翌日、連れと飲んだ。
彼は「生駒はやっぱりええ。ホッとするというか、心が洗われる」と宣う。
ふうん、そんなものかね。
そういえば、私も縁のある聖天さんを祀る宝山寺には、
しばらく行けてないもんなぁ。
こりゃ、「顔見せぇや」ということなのかしれん。
霊山だけに、怒らせんうちに行っとこ。
ということで、実家から近い生駒山に向かった。
いきなり生駒山といわれても、「はぁ」という向きもあろう。
説明すると、大阪府東と奈良県西に位置する641メートルの山である。
この何の変哲もない山が、実に奥深いのだ。
仏教学者の中沢新一が『ブッダの方舟』の中で話しているのを引用する。
「たとえば生駒山などに行くと、全く変な人がいっぱいいる。(中略)もう開け尽くしたように見えるけれども、不気味なんですよ」
SF作家・夢枕獏との対談でも、現われるぐらいの聖地というわけです。
実は、「生駒はいい」と話した連れは、生駒山で滝行をやっておる。
ここはもと行場として、修験道の霊山として知られていた。それが、宝山寺で商売や愛欲をつかさどる聖天さんが、江戸庶民の人気を博し、色街が形成される。かと思えば、太平洋戦争前に、大阪寄りの登山道は在日韓国人らのお寺ができて、アジールみたいになっている(今はかなり寂れているようだが…)。まさに、玉石混淆で、中沢氏がのたもうたように、「不気味」なのである。
まあ、初心者には近鉄・生駒駅からの入山を勧める。
ここなら、子供さんを連れても登っていける。
ホレ。
破天荒なケーブルで、鳥居前駅を出発すると、すぐに宝山寺駅に到着する。いやぁ、何度も来たなこの感じ。参道の両脇には、純和風旅館がある。
ただ、いつもながらひなびた雰囲気。人が泊まっている気配はない。そら、遊郭だもん。呼べば、おねぇちゃんが来てくれると、HPなどには書かれていたが、そんなことは過去の話じゃないのであろうか。麓から呼ぶにしても、こんな山の中まで、何時間かかるんだろうか?
でも、目を移せば、少ないながらオシャレな飲食店もあるやんか。
なになに、絶景を眺めながら、カレーなどのアジア料理が食べられるのか。ちょっと近代化してきたな。と思っていると、ひげを伸ばし、ターバンを巻いたインド人とおぼしきおっちゃんが、「チョット、スミマセン」と、道を闊歩している。聖天さんは、象の頭を持つガネーシャ(ヒンドゥー教の神様)が起源だから、インド人がいるのかも。
ホント、よくわからん山だこと。
栄えてるのか、寂れているのか皆目見当のつかない。
勾配が急で、短い参道を登り切ると、両脇に凜とした杉と石灯籠が並ぶなだらかな石段に至る。いつも来る正月と違い、さすがに人はまばらだ。
とはいえ、それでも人が途絶えることはない。歩けば、汗が噴き出す8月の暑いさなか、ケーブルか車でしか来られない山岳寺院である。
こんなところにも、人は祈りを捧げに来る。さすが、功徳が強いとされる聖天さんの聖地である。
聖天さんと呼ばれるが、宝山寺のご本尊は、不動明王である。
ここは役の行者や空海も修行した霊山だが、江戸時代に湛海が、不動明王に導かれ、生駒山に入山。そのため、不動明王が本尊となった。
有名な聖天さんは、鎮守の神なのである。
だから、一番大きな本堂では不動明王が祀られている。
お盆ということもあり、ここで先祖供養を済ませ、隣の聖天堂へ。
現在工事中で、来年までかかるらしい。
それにしても、この屋根がなんとも魔境感を漂わせている。
中に入ると、たまたま僧侶が定時の読経を行っていたので、
一緒に手を合わせた。
お堂にすがすがしい一陣の風が通った。
日差しは強いが、涼しさも感じる。もう秋の気配である。
何とも心地よい。
生駒山とのちぎりを確認し終えて、帰路につく。
石畳をつたい、宝山寺の駅前に『かき氷』との看板が目に入った。
かき氷を食べたいわけではなかったが、コーヒーぐらいは飲めるだろうと、
のれんをくぐった。
そして、目を見開いた!
窓の向こうには、絶景が広がっていた。
下界と違い、雲がもう手に取れんばかりの近さに感じられるのだ。
いや~とかなんとか言って、客がいないので、特等席で足を伸ばした。
「そこは松坂慶子さんが座られたところなんですよ」
女将さんというか、店の奥様が教えてくれた。
なんで、あの大女優が?
「あの『男はつらいよ』の映画を撮ったんです」
へぇ、寅さんはわざわざ生駒にまで、テキ屋をしに来ていたんだ。
でもいいところを選んだ。
山田洋次監督もイキなセンスをしておられる。
調べると、『男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎』というタイトルであった。
1981年にシリーズ27作目の作品として撮られた。
実家で見ると、これがまたいい映画。こんな人情ものは、最近白々しすぎて、世に出ることがないもんね。
簡単に説明すると、フーテンの寅さんが、大阪に行き、そこで芸者の松坂慶子に知り合い、意気投合。最後は、ほろ苦い結末に終わるというお決まりの筋書きだ。でも、これは偉大なるマンネリズムやで。
不器用でいて、寂しがり屋で、でも見栄を張っちゃうっていう寅さんは、
昔どっかにいたおっさんなんだろうけど、
今や絶滅種やわなぁ。
寅さん役の渥美清は、68歳の若さで1996年に亡くなるが、
その実像は、役柄と正反対で、口数少なく、プライベートが公になることは、ほとんどなかったという。だからこそ、寅さんという永久不滅のキャラクターが、形も変わらず、今もなお日本で愛され続けている。
寅さんが松坂慶子と石段を登るシーンがある。
そこで寅さんが故郷を語る。
「俺の生まれたところにも、柴又って似たところがあるんだぜ…」
寅さんが産湯をつかった東京の葛飾帝釈天は、帝釈天を祀る。
聖天さんと同じく、天部の神様(仏教以外の神様が、のちに仏教に帰依した神様)を祀っている。
一度は詣ってみたいものである。
次の日は、両親のおじい、おばあの墓参り。
そのあとに、石切さんに行ってみた。
正式には、石切劔箭(つるぎや)神社という。だが、大阪人は100%「いしきりさん」で言い習わす。
生駒山の大阪側の麓にある。
いまは新しい電車が通り、新石切という駅からすぐである。
「腫れ物」の神様として知られている。
実家が近く、いつかの正月におやじが足が痛いとわめきだし、
2人で石切さんにお参りに行ったことを思い出す。
それ以来だから、20年近くぶりである。
いきなり本殿の前でたまげた。
これがうわさの…。
言葉には聞いていたが、「お百度を踏む」ということが、眼前で繰り広げられていたのだ。人はまばらだったが、先がすり減った2つのお百度石の周りを、信心深い方が、一心不乱に無限円環している。
わしもやらせていただこう。
社務所では、志納で白いこよりがもらえる。
回数を数えるためのもので、100本の糸が結んであり、1回廻るごとに、
それを1本ずつ折っていく。
やってみると、軽く宗教的陶酔に浸れる。
もちろん、そんな軽い気持ちで祈っていたのではないのだが。
1時間ぐらいかかった。
おそらく地元のかたは、毎朝という御仁もおられるのであろう。
でも、このラジオ体操の延長のような気軽さが、いいのであろう。
石切さんは、お百度で全国的に知られているのだという。
本来は、100日間地元の氏神さんに、願をかけるのがお百度参りの始まりだったらしい。それが時代とともに、簡略化され、この形に収まったという。
あまり神社には来ないので、知らなかったが、これは立派な宗教行事だ。
それもプリミティブな匂いのプンプンする。
国家神道の臭気が一切ない。
しんどいつらいで、測るものではないが、この疲労感を思うと、
神様が願いをかなえてくれる気がしないでもない。
実際、お寺の宗教行事というもので、身体的な苦労を強いられるのは、座禅ぐらいか。でも、世間のかたは、そんな時間を持つこと皆無なので、
勢い本堂や仏像の前で、ちょいと手を合わせて、スッと帰る。
手間がかからないという点ではいいのであろうが、
あまりにもお手軽すぎなくないか、という危惧もある。
お百度だと、下らぬ願いをしていると、
「あ~、こんなこと願っても仕方ないなぁ」
とか、自分を見つめ直す心も現われてくるだろう。
そこに、わずかながら自己省察が生まれるかもしれない。
解決法も自分で沸き上がって来るかもしれない。
そういう意味では、1時間もかかるお百度という宗教行為は、
絶対残しておかなければならない風景だ。
すがすがしい気持ちで、生駒駅に向かって、参道を歩いた。
いや、生駒の奥の深さは、ここで終わらないんだね。
細い参道は、宝山寺より長く、くねくねと続いている。
わかりにくくて恐縮だが、
両脇をタロットだの、霊感だの、占いの館が固める。
平日の5時過ぎなので、ほとんどの店は閉まっていたが、
ときおり、店の奥に陣取る占い師の鋭い視線が、刺さってくる。
つまり、石切さんはお参りと占いがセットになっていて、
お百度で汗をかいた帰りは、占いで疲れを癒やしていくのではあるまいか。
20弱のお店があるということは、土日などは生計が立つぐらい人が来るのであろう。このなんとも言えないまがまがしさこそが、霊山たるゆえんである。
喫茶店に入ると、ご主人がコンサルらしき社員と商談していた。
「最近はロシアからも問い合わせが来るんですよ」
こんなところまで、ロシアの民が押し寄せるのか?
これこそ霊山が持つ引力。この山は寂れてなどいない。
新たな民を抱き込み、進化していくのだ。
おそるべし生駒山である。
宝山寺
奈良県生駒市門前町1番1号
近鉄・生駒駅からケーブルで宝山寺駅下車、徒歩10分
電話 0743-73-2006