この日は能福寺での最後のご開帳であった。
さて、最後にわしに会いに来てくれたかたなのじゃが、どこかで聞いた懐かしいイントネーションじゃった。
「広島のかたかのう」
松島さん(広島出身)
聞けば、広島県の酒どころの西条のご出身とのこと。
初代の大仏さんが金属回収令で、鉄くずにされた話をしたら、
「わしらも子供のころは、鉄という鉄は持って行かれた」
唯一、鉄鍋だけはお父上が抵抗したそうじゃが、戦争とはそんな時代じゃったんじゃのう。
今は御影に住むというご年配の方じゃったが、そのころは苦労されたそうじゃ。
「飛行場の滑走路の小石を拾うのじゃが、素足で夏は足が焼けるようで、冬は痛いし…」
ほんとに大変な時代があったんじゃ。
かみしめるように、話されていた。そしてぽつり…。
「みんな貧しくて、けんかはしたけど、今みたいないじめはなかったなぁ」
いろいろ考えさせられるお話をうかがった。
ほんとに、こたびの旅はいろいろな出会いがある。
兵庫大仏さんをはじめ、見守ってくれた清盛お接隊や住職、副住職のみなさんにはお世話になったのう。
謹んで感謝いたします。
いまからわしは次の逗留寺である須磨寺さんに向かわせていただきます。