はぁ?神社が墓地経営!?そして宮本常一は凄いという話(2015年11月)

円瓢よ

熊本出張とは、ご苦労やったな。
熊本城の石垣の壮麗さは一見の価値があったであろう。

神社が墓地経営とは、これまた笑えるな。
ようやくこれで前近代的宗教者のケツに火が点いたわけだ。
斜に構えた見方かもしれないが、どう考えても、観光収入が行き詰まり、
金儲けのプランBに移行してるとしか見えないワナ。

そもそも家康を神として祀っていて、それを維持するためにというのは、ここからして
世間の同意を得られんよな。
そして、これまで死を嫌い、そこは寺院に押しつけていた寺が、いまさらという気もする。
本当に東照宮の禰宜らが、本気で死と取り組むのか?
生老病死をきっちりと、考え、相談があれば、そんなことに対応できるのか、はなはだ疑問である。

むしろ、神社が大事にしてきた、本地神としてのオリジンまでさかのぼり、
神社が太古からの土着宗教に基づいて、
そこを大事にしてきたということをアピールすべきであろう。
もっとも、いわゆる国家神道的なるものは、歴史がかなり浅いが…。

私が思うに、神道なるオリジンが世間に受け入れられないなら、そんなものはなくなってもいいと思う。
寺院がこれまで残っているのは、宗教的な部分(仏教)を曲がりなりにも大事にしてきたからであり、
古いから残ってるのではないからである。

興味があるのは、なぜこの禰宜が、墓地経営に舵を切ったのかだ。
おそらく経営アドバイザーなるものが、目をつけたのだと思われる。

「もっといい儲け方ありまっせ」とか…

この前の話だけど、昨今の日本は、泰然自若的な大局観がないわな。
ちょっとなにかが変わるだけでびくびくして、そうなったのは自分の不徳のなさだということをすっ飛ばしている。
ある意味、安部の一連の安保法案への取り組みは、執念を感じるワナ。
日和見的な野党の抗弁では、覆りそうもないよな。

原発はどこにいったんよ!
辺野古もどこにいったんよ!

心を取り持つ宗教界がこんなんじゃ、先は闇だな。

先日、神田の古本まつりに行く前に、こんな寺を見つけた。
1人で入るのは、怖かったので、今度行くときは、おぬしと是非。
瞑想ルームは参考になるような気が…

http://www.jurin-in.com/minna.html

古本屋で買った宮本常一「忘れられた日本人」を読んでおる。
まださわりしか読んでおらぬが、これはすごい本だぞ。

宮本は、網野善彦や中沢新一につながる土着的民俗学の巨魁ぞ。
読破したらレポートする。

あ、それと「土地を守る大家の思想~たやすく土地を手放すな!~(仮称)」の話は、
大家さんにしておいてくれ。
いづれ2人で本にしよう。だから、おぬしの実体験の写真もな。

やることいっぱいで、たまらんのう。
でも世の中は、希望で満ちておる。

ではの!