしまう。滅多に来ないはずなのに少し待てばすぐに来たバスに揺られながら、我らは地獄を克服した満足感に酔いしれていた。
● 金勝山、侮り難き修験の道 (以下は円瓢によるポイント・サマリー)
総行程は約5時間。徒歩は約3.5時間。
○ 電車の中
* 安倍晴明と芦屋道満、陰陽師の系譜
* ブームを作るのは博物学者(あらまた)でなく小説家(夢枕)
* 漫画でころりと引っかかる→将来使えるかも
* 琵琶湖湖畔は「outsiderお隠れ気質」がほの隠れしてイカス
* 司馬遼太郎もその「shade性」に惚れたのではないか
←→ 京都の「魔都」は燦燦/惨惨たる「light/shadow性」と説く
○ 草津駅からおばの家へ
* 平和堂で昼飯調達、我等の「パンク性」の衰えぬこと知り喜喜
* 金勝族必死の「琵琶湖水量豪雨作戦」で我等を足止め
* おば家は井上にあり、彼女は動物付きの漫才師
* 猫は借りられてるのは1日だけ、明くる日からはテーブルで昼寝
* 鹿児島名物は醤油で食うとうまい
○ ナンダサカ地獄のつづら坂
* ビールはあれだけ体に負担なのか、酒を控える気持ちが出た
* ふるさと創生1億円、やっぱりろくなところに使われておらん
* お遍路さんはえらい。やはりhardcore仏教徒や
* 翌日、ふくらはぎは思ったほど痛くないが、太股前面が痛い
○ 金勝寺、800年代の山寺
* 木戸が開くのはええが、ガラス戸も開けてくれい
* 昔の寺跡の礎石にて心経を一本、1ドルChinatownに気を込める
* グンダリ明王とはこれまた珍しく、素朴な造りがイカス
* 昼でも一人では恐い、夜なら確実に出んでええもんが出るな
* もう3時過ぎてるのに、まだ第1ポイントとはいかに?
* 空石、変な杖を拾う
○ 登山道の入り口まで
* とにかくえらいしんどいアスファルト固めの急坂
* 急激な発汗でビールも抜けるわい
* 近江富士(らしき山)見える
* ようやく出た!が、実はここから…ちいと不安がよぎる
○ ~八大龍王
* 眺め最高
* そろそろ一声吠えるころあい(A.A.ミルンの「くまのぷーさん」参照)
* 喉が渇くも飯を食い、メントスで唾を出す凶行
○ 耳岩・国見岩・重ね岩など
* どっか忘れたがえらい素晴らしい展望
* 稲光を遠くの山に見、感動、しばらく観察
* よく考えると危険と気付き、先を進む
○ 茶沸観音、大ブレイク
* 独自のマントラ、「不思議なこともある」に感激、爆笑
* 思わず写真をとり、騙された
○ 大感激の摩崖仏
* その素朴さとでかさに感動!苦労してきた甲斐があった
* その場所一帯がまさにゲニウス・ロキで異様な静寂
* 1ドルChinatown数珠、中国産24金観音を心経で祈願
* しばらくただずむも、日没の危険を察し帰路へと
○ 帰路
* 「1時間半で人里」にびびりながらも、すごいペースで駆ける
* 結局50分ぐらいで下りる
* しだの群生に阻まれるも、切り開く(ハイキングとちゃうわい)
* 「箕面の遭難」を笑顔で語る摩訶不思議なる余裕
* 茶沸観音のマントラを吟味する
* 第2名神のインター工事に遭遇、まじで山に横穴開けてた
* アスファルトになってからが実は長いのです
* 上桐生とかいう場所に参上、バスにて草津駅へ