病は気から?(2024年5月・京都・清聚禅院)

 晴天なのに気の重い日曜日である。早朝から雑巾を手に、家から近い田んぼの中にある公民館へ。集落の清掃活動である。公民館はまだ新しく、コロナもあり、あまり使われていない様子だ。あまり汚れているところもなさそうだ。窓や床を30分も拭き拭きして、作業は終わってしまった。

 その後は無造作にイスが並べられ、ペットボトルのお茶とおかしが出てくる。続いて途切れ途切れの団らんタイム。掃除よりはそちらが主目的のようにも思える。

 午後は天気がいいので京都市内に。JR二条駅からあてもなく歩いた。「カレーが食べたい」と思い立ったので、次の丹波口駅を目指した。金沢名物の「ゴーゴーカレー」があったはず…。東山当たりの京都と違って、西の辺りはインバウンド目当てのホテルや土産物屋がなくて心地よい。生活臭を醸す住宅が並んでいる。庶民の京都がここにはある。
 暑くはなかったが、少しぼおっとしてくる。軽い頭痛もしてきた。思い当たるのは掃除後のランニング。無理はしていないつもりだが、軽い熱中症になったか。映画を見ようとも思っていたが、体が持ちそうもない。京都駅を目指していたが、再び丹波口方面に引き返した。

 自転車屋やインド料理屋が並ぶ通りをとぼとぼ歩いた。ふと見上げると、建物の間から青銅製の観音様が立っていた。「頭痛退散でもお願いして帰ろうか」と小径を折れた。なにやらゆかしげな表札。うねりにうねったアートのような文字が門にはりついている。個性的なのと、字が難解で読めなかった。あとで寺院の名前「清聚禅院」であることを知った。


 門をくぐると、植え込みの間を細い石段が伸びていた。境内というほどの広さはなく、すぐ左手に本堂がある。網戸越しに阿弥陀さんらしき下半身がのぞいた。観光寺ではなく、檀家寺の風情。入ろうかどうか迷っていると、中なら「お入り下さい」と声がしたので、安心して靴を脱いだ。
 目に飛び込んできたのは、達磨のぎょろ目と、アートな文字群。襖絵をよく見ると、達磨図にはお茶目なハートマークもある。住職が描いたのだろうか。机には使い古された絵筆と絵の具が転がっていた。しばし頭痛を忘れて、心が高ぶった。はじめは奥様が対応してくれたが、あとから眼光鋭い作務衣の僧侶が登場した。作者は彼に間違いない。

 役者のような野太い声で、寺の歴史が開陳された。江戸時代の創設らしいが、詳しいことはよくわからないともいう。ただ「聚楽第の『聚』の文字をもらうくらい由緒がある」とのことだった。
 「京都生まれ、京都育ち」と言うので、「リアル京都人か」と身構えたが、「岐阜の多治見で修行していた」とも明かすので、当地にゆかりがある小生は親近感を抱いた。さらに自らを「変態ですから」と言われる。ますます身近に感じるではないか。いろいろ話したが、かなりな防戦。京都人特有のいけずを超越した、悪辣のさらに上をいく毒舌トークが心地よかった。京都人が聞くと、怒りだしそうな話もあったが、いちいちに納得。ここでは割愛させていただく。

 お互いの田舎話(南丹市と多治見市)をしていると、流れで「庭の木はいかに手入れするか」という剪定トークになった。住職は「修行寺で習った」というノウハウを偏執狂的な丁寧さで教えてくれた。「枝切りばさみは長ければいいってもんじゃなくて、120cmぐらいがちょうどよくて、力が入る」とか、「アマゾンで枝切りばさみを買ったら、安く買えるけど、少し高い方がいい」とか、細かすぎる親切なアドバイスをくれた。

 家に帰って寺の情報を探していると、あの絵心満載の住職の御朱印が評判らしい。SNSでは愛好者がしきりにアップしていた。余白がなくて、「手抜きはなしじゃ!」と迫ってくるような作品。時間もかかるのだろう。よくある書き置きではなく、渾身の1枚が支持されるのであろう。

 絵もいいが、「字も素晴らしい」と感動を伝えると、「菩提達磨大師」と書かれた名号をくれた。「気」がみなぎっている。「ツアーで渡す予定だったけど、なくなったので、いいですよ」。本当ですか?! 幾ばくかのお布施は置かせていただいたよ。
 先ほどの襖絵だが、目をこらすと、小さな白いテープが貼られている。「子どもがおもちゃで穴を開けたんですわ。悪いことしよる」と高笑い。住職のトークはマシンガンだが、子どもの鉄砲にはお手上げのようだ。

 頭痛で吐きそうなぐらいだったが、住職の情熱的な語りに1時間はあっという間に過ぎた。気がつけば、子どもを迎えに行った奥様が息子と帰っていた。病なんか気合でどうにでもなるもんじゃい。  

 「今度来るときは、教えてくれた通りに刈った木の写真を持ってきますわ」と、最後の力を振り絞って一礼。洛中の寺をあとにした。 楽しいときが終わると、頭痛がぶり返す。経口補水液を一気飲みした。
 住職のたたみかけるような説法はハードパンチだった。漫画「あしたのジョー」でパンチドランカーになったカーロス・リベラのような重い足取りで家路についた。