朝の勤行はAM6:30から。ということは、準備をするお坊さんは、もっと早起きをせねばなりません。その上、住み込みの彼らは、近くにある高野山大学で授業を受けるのです。遅くまで騒がれたらたまったものじゃない。これこそが、消灯が異様に早い理由なのですね。
さて、すがすがしい朝の勤行を終えると、続いて護摩焚きがあります。毘沙門天の護摩壇で、火がくべられ、真言や陀羅尼が唱えられ、ミステリアスな雰囲気が最高潮に。この宿坊に外国人客が多いわけが理解できます。カメラOKなので、彼らのフラッシュがバシャバシャとたかれます。勤行ができる宿坊は多いのですが、護摩焚きとなると少し珍しい。いいお宿をいただきました。合掌。
美味なる朝食を頂きまして、少しこんな感じでメールチェックします。いまどきの宿坊ですから、WiFi(無線LAN)の電波はきちんと飛びまくっております。宿坊の方に聞けば、すぐに利用の仕方を教えてもらえますよ。
朝が早かったので、もう一度奥の院に向かいました。仏友曰く、「高野山に1泊したら、最低2回は奥ノ院にいかんとあかん決まりがある」のだそうです。むろん、仏教オタクにとっての決まりなんでしょうけど。
そしたら、神秘的な瞬間に出くわしたのです。2人の若いお坊さんが、なにやら担いで、弘法大師のお廟に入っていきました。お大師様が食べられるご飯です。2人のお坊さんが棺の棒を担いで、駕籠のように神妙に運びます。午前6時と午前10時半が食事の時間だそうです。ホントにグッドタイミングでありました。
帰りに、参道に司馬遼太郎の石碑を見つけた。2008年にできたとあって、真新しさを感じる。司馬さんは『空海の風景』という本を書いており、その碑文は『高野山管見』といエッセイから抜粋ものである。
「まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」
こんな格調高い文で締められている。だが、終戦直後に、ここを訪れた司馬青年の感慨は別のものであった。「高野山の森」という小文がある。敗戦に絶望した司馬青年は、「出家でもしよう」と高野山に登った。
「やめろ、と台所の僧はいった。ちかごろの坊主はみな妻子をもっている。寺を私物化し、子供に寺をつがせる。横から好きこのんで出家遁世してきたにわか坊主に、寺があたろうはずがない、といった」
声をかけたお坊さんが、諭さなかったら、国民的作家は誕生しなかったのです。
初期の司馬さんの作品は媚びてるところがなくていい。
そういえば、お土産屋の店主も似たようなことを言っていたっけ。まあ、お金が集まるところには、この種の話はつきものなのだが…。いっそ、こちらを石碑にしてくれたら、高野山の度量の大きさを感じるのですがね。
さて、チェックアウトが済んだなら、荷物だけ置いといてもらい、さらなる探索へと参ります。
高野山に来たら、是非ともおさえておきたいところがあった。霊宝館である。小生は、ここに来るために此度の『地獄巡り』を企画したともいえる。何があるかって? 仏像ですよ! 運慶ですよ! 日本の宝がわんさかですよ! ここは新館と本館に分かれているので、お好きな方なら、最低でも1時間は見た方がいい。そして、その価値は十二分にある。
中でも八大童子立像です。キリッとしながら、何とも愛らしくて、それでいて躍動感がある。運慶の造形美は、リアリズムといわれるけど、盛り上がる肉体美とか、すごくデフォルメされているんです。それがバランスのいいこっけいさを出している。センスがいいんです。
おそらく、不動明王にはべる制多伽童子なんて、普通はこんなリキ入れて作りませんよ。それを8体も(2体は後補)作られた。「京仏師に負けたくない」という意地があったんやろうね。だから、やつらが作らない、いや作れないサブの仏にもこん身のノミを振るった。天平仏を世に出してきた奈良仏師の面目躍如やわな。
ついついこぶしをふるってしまったが、ちんぷんかんぷんな方のために、こんなページも。和歌山県立博物館が、こんなお茶目なページを作っておられる。
確かに、昨今の仏像ブームは、静かどころか大流となって、ちまたにもあふれている。ただ、運慶仏の少しうれしいところは、京都や奈良にもあるが、ほとんどが、伊豆や岡崎など、そしてこの高野山となかなか行きづらいところにおられることだ。散歩がてらにご対面できる仏様ではないのだ。比較的都会の奈良にある興福寺・北円堂の無着・世親像も、拝観の期間は限定されている。
そういえば、1月に出張で武雄温泉を訪れた。歩いていける廣福寺には、伝運慶作の四天王があるというので、喜び勇んで行こうとしたのだが、今は一般公開していないと、ホテルの方に教えてもらった。佐賀県にまで来て絶望…。だが、そういう媚びないのが、運慶仏といえるのかも。だからこそ、ご対面したときの喜びはひとしおなのだ。
いやいや、高野山の『地獄巡り』について、駄文を連ねてきたのだが、もう最終コーナーである。高野山に行っておきながら、その悪口しか綴っていないようで、どこか居心地が悪い。だが、このたぐいまれな霊場にひれ伏す心持ちに変わりはない。帰り際に見た根本大塔には、ただただ畏怖の念をいだき、手を合わせた。バスに乗ったときは名残惜しさでいっぱいであった。
またぜひとも、御山と再会したいものである。