今おられる大仏殿は、2代目と聞いた。初代は出征したそうじゃ。
その写真が、「能福寺記」に載せられていた。
大仏さまの出征
1944年に初代の大仏さんは戦時下の金属回収令で壊された。
赤いたすきをかけられ、出征というかたちをとられたのじゃ。
話は変わるが、神戸新聞の「たたかう美術」という平瀬礼太さんのコラムを最近読みましてのう。忠臣とされた楠木正成の銅像についてふれられておった。
この像は、戦艦河内の守り神とされたが、火災事故で沈没したため、引き揚げられて海軍省へ移動になる。その後、正成の故郷である観心寺に帰ったらしいのじゃ。しかし、兵庫大仏殿と同じく、戦時供出で取り壊されたという。
ある意味、戦時のプロパガンダなのじゃろうな。
「楠公さんや大仏さんも戦場に行くんだから、みなも我慢しろよ」というのう…。
本当に、愚かな時代もあったものじゃ。
幸いにも戦後に、2つの像は共に復活した。それがせめてもの救いかのう。