いやぁ、もう多くは書きません(暴走してしまいそうなので)が、この週末は、高野の御山に行ってまいりました。はい、弘法大師空海のおわします、真言密教の総本山の、高野山でございますね。普通に「地の文」で書くとどらどらどらどらと書いてしまいますので、箇条書きにすると、報告はこんな感じでしょう。
1) あるコンサルティング業界団体の泊りがけ経営診断セミナーで行った
2) 通常は「下界との温度差10度」だが、今年は2度程度
3) 泊まった宿坊、「三宝院」は風流で、「北面大師」が所蔵される
4) それでも、夜はやはり涼しい高野山
5) 朝のお勤め(勤行ごんぎょう)は5時半からというえげつなさ
6) 朝の奥の院は霊気がそこかしこ、とてもいかした
7) 「大晦日大師お守り」は通常は売っておらぬ
8) 毎月21日は「大師の縁日」で山全体がちょっと違う
9) じっさまばっさまで修羅場にごった返す21日
10) 次回の御山参りは10月の1・2・3、「結縁灌頂(金剛界)」で
11) 高野山から大阪までの片道2時間ののろのろ時間
ざっと上記のような感じでした。さて、簡単に補足しましょう。
1)ですが、この業界団体というのは、日本で唯一の全国規模の「(個人系)経営コンサルタントの業界団体」でして、僕も所属しております。会員は皆60を過ぎたじっさま「先生」ばっかりなので、言うまでもなく全国通して僕が最年少で、僕といっしょに働いてるあんちゃんがその1つ上。珍しがられてますが。
日本の経営コンサルタントには、「たたき上げ(でちょっと品が無い)」タイプか、「昔大手企業で働いて退職してからコンサルタント業を行う(からあまり実力ない)」タイプかという2種しかなく、ちょっと魅力に欠けますよ、実際。アメリカなんかは、人材の政官財学を通じた流動がものすごう激しく、その中で色々な個人コンサルタントやコンサルティングファームが活躍してますので、層がすごく厚いし、面白いです。日本は「独立して…」ということ事態が少ないですから。
まぁそれはそうと、上のようなじっさまたちはすごい人脈持ってますし、僕のような頭のおかしいアメリカ帰りのベンチャー人なんかは珍しがってえらい可愛がってくれますので、彼らの人脈を元に自分で役に立つネットワークを築いていき、プロジェクトに繋げようと戦略的に考えて、試験を受けて入ったわけですな、去年の冬でした。資格が授与されますが、国家資格ではありません。まぁ、中小企業診断士と内容は似てます。
で、高野山では、「マーケティングと戦略の視点を多く取り入れた、経営品質向上のための診断ツール」というセミナーを2日でやるとありまして、タイトルに「顧客感動経営のための」とありましたので、これは病院マーケティングをやっている僕としても学ぶところが多かろうと思い、参加しました。経営士会の中部支部のじっさまらが4年間を費やしてまとめたものやったので、中々におもしろかったですな。甲斐はありました。
(おまけに参加費用も、僕がオフィススペースを間借りしている仕事仲間の経営コンサルタントのおっちゃんに出してもらったし!…さすがは関西人でしょう!)
さて、「医療コンサルティング」はマーケティング戦略が骨子、というよりも、それがメインですけど、より幅の広い「未来の収益性まで考慮した病院向けのツール」を病院向けに売れるコンサルティングとして提供して行く際には、必ずこういった「統合的な経営コンサルティング」の手法が求められるでしょう。やっぱり経営者の願いは、「で、もうかるのけ?」という所に収斂されますから。「患者さんのために」が、「→病院儲かりまっせ!」とならないと、究極的な部分で説得力は欠けますからね。病院だって、公益事業そのものでは、ないのですから。(特にこれからは!)
そこで、上記のような、ISOシリーズや米国のMB賞なという「品質上げて銭もうけんかい!」指標をどんどん入れ込んで診断できるような手法があれば、ビジネス界に大きく遅れを取る病院界でも巨大なニーズがあるのでは、と思いましてね。少しずつ今回習ったことを僕の蓄積しているノウハウなどでアレンジしていき、ITも入れて効率化し、統合的なツールに仕立て上げ、楽患ねっとの病院向けコンサルティングの理論的支柱にまで仕立てたろうやんけ、と画策しております。「通知表」のような形で点数をはじけますから、分かり易いでしょうしね。こういう「指標」は、例の「病院評価機構」のそれとも大きく違いますから、おもろいと思いますよ。
さて、3)の宿坊ですが、「三宝院」というところでした。ここはこの会が41年間続けている高野山セミナーの定宿になっておりますから、坊さんとも非常に砕けた付き合いをしてるみたいでした。で、そうですがな!弘法大師が教科書などに載るときは、絵画では例の、「椅子にケッカふ座して靴を揃え、三こしょを右手に念珠を左手に」が有名ですが、木造彫刻の場合は、たいていが「少し大師が顔を右に捻っている通称「横向き大師」」がよく載るんですよ。で、その正式名称「北面大師」が所蔵されてたのが、この宿坊やったわけですわ!
眠たすぎる朝5時に起こされ、5時半から無理やり始まった勤行。その隣の部屋にふつーに囲いもせずにおかれていたのが、あの渋い北面大師。おぉ!と、ちょっと感動してまじまじと見ておりました。こういう奇縁に恵まれるぶつとの出会いも、宿坊の醍醐味でしょうか。しかも、何かでかいかっこええ不動明王像も座っておりました。思わず「のうまくさまんだばざらだん…」と、不動明王慈救呪(じくじゅ)を唱えましたよ、「火炎印」という印を組んで、あたしゃ。ぼーぼーと欲の執着を憤怒の炎で燃えしまくって、渋いなぁ不動さんって!そうそう。ど真ん中におすわりの大日如来も、金剛印を結んでしぶかったす。
いやぁ、まさに「早起きは三文の得」ですかい!?
奥の院の朝はよろしおます。僕は過去に二度、御山には行っておりますが、いずれも無茶苦茶寒い大晦日のこと。しかも真夜中。奥の院の細かな部分など、あまり見ていなかったのですな。(大師のご廟に集中しすぎてて。)が、今回はたっぷりと散策しながら、有名人の墓も見ながら、過ごしました。早朝に一人で歩くと、とても「変なもん、いてません、ここらへん?」とか、「ち、ちょっと今、誰か肩触りませんでした?」という雰囲気で、イカシマス。
最初は高校1年のときに、「ずれてて型破りな、えげつなくパワフルなエリート」として勝手に「先輩」扱いして非常に憧れていた空海さんを尋ねに、駅から徒歩で、粋狂な友人と二人で奥の院まで行きましてねえ。で、大晦日には大師の廟のすぐ前にあるお堂では夜通し儀式が行われ、そこには「身代わり大師」という白い小さなお守りが500円で売っておりました。そこでお守りを交換するというのが慣わしやったのですが、今年の正月はいけなかったため、今回そうしよう、と思っておりました。が、売ってませんでした。「大晦日オンリー」なんでしょうかね?ま、次回にまた行きます。
で、「毎月21日はノーマイカーデー」みたいなノリで、大師の縁日だそうですねえ。これは仏教マニアの僕も恥ずかしながら知りませんでした。坊さん教えてくれて有難う!(大師が入定留身されたのが21日だそうです。)もう、高野山全体が、信心深いじっさまばっさまでごった返し、帰りのバスは2本待ってようやく乗れ、タクシーなんて半永久的に空車が存在しない!という凄さ。まったく。びびりました。坊さん方も道路でにこにこ挨拶しながら茶をすすめ、何かちょっと妙な雰囲気です。
想像してくださいな。「新宿並みの混雑で、その8割が70歳以上」という混雑の様子を!超高齢化社会ニッポン、本領発揮!ってなところでしょう!
そして次回の高野山参りは、10月の初め。これは絶対行かねば、という理由が私にはあります。そう。あの、「荘厳な儀式でアジャリや大僧正などが参列する中、巨大な敷き曼荼羅めがけて目隠しをして花を投げ特定の仏と縁を結ぶ(投花得仏)」という、「けちえんかんじょう」がこのときに行われますのです。5月は胎蔵曼荼羅で、10月は金剛界曼荼羅の37尊を対象に行われます。
これ、高校生のときから一度やってみたくてねぇ。高野山への交通アクセスを先日調べていたときに、年間スケジュールの箇所に載ってまして、「そうや!長らく忘れてた!」と思った訳です。で、思い立ったら吉日ってな訳で、10月は、休みを取って御山です。「地獄ツアー」の理事たちにも、既に無理やり有給を取ってもらう方向で調整してます。その日の前日は水垢離でもして、気合入れて仏に会うという感じでしょう!個人的に文殊菩薩がええなぁ…などと思っていても仕方なく、まさに縁だけが頼り。
(でも、結局は花を中心部に持っていき「はい、大日さんね」といらんおせっかいを使ってくれると本に書いてありましたので、ううむ。ちょっと不安。)
おぉ!結局たくさん書いてるじゃないですか、僕の報告は!「読み物」になってますね、既に。これで、終わります。
: >嵐山散策では時間がなくて、お寺では天龍寺
ううむ、あそこにいけたのならば、よしと致しましょう!何と言っても天下の臨済宗天龍寺派の総本山ですからね。あそこの居士向けの座禅会は、厳しくて有名でして、僕も近くに住んでいたら参加したいです。まあ、ツワモノは早朝から電車などで駆けつけるらしいですが。僕はそこまで気合がまだ入ってませんねぁ。
: >鞍馬山なども外魔都とやらに含まれるのでしょうか。
: >鞍馬も密かに興味があります。
そうですな、あそこら辺は、まさに「内魔都と外魔都の周辺」でして、一番イカス魔的な空間ですね。鞍馬や貴船などはとても怖い伝説が多く、都の方もあまり手が出せなかったようですね。比叡山を呼ぶには彼らが「治外法権」と考えて(都の宗教グループに遠慮して)来にくかったやろうし、逆に「都どっぷり権力中枢宗教グループ」にとっては、「ちょっと辺境過ぎて…」と、自信の無さが出てしまう。僧兵のなぎなたも貴族を守る呪術も届きにくい、いびつに「隠された」空間。
故に、あそこらへんは丁度、「内と外の中間」という、正にマージナルな領域、別の言い方では、「行こうと思えばどちらからも行ける」という中途半端に興奮する「肝試し区域」といった捉えられ方をされていたと考えます。貴船神社なんかでも、貴族の人々がちょっと都の宗教施設ではできないような祈祷などをしていたというそぶりがありますし、夢枕ばくのの書く「陰陽師」の最初の話で鬼になる姫は、貴船の森恒例の「丑の刻参り」を追体験します。
そして、義経のように、その「肝試し」に合格できるほどの胆力を持ったものだけが、その「怪しの力」と仲良くなったりできる、ということなのでしょうね。鞍馬神社も高校生のときに確か体育祭をさぼって友人と行きましたけど、「何かある!」雰囲気でしたよ。「おい円瓢、天狗がいきなり出てきて、『君たち、宇宙の真理を教えてあげようか?』なんて言われたら、高校一緒に辞めようけ?」という能天気なことをマジで言うてた空石、今は「地獄ツアー」の代表理事ですなぁ。ほんとに、何がどう変わったのか、我らの頭はガキのまま…。