清史彦老師@Vowsバー(2004年12月)

空石、ひろやんよ
モラ坊円瓢や

昨晩は24時少し前に大阪に新幹線で戻ってきました。東京を離れる前に銀座で知り合いの坊さんに会いに行ってたので、重い荷物(苦手)をもって人ごみ(もっと苦手)の、しかも銀座(「敵」)が会場やったので、風邪の初期症状のようにほとほと疲れました。が、大阪宅に戻り仏壇を設置し仏を勧請し一息つくと落ち着きを取り戻し、片づけをして仕事メールだけ出して7.5時間寝たら、完全回復しました。

さて、空石には既に電話で報告した例の「仏教看護・ビハーラ学会」でものすごい邂逅があったので、それをきちんとまとめてレポートしておきますな。

この学会、怪しい名前やが、中にいる人間はかなりその道での大物が多い。柳田邦夫さんの基調講演は、3回ぐらい泣きそうになるぐらいすげえよかった。ホンモノは違うな。睡眠時間が、65を越えてもまだ1日2・3時間やて。すげえね。やっぱ「死」とまじで向き合った人間は、強いです。菩薩やな、と思った。(俺と嫁で、来年開催する医療系フォーラムに招こうと思ってるが。)

で、大阪から「ビハーラの先輩」として祝辞を垂れに来てた坊さんが、平野の寺の住職をやってる40代後半?50代前半?の清さん。スーツ着て、パーティー会場でがつがつ食うてるは飲んでるわで、「あ、このおっちゃん、すげえ強くて違うオーラや!」とすぐに感じた。で、名札を見ると「清 史彦」…。どっかで聞いたことあるぞ…ま、まさか、あの伝説の「坊主/Vow’sバー」の創設者にてオーナー坊主か!?

俺は非常に人見知りの慎重派(simulation能力と論理構成能力と想像力が強すぎるからか…とも思うが、要するに小心者なのやろう)なので、知り合いがいなかったら、自分から話しかけるのはとても苦手や。そういう立食パーティーでは、よって、食いまくり飲みまくるしかないのだ。が、一度仲良くなると、上記の性格は誰も信じてくれなくなるぐらい弾けるがな。でも、学会セミナー会場で最前列でギラギラとノートとっている最若年っぽい俺が目立たないはずはなく、講師の坊さん(真言宗智山派の研究僧で竹内氏という)がやっぱ寄ってきてくれたけどな。で、

「あれは清や、絶対!が、何か見るからに破戒僧やし(事実、そうやし)、話しかけるの怖いな…。いや、が、もしも、ここで仏が彼を我の近くにフリーでいきなり近づけて長時間放置してたら、仕方がないから声をかける、ということにしよう。」

と、恐れおののきながら、会場の反対の場所で飲みまくっている彼を凝視しながらつぶやいたら、3分も経たんうちにごんごん奴が近づいてくる!なんでや?と思ったら、最後のデザートがテーブルに持ち込まれており、俺は陳列の前に立っていたのだ!しかし、まだしり込みする俺は、

「い、いやいや、食うてる人に話しかけるのは失礼やしな…。」

と、あくまでも内気な消極性を決め込んでいると、ずっと俺の傍から離れないではないか!?なぜ?と思うたら、「8時にこの会場出てください。それまでお食事を…」とアナウンスが。なるほど、彼は「ラストスパート」をかけていたのだ!さすがは大阪の破戒僧か!ホンモノや!「銭払ってる分は全部いただく!」という凄まじい気迫がそこにあった。いや、大げさではなくて。

飲みまくり食いまくり(が、仏教ビハーラの全国的アイコンやから、祝辞はちゃんとしてた)、オーラを出しまくっているこの男が、ようやく一息ついたらこちらをじーっと向いた。ここまでお膳立てされたら仕方がないと諦めて、「き、清さんですよね?」と近づいた。「いかにもそうですよ!!」と顔面をくわっとさせて応じた彼。が、食べ物は持ったまま。

心斎橋の坊主バーに仏友(空石)と一緒に行きました、とか、まんぼう観音の可愛い絵(和歌山のUKにただで描いてもらった)の入った「MONKフォーラム」名刺を出して、俺らのゆるい活動を簡単に説明したら、ものすごく興味もって、ギラギラオーラがより強くなって、非常に怖かった。

で、「会場から出てください」とアナウンスがあったので、俺も最後に主催者に挨拶をして名刺交換してたら、実はその主催者が自分の弟子でもある様子な清僧が後ろから、

「円瓢さん、この後時間ある?あんの?よし(決め付け)。それやったら、坊主バーの3号店が中野に出来たのやけど、そこ行くねん。話の続きしようや!谷山(その主催者の一人)、おまえは?あ、そう?じゃあええわ。」

とお誘いを頂く。ただでさえ書籍翻訳遅れまくりの俺に、実はそんな余裕など全く…と0.5秒ほど迷い、「ええですな!行きましょうぜ!」と拉致された。南大阪の浄土真宗大谷派のボスっぽい手利さん(見た目完全にやく…)と3人で、中野の坊主バーにタクシーで向かう。

あとはもうとにかく意気投合し、HP構築・運営の話をしたり、大阪の南御堂で爆発的な人気を誇る「ビハーラ僧養成講座」を東京に移植する企画もサポートできれば、という話になり、大阪のおもろい系の寺をMONK活動のために紹介してもらうことも、全部決定した。寺院マーケティング方面でも広がりが一挙に出てしまった。

その中野の坊主バーの2階(イベント用)で新年後に医療系か何かの講座を持つことまで決まってしまった。今企画中。(ちなみにバーテンはやはりサラリーマンから坊主への転進組。スゲエ渋い声で、そのとき39度の熱があったのにそれを押して渋く動いていたホンモノや。)

その後、「今度は四谷店のチェックや!円瓢さんも行くやろ?」と請われ、「まぁそういうことなんやなぁ、仏がさせたいのは…」と楽しく諦めて電車でいく。清さんは、道中で自分の「恩人」の壮絶な死についてなど、たくさん話を聞かせてくれて、彼は非常に優秀な破戒僧で、深い思索と実践を20年に渡り積まれている、とても徳の高い坊主やと認識した。ホンモノやね。俺みたいな若いのに対しても、すぐに仏が張り付いている、と見抜いたら、仲良くしてくれる柔軟性も最高にポイントが高い。

で、四谷のバーがこれまた渋かった!切り盛りオーナーは40歳の盲目の坊さん。…なんでもしてくれや、もう!レイ・チャールズみたいなサングラスをかけている巨体で、ごっつおもろかった。そこでは小金井市の議員や有名バーのママや鳥取大学の教授を紹介されて、色々と企画の話や仏教活動の話、また、大谷派内部での舞台裏話なども聞かせてもらう。大谷派の改革の動きも、今後色々と動くのやなぁ、と直感した。非常に居心地のよい空間やったね。こうならんとあかん、21世紀の仏教は。これは現代仏教の、

『破戒的な方便』

やね。あぁ、今後も行くことになるのやろうなあ、中野・四谷の坊主バーには…という半ば諦めにも似た感覚があるが、それが仏の意思ならばそれでよい。それに、自分でやってておもろいしな、何よりも。俺の「大乗の長者」への道は、こうして鬼気迫る強運にバックアップ(この32年間ずっとそうやったけど…これは空石が一番よく知ってるはず)されて行くのだ、と、どんどん仏教界での新しい動きに巻き込まれているのを感じて、合点した。

ここが踏ん張りどころ、腹の決め所、そして、脱皮のしどころや。

というのが、俺が今まで会うた坊主の中でも「超ドキュウ」の清史彦との邂逅の様子。「大阪に帰ってきたら絶対に電話しいや!そのMONKの若者連れて会いに来いや!絶対にやで!!」と凄む清さんと別れて、終電を逃したことに気づいた俺は、新宿に程近い中野坂上に住む年下の友人宅に転がり込み、コーチングしながら1泊した、ちゅう話ですわ。

以上、清さんとの興奮の夜を、ドキュメンタリータッチでお届けしました。

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