精も根も尽きる~初修験(2023年9月・葛城修験)

 「初めての方でも大丈夫ですよ」


 甘い言葉にほだされてしまった。
 大阪で映画「修験ルネッサンス」を鑑賞した。トークショー後、初めて話す修験者が、修験への参加を勧めてくれた。一度は体験してみたいと思っていただけに…これを逃す手はない。
 普段は和歌山で会社員をしているという花井師に参加を申し入れた。 

 集合は、大阪でも南部にある南海電鉄の河内長野駅。家からかなり遠いので友人宅から参加した。「どんな人が来るのか」と好奇心と怖さが半々。待ち合わせのバス停で一目瞭然だった。白装束の集団なんて、修験者のほかにおるまい。当方は初心者なので、動きやすい軽装とジーンズ。スタッフらしきお姉様から、参加費と引き替えにお菓子をいただいた。


 バスに揺られ、滝谷ダムで降りた。参加は案外多くて約40人。烏帽子の短いバージョンの黒い帽子、ポンポンが付いた結袈裟(ゆいげさ)に、法螺貝を抱いたガチ修験者が多数。お遍路姿の方もいる。私と同じハイキングスタイルも少しおられてホッとした。年齢はほとんど60歳オーバーと思われる。声はお元気そうだが、いらぬ心配もしてしまう。

 均整の取れない一団がのどかな野山を進んでいく。なだらかなアスファルト道を歩いていく。これだけご年配の方がいるのだから、修験も思ったほどはキツくないのかもしれない。ほくそ笑んでいると、トンネルの中程でいきなりカマされた。大音響の法螺貝がハウリングして耳に響く。まぁこれで雰囲気も出てきたというものか。

 しばらくすると山に入る。当然傾斜もある。1時間も歩くと、汗が噴き出す。最初の目的地は「布引の滝」。優雅な名前だが、行者が祈りを捧げる場所であることをのちのち思い知る。

 「ここから入ります」。先導の花井師がみなに知らせる。えっ! 道なんてない。谷底に続く崖にしか見えない。そして目を疑った。みなが平然とガードレールをまたいでくだんの崖を下っていく。滝というぐらいだから遊歩道でもあるのかと思っていたら、目印すらない。個人ではおそらくたどり着けない。修験のためだけの滝がここにあった。

 目的の滝は、涼しげな白いしぶきを上げていた。その光景はしばし、疲れた身にいやしを与えてくれた。名瀑といものではないが、たどり着いた充実感でありがたみを感じる。今度は崖を登り、またガードレールをまたいだ。

 修験道はただ山を歩くだけではない。7世紀に活躍したとされる役行者が修験道の祖とされる。葛城山系を仏の世界と見立て、法華経八巻二十八品を経筒に入れて山に納めた。山伏は修行として、この28の経塚や行場を回る。和歌山、大阪、奈良にまたがる修行の道は、全長112kmといわれる。我々の目的も経塚に祈りを捧げることにある。

 「ここが十五経塚です」。初めて見る聖地を肩で息をしながら見上げた。ただ幾分拍子抜け。木々に覆われた尾根伝いの平地に、ポツンと祠があった。法螺貝がとどろく。みなが姿勢を正す。祈りをささげる合図である。導師が、指で印を結び、腕を大きく回し、「呪」が静寂を切り裂く。「九字を切る」という作法である。忍者がよくやるので、護身のためとされるが、場を清める意味もあるように思う。

 われわれは、配布された紙に目をやり、観音経や般若心経を唱える。朗々とした声が、山に溶けていく。寺社参拝と違うのは、山という大自然に祈りをささげるというところか。
 私はというと…疲労度MAX。疲れのあまり息が上がって、うまく声が出ない。上半身は汗びっしょり。でも止まっていると暑くない。山の冷気が身体を包んでくれる。風がそよぐと、寒ささえ感じた。

 「つらい話」ばかり続いたが、参加者は休憩にお菓子を分けてくれたり、初心者に優しい。花井師もみなによく気を遣う。「大丈夫ですか」の声に何度勇気づけられたか(疲労のあまりうなずくだけであるが)。安全面にも配慮があった。ラスボスのような先達は軽トラで、コースを先回りして安否を確認する。休憩タイムには「コーラはいりますか」と紙コップを手に回ってくれる。水分補給は修験の生命線である。暑さやら疲れやらで、昼飯前に用意したポカリを半分以上を消費していた。そこにコーラ登場。炭酸は身体にかえってきついかも思いながら、死地寸前である。一気に飲み干した。
 これが、まさに慈雨! つめたくて、のどごし最高。なにより糖分が身体にエネルギーをチャージしているように感じた。スポーツには「ポカリ」だが、超疲れたときは「コーラ」がよい。ずうずうしくも紙コップながら2杯をいただいた。
 身体がようやく回復してきたので、現在地を教えてもらった。いただいた飴を口の中で転がしながら、がく然とした。3分の1ぐらいは歩いたと思っていたが、スタート地点からさほど遠くには来ていない。最後までたどり着けるのか、意識が遠のいていく。

 参加者は60歳オーバーがほとんどかと紹介したが、彼らはすこぶる元気である。過酷に思える道中でも世間話をしながら進んでいく。そしてときおり、気合のためか、法螺貝をぶっ放す。歩みが軽快で余裕がおありである。手タレの傭兵のようだ。

 獣道が落ち着いたと思ったら、今度は次の滝を目指して浅瀬を渡っていく。足場が悪いのでフラフラする。トレッキングシューズが鉄下駄のように重く感じる。そしてまた急な斜面を上がる。前にも書いたが、基本は道ではない。修験道の「道」は「道なき道」のことでもある。
 平らなところがないので、木や枝にしがみついて休む。ただ前が詰まって不幸にも寄るべき木がなければ、崖の反対の山側に重心を移し、ひ弱な脚で踏ん張るしかない。ここで役立つのが錫杖(杖)だ。「邪魔そうだな」と思っていたが、修験道では必須である。とにかく平らな道を歩きたい…。

 岩湧寺という古寺に出た。役行者が開基と伝わっている。無住の寺である。なぜなら、前日宿泊していたN家がかつてはそこで生活していたのだから。もう20年以上前になるが、私も泊めていただいた。「ムカデが降ってきますよ」などとホラーのような話を聞かされた。携帯電話の電波も怪しいところから、N家もいまでは立派な一軒家で暮らしている。
 改めて見ると、立派な多宝塔があったりと、厳かな山岳寺院である。「はてさて、こんないかつかったか」。当方、全く覚えがない(夜だったこともある)。修験の参加者同様、リスペクトしかない。彼は僧侶でもあるが。遅い昼食を取り、自販機でペットボトルを2本買うと、また出発である。

 ルートでは里山も回る。これが葛城修験の興味深いところ。28の経塚は、修験者だけでなく、麓の集落の村人も守り、山伏への接待も行っていた。修験者は五穀豊穣を祈るなど自然の霊力を村人にお返ししてきた。その営々たる歴史と文化が認められ、2020年に日本遺産に認定されている。

 15㎞ぐらい歩いた。フラフラで尿酸出まくり。脚がうまく上がらない。脚を引きずっているだけ。背後からは「六根清浄」のリピート。これも法螺貝同様、疲れの見える参加者への励ましなのだろう。ただ私は声を出すことすらできないのだ。


 「自然への畏敬を感じる」などの気持ちはとっくに吹っ飛んでいる。「早く着いてくれ」の一心である。意識がもうろうとしながら、十七経塚に着いた。狭いところにあるらしく、前の人で詰まっていて見えない。後で確認すると、笹ヤブの中に祠があった。花井師はお札を納める。先客もいる。新しい木札から古いものまでが、うやうやしく祠にもたれかかっていた。

 修験者は足袋で山道をめぐる。とがった石も踏むので、足裏が痛そうである。花井師に聞くと「初めはそうでしたが、いまはこちらが楽」とほほえむ。休憩時間に別の方に聞いた。男性は「そら痛いときもあるわな」とのこと。滑りにくいとか、軽いとかメリットは多いだろうが、使いこなすには経験も必要なのだろう。
 20㎞も過ぎると、さすがに他の参加者も疲労の色が濃くなってきた。脚を滑らせたりする人も多くなる。荷物を持ってあげたり、励ましたりするが、リタイアする方も出た。軽トラが男性を収容する。もう少しでゴールではあったのだから、無念であろう。

 山道から、平らな砂利道に出たとき、浄土に着いたように思えた。ゴールは南海紀見井峠駅である。情けないが、自販機にダッシュしてペットボトルを2本飲み干す。そして汗を吸い尽くしたシャツをトイレで脱ぎ、上半身裸になり、タオルで身体をぬぐった。帰って調べると、25km弱は歩いたのか。

 これが私の初めての修験道である。敬虔な思いを言葉にしたかったのだが、「しんどい」という体験しか思い出せない。そして疲れのあまり、何も考えなかった。これが「無」の境地なのか。レベルははるかに違うが、そこにはわずかに近づけたのかもしれない(了)