「ミツバチの羽音と地球の回転」および原発問題を考えること(2011年7月)

きのういい映画を見たわ。
「ミツバチの羽音と地球の回転」
山口県上関原発建設に反対する祝島の島民を描くドキュで
監督の肩ひじ張らないインタビューが実にいい。
しかもこの映画、昨年に作られたもので、
今や上映会は日本にとどまらず、世界でも引っ張りだこだという。

http://888earth.net/888tv.html

鎌仲監督は東京出身なので、そっちでもやってると思う。
機会あればぜひ!

トークショーも終わり、いかしたねーちゃんやなと
思っていたら、ひょんなきっかけで、一緒に昼御飯を食べることになり、
実に有意義な時間を楽しんだ。

で、振り返り、原発問題って何?

最近はこの問題について、自分なりにアプローチしている。
自分だけのことで終わらない問題やからな。
おぬしなら、子供もいることやし。
被災地にボランティアに行った人の話を聞いたりしてみた。
神戸の時から生活捧げてやってる人や、
そんな運動に否定的な人
そして実際、福島で暮らしている友人など。
意見はさまざま…(この映画もだが)。
ただ自分の立脚点はまだ見えない…。

ただ一冊の本から、なぜこうなったのかというところが、
おぼろげながら、わかってきた。
「敗北を抱きしめて(上・下)」
ピュリッツァー賞受賞の労作は、敗戦から占領期の日本と占領軍を克明に描写している。裁かれなった天皇に、戦後復帰を果たすA級戦犯、そして天皇以上の権力を持ったマッカーサーなど。そして激動の中にたゆたう民衆。よくここまで調べたなという快著だったわ。
結論をいえば、日本の戦後復興は、アメリカ的理想主義と日本人の勤勉性が奇跡的にマッチした、ハイブリッドによる『成功例』といえる。無論かっこ付きの。この過程で、理想主義的民主主義(戦争の放棄や農地解放など)が「強制的に」押し付けれら、その結果、民衆の手による民主主義が芽吹くことはなかった。

お上依存から抜け出す最大のチャンスを日本は逸した。
盛り上がった労働運動や新憲法案も冷戦の逆コースにより、占領軍に握りつぶされた。その徒労感が、経済一辺倒に日本を走らせ、その劣等感払しょくのため、何かを失った。

原発も降ってわいたものではない。

お上から与えられて、何の疑念をはさまず、いやはさむことも許されず、今に至ってしまった。
信じられないことに、原子力導入のために、読売グループは、
原子力博覧会を実施。大盛況だったという(そのチケットがヤフーオークションに出されていた)。
東電を責めることは誰でもできる。
でもなぜそこに至ったか、考える必要もあるだろう。

極論だが、起きたことはもう仕方ない。
ただこれから起きようとすることに関しては
なんら意思表示をしなければならない。

国民は情報をほしいんじゃなくて、
原発がいるか、いらんかの本質的な議論をほっしているのだろう。
節電とかいって、電通の流行にのせられる国民が情けない。

この問題を放置すると将来への禍根を生むことを、昭和の歴史は雄弁に物語っていると思う。

歴史は繰り返すよ。
それは仏教の教えからもしかり。

東京に住む円瓢なら、もっと切迫感はあろう。
どうであろうか?

PS:地元灘を愛するがゆえに、こんなこともやっておる。
http://ameblo.jp/hitomoji20/entry-10957711679.html

8月は帰ってこんか?
摩耶天上寺の副住職はごっつい面白い御仁で(一度阿字観させてもらった)、
再度お手合せしたいと思っておる。
一緒にどないや?

空石