「気むずかしい人ですよ」
鳥取県倉吉市の観光協会の方にそう言われた。家族旅行で訪ねた際、巨木のうねりぐらいを残した布袋さんやら自由気ままな作風の仏像群を白壁の館で見た。
作者は、山本竜門という仏師らしい。仏師!
寺好きとして、お坊さんには多く会ってきたが、仏師なる御仁と話した機会はなかった。強烈に興味を持ったが、「あまり工房から来られませんので…」とも言われた。
しかし、これが仏縁というものであろう。希有な機会を妻が捉え、立ち話をしたというではないか。
旅行から帰ると、私は仏像への愛情をしたためた手紙を送った。
やりとりしているうちに、こちらの仏教好きもわかっていただいたらしく、あるお願いをされた。
「わしの仏像を東北の困っている方に届けてくれんかな」
これが、原発事故の被害に苦しむ福島県に仏像を届けるプロジェクト、「笑い仏」の発端だ。当時の工房は、高台にあった。作業場に招き入れてくれると、実に歓待してくれた。
公務員に受かって上京したのに、帰りに訪れた民芸博物館で感動。
そのまま滋賀の山奥で焼き杉彫刻を学ぶことになったとか。
彫刻だけでなく、詩作などもされて、みなに推されて詩集まで出された。
見せてもらったが、それが実に味わい深く、「この人はこっちでもやれたな」と思った。
当然、仏師目線で仏像というものも教えていただいた。いわゆる仏像は儀規にのっとって制作するので、自由度があまりないとか。
いつも笑顔だった。
福島へ向かう道中は20以上の寺を経由したので、逗留した寺のことを報告すると、本当にうれしそうに聞いてくれた。それならばと、ゴールとなった福島の浄林寺には、我が相棒の円瓢とともに行っていただいた。
職人気質だった。
とにかく、彫ることが好きで、自分の作品を実の子のように愛でる。その結果、多数の仏像で立体曼荼羅を構築し、千体以上の仏像が並ぶ集仏庵を作ってしまった。空前絶後の天上世界のような空間は観光施設になりそうなものだが、そこは職人であった。
「見たい人にしか見せん」
断りはしないが、竜門さんによる仏像への詳細な説明がついてくる。
ある意味では無欲でもあった。売ってもうけたいなど、さらさらそんな気もない。
私などがフラリと行くと、「好きなもの持って行け」と彫り上げたばかりの巨大な作品を手渡す。当然「そりゃいただけません」と固辞。でも気に入った人にあげたんだろうな。
現代の名仏師松久朋琳師の外弟子でもあった。
「なぜかかわいがられてな」と笑って話されたが、松久一門は内弟子のみである。
竜門さんだけが、鳥取から通う外弟子を許されたのだという。
毎年、一門会が京都で行われる。
一門が制作する仏像は、古来より定められた儀規により作られるので、精巧だが面白みに欠ける。
言ってみれば、パリパリのスーツを着たような仏像が並んでいる。
だが、竜門さんの作品だけはすぐわかる。
にっこり微笑む円空仏のような作品は、いつ行っても遠くからそれとわかる異彩を放っている。何にもとらわれない自由な仏がそこにある。
展示会が終了すると、「持って帰るのはしんどい」と京都で納めて帰るのだ。だから蛸薬師堂(京都市中京区・永福寺)には、ユーモラスで個性的な竜門さんの作品が鑑賞できる。
年を重ねると、身体の自由がきかなくなってきた。
ノミを振るうことだけが生きがいの天性の仏師にとり、それは地獄のような苦しみだったと思う。
最後にお顔を見たのは、コロナ禍の病院のガラス越し。
顔を向けられたとき、かすかに表情が変わった気がした。
奥様は「意識はないと思うんですけど、しっかり反応してくれたんだと思います」と言われた。
僕の部屋には、集仏庵で押しつけられた小ぶりの仏像がある。
それは、福島に持って行った「笑い仏」と同様、満面の笑みをたたえている。