暗夜行路(2023年6月)

自業自得の話ではある。
日曜日の夜であった。
大阪のジャズバーで気分良く飲んでいたが、
大阪駅で京都行き新快速に乗り込んで、やばいと思った。

「近江八幡から(家までの)電車ないやんけ…」

案の定、近江八幡駅に11時半過ぎに着いたのだが、無情にも近江鉄道の接続はなかった。
タクシー…でも5000円は高い。妻に迎えに来てもらうのも心苦しい。
曇り空で星はおぼろげだったが、風は心地よい。

「歩いて帰ったろう」と腹を決めた。

複線もあるのだ。
午前は大阪の西九条で「修験ルネッサンス」というドキュメンタリー映画を観た。
葛城修験の復活を目指す修験者やボランティアを追った硬質の内容だった。
上映後は、田中監督と修験者のトークショーがあった。


在家から今も仕事をしながら修験をされている花井氏の姿にしばしの憧れも感じた。
祈りながら大自然の中を進んでいく。
その本質は「歩く」ことであろう。
葛城修験は諸説あろうが総距離は約112㎞あるといわれる。

ほろ酔い気分の中、その数分の一でも修行しておこうと思ったのだ。
スマホで調べてみると、約10㎞。時間にして2時間弱かかるらしい。

以前歩いたことのある幹線道路に立つコンビニを目指した。
ここまではなんのことはない。人のいない住宅地をずんずん進んだ。
問題はここからだ。
ほぼ近江鉄道の線路に沿って行くのだが、道が心細いのだ。
街頭などというものはほぼなくなる。
家もあるが、こちらの方は夜が早く、ないのも同じ。
しかもたんぼ道が続く。
道はあるのだが、灯りがないので、足下は真っ暗。
「溝とかあったらどうしよ…」と恐怖に襲われる。
賑やかなのは、水田のカエルどもである。
道に出るのだけはやめてくれよと思いながら歩みを進める。
車なら30分弱の道が、無間地獄のように遠く感じる。

駅は見えないが、武佐駅近くまでまずは歩いた。
「タクシーなど通らないか」という希望はすぐに打ち砕かれた。
時折、超かっ飛ばして車が通り過ぎる。
そのときだけ、足下が照らされる。

都会人にとり、闇はある意味怖い。
涼しいのは風だけではない。
ふと見やると、通り沿いに墓場があった。
車では気に留めることもないが、夜の小径ではいっそう気になってしまう。

四国の「歩き遍路」もこんな瞬間がいくどもあるんだろうなと考えた。
映画がフラッシュバックした。
修験の一行は錫杖をつきながら、「ざ~んげ、ざんげ。六根清浄」と唱えていた。
お世話になった四国の住職は「懺悔、懺悔、六根清浄」と古来の日本の歩行法「ナンバ歩き」をすると疲れないと教えてくれたっけ。
疲れも気になるので、ナンバで文言を唱えながら進んだ。
考えれば、車の人間が私を認識したら、それも怖いのかもしれない。
だって、夜の12時過ぎて、コンビニもない道路をさまようのは、変質者か幽界の者と相場が決まっている。

駅があるのはいい。いい目標となる。
平田駅を通り過ぎた。


どうでもよいが、道路は意外によく作られている。
歩くときに少し不安だった。
ガードレールがなかったら、気付かずに飛ばす車にはねられないか?
これが杞憂で、確実にどちらか一方にガードレールか低い石段で車から歩行者は守られていた。
結論からいうと、脇道に入らない限りは、歩行者を守るしつらえはずっと続いていた。

市辺駅まで来ると、少しうれしくなった。
日付はとっくに変わっていたが、これで3分の2ぐらいまで来た。
さらにうれしいことに、ここら辺から少し開けてくるのだ。
とはいっても、家が現れるというだけなのだが。
左手を見上げれば、山に太郎坊宮の明かりがはりついている。
それだけでも心強い。そういや、あれは修験の山だったよの。
少しだけ暗闇のカエル地獄からも解放された。

1時間以上歩くと、足が強烈に痛み始めた。
なんせ、ランニング用でないゴムが薄いシューズ。
足の皮膚がのめり込んでいるようで、クッションが全くない状態で着地した痛みが直接骨に伝わる感覚だ。

「ある意味やばいな…」

でも引き返せないし、助けも呼べない。
とりあえず、コンビニまで…とスカスカの気力を振り絞った。
太郎坊宮前駅を超えたコンビニに入った。
風はあったが、ここまで来ると汗ばんでいる。
車止めの縁石に腰掛けて、グビグビとスポーツドリンクを飲み干した。
足の裏が異様に痛いのだが、ここで休むと先に進めない気がする。
「六根清浄」と己をむち打った。

歩くにおいて、景色が変化するのは重要だと知った。
ここまで来ると、道の両側にわずかながらの建物がある。
それがいい気晴らしになる。痛みを少し忘れさせてくれる。

瀟洒な木造建築の新八日市駅まで来ると、もうゴールは近い。
これぐらいなら、歩いて帰ったこともある。
だが、今は疲労感と足裏の痛みで、天竺より遠い気がする。
八日市ほんまち商店街のアーケードが見えたときは、天国の入り口に着いたと感じた。
午前1時を超えると、人っこ一人いないのだが。

八日市駅前のショッピングセンターが目に入った。
もう家は目前。
家に着くと、午前2時前。ただただ達成感に酔いしれた。

考えてみれば、葛城修験なら、さらに距離があって、当然高低差もある。
本当に極小の修験体験である。

トークショーで花井氏は「自然から力をいただき、それを返していく」と言われていた。
その感覚には到底到達できていない。
次の日からは、ヒザ裏の筋肉痛との闘い。
様々考えた10㎞の暗夜行路。

座禅と同じく、「行」はまず体が適応せねばならないということであろう…