基本、桜のシーズンに観光寺院には行かない。
ましてや人気の観光地などもっての他。
しかも週末以降は雨予報ときている。
泣く子も黙る京都観光のハイシーズンなのだ。
ただ事情があったのだ。
友人の韓国人が訪ねてきた。
何度も日本に来ている彼となら、花見の季節に知れた観光地には連れて行かない。
だが今回は違う。初来日の母親を「最後の親孝行」と連れてきたのだ。
そうであれば、やはり…。
京都の清水寺を外す手はないだろう。
車を東山に向けると、道路脇の歩道には外国人はもとより、日本人も含めた観光客ばかり。
近隣の駐車場は諦めて、少し離れた場所から八坂の塔を目指した。
テレビでよく見る光景だ。
風情ある土産物屋が並び、レンタルの着物姿の外国人で坂はあふれている。
韓国のお母様もスマホでパシャリとやっている。
本格的なコロナ明けで、田舎にこもっていた小生にとっては実に新鮮。
普段ならブータレるところをその風情を楽しんだ。
辟易していたインバウンド客というものも、たまに見るとよい。
目当ての清水寺までは、結構な坂ですな。
どこも人を見に行っているようだが、定番スポットだけはある。
山肌からせり出したところに建てる「懸造り」の本堂は何度見ても飽きない。
これこそ、日本が誇る世界遺産!
満開の桜やたまに漂う花びらも彩りを添えてくれる。
これで母上も「日本に行ってきた」と胸を張れるであろう。
帰り道にひっそりと石碑が建っていた。
読むと、アテルイ・モレの碑とある。
蝦夷の一族で、寺を創建した征夷大将軍の坂上田村麻呂に討たれたという。
2人の遺徳をたたえた顕彰碑であった。
桜舞う華やかな参道沿いの碑に、立ち止まる者はいない。
ただ、まつろわぬ者を悼む精神は仏教的でいい。
花見のトップシーズンで、ホテルの値段の高さには辟易した。
さらに困ったのは、食事場所。
知人にも聞いて回ったが、寿司を予約できる店がない。
仕方なく、お隣の滋賀県の大津まで戻り、駅前の寿司店で箸を取った。
満足はしたが、人混みはこりごり。
次の日は大津にある古刹石山寺に。
こちらも桜の名所で、紫式部が源氏物語を執筆した場所として知られる。
来年2024年の紫式部を描く大河ドラマ「光る君へ」で、取り上げられるであろう寺院である。
結論から話すと、平日の閉園1時間前で4人の貸し切り状態だった。
名前の通り、岩の上に伽藍が立つ。
奇岩が連なる景勝地である。
鎌倉時代の多宝塔は、反った屋根のバランスが絶妙で軽やかかつ威厳があった。
日本最古の多宝塔は、国宝でもある。
境内には優しい風が吹き、桜がヒラヒラと舞っていく。
源氏物語の景色がここにある。
桜の木の数より人が多そうな清水寺では味わえない。
息子君は「日本でいろいろ見たけど、ここはいい!」と大絶賛。
小生も彼に全面同意する。
貸し切り状態はよかったが、それは閉園時間が近いということ。
申し訳なさそうに後をついてくる軽トラックが、それを暗に知らせていた。
紫式部は源氏物語で、「清水の方ぞ光多く見え、人のけはひもしげかりける」とあらわしたそうで、
当時から清水寺に人は多かったことがうかがえる。
ただ、この有名な舞台が作られたのは平安末期だそうで、
11世紀はじめに亡くなった式部ちゃんは懸造りを見ていなかったといえる。
逆にわれわれは意外にも、式部ちゃんにお目にかかっている(いた?)。
2000円札である。裏面に本人の肖像が刷られている。
それにしても一時ほど見かけない。
ネットをたぐると、2003年以降刷られていないそうである。
当然、2024年の新札発行でも触れられていない。
そもそも沖縄サミットに合わせて2000年に出され、表が守礼門なのは理解できる。
ただなんで裏面が源氏物語なのか。
次の新札も千円の北里柴三郎の裏は葛飾北斎の富嶽三十六景の大波である。
関連なさ過ぎやろ!
ここは式部ちゃんの2000円も差し込んで、表を清水寺にするマイナーチェンジを敢行してはいかがか。
インバウンド客にも絶対大好評になるって!
断っておくと、本稿はお金の話でも、紫式部の話でもなく、いつも通りお寺の話でした。