鳥取でデイープに仕事されたこともあるYさんがふともらした。
「ブータンのプリンセスにも会ったんですよ」
プリンセスだけでもうらやましいが、仏教国ブータンとなれば、なおのこと羨望の極みである。
なんでも毎年「やずブータン村まつり」なるものが鳥取県八頭町のお寺で開催されているという。
「絶対、次は誘ってや!」と1年前から予約を取り付けた。
少しかかり気味に話したが、ブータンとはインドの北ぐらいの山岳地帯にある仏教国である。
首都ティンプーは標高2300mの高地にある。人口は90万弱。日本で言うと和歌山県ぐらいになる。
イベントがある10月21日がやってきた。
Yさんは車で先発し、私は当日に滋賀県から電車で鳥取に向かう。
とりあえずは、近江八幡駅から京都で乗り換えて「スーパーはくと」やろ。
鳥取駅までは「はくと」で行ったことがあるのだが、会場の光澤寺は若桜鉄道「丹比」という駅にある。
ともかく以前から気になっていた若桜鉄道に乗れるのはうれしい。
隼駅が路線にあることから、バイクメーカー・スズキの「ハヤブサ」をラッピングした列車が登場。
早朝から電車に揺られて疲れていたが、広告感のないデザインセンスにテンションが上がってきた。
丹比駅に着いた。秋空はどこまでも澄み切っていてすがすがしい。
ただ予想通り、周りにはこれというものはない。
金融機関らしきものがあったか。入り口でたこ焼きを売る地元スーパーが目に入った。
そして、どこにでも柿がたわわに成っている。
途中駅には、駅舎に干し柿がつるされていた。
柿にはすまない話である。好き嫌いは少ないが、柿のあのネチョッとした食感がどうも苦手なのだ。
果物というより、イモのような感じがする。
おそらく柿が名産であろうと思っていたら、まさしくそうであった。
帰りに寄った道の駅でもこれぞとばかりの柿尽くし。
お世話になった方が送ってくれたお土産も、当然柿であった。
しかし…。
これが死ぬほど旨かった。食感も気にならないほどに!
名を「花御所柿」という。普通糖度は16度ぐらいだそうだが、破格の20度。「日本一の甘柿」といわれてる。
柿農家さんの絶え間なき頑張りを無視し続けてきたことを痛く反省した。
あまり人に会わない曲がりくねった田舎道を5分ぐらい歩くと、目的の光澤寺だ。
浄土真宗と聞いていたが、真っ赤なドアに面食らった。
境内には「ブータンまつり」を目当てに、遠方から来られたのであろう参加者であふれていた。
奥のソファーに、先着のYさんが笑顔で迎えてくれた。
会場には50人弱はおられたか。
呼ばれたのか、駆けつけたのか、地元新聞の記者もカメラを構えている。
なにを隠そうゲストも凄いのだ。
若手僧侶が3人。
松本紹圭さんは、これからの寺の在り方を考える「未来の住職塾」の塾長。
京都・建仁寺両足院の伊藤東凌さんは、昨今のマインドフルネスを若手僧侶として牽引する。
こちらも京都にある退蔵院の松山大耕さんは、
いまをときめくスター僧侶で、ビジネス雑誌でもよく拝見する。
彼らに言わせると、「僕らはよく京都に居るけど、3人が会うのはここだけなんです」。
そんな奇跡の鼎談を拝聴するだけでも身震いする。
やおら、自己紹介が始まり、スクリーンに動画が映し出された。
コロナ禍である。目当てのプリンセスは、ブータンからオンライン出演である。
上品な雰囲気のプリンセスは、英語であいさつすると、伊藤さんがさらりと通訳をこなす。
勝手に話を進めてきたが、なぜここにスター僧侶が結集し、「ブータンまつり」が開かれるのか。
その問いは全うである。
光澤寺の宗元(むねもと)住職は以前からブータンのイベントをされており、
5年前に4人がブータンをたずねることになった。
そのときにプリンセスに会い、「日本にブータンセンターを作りましょう」となった。
これを契機にプリンセス一団が鳥取まで来られ、「ここはブータンに似てます」と気に入り、
交流が続いているのだという。Yさんはそのときに、ご相伴にあずかった幸運なお1人だ。
住職の司会により、3人の仏教との関わりが紹介される。
3人3様。しかも前者の話を壊さず反応する、心地よいジャズのセッションのようである。
お坊さんなので、声がいいというのもあるが、凛としたたたずまいもあるのだと思う。
松山さんは「人間は未来を知りたい。不確実性をなくしたいという生き物」と言われた。
そんな近代的な人間のエゴから無縁とも思えるブータンに興味を持たれ、訪問したのだという。
「結論から言うと、ブータンは(物質的な)幸せではないですが、不安はなかった」
具体的には、死に対する不安がないのだという。
ブータンは標高2000mを超える高地にあり、しかも道路は悪路。よく転落事故があるそうだが、
運転手は「死んだらまた生まれ変わるだけ」と、死を前提として受け入れていることに驚いた。
こんな話も紹介された。
ブータンは以前から「世界一幸福度が高い」ということで注目された。
国連から「世界の幸福度ランキングを作って、ブータンのことを広めましょう」と打診された。
しかし「ランキングを作ると、競争が生じます」と断ったという。
日本の雑誌やテレビではいかにランキングなるものであふれているか。
幸福な国を訪れた松山さんは帰国して「本当に自分たちの心は静まっているのか」と自省したという。
禅僧の矜恃であろう。
自坊を訪ねる参拝者に一眼レフの使用を禁止してしまった。
参加者も問題意識のある方が多かった。
「死にたいと言う人にお坊さんはどう声をかけるのでしょうか?」
自身のことではなくて安心したが、3人は真摯な態度でまっとうな答えを示された。
一夜があけると、すがすがしい朝の食事となった。
テーブルで宗元住職と伊藤さんからブータンの話をうかがえた。
住職によれば、「このお寺にプリンセスは納骨される」という。
びっくり仰天である。
亡くなった後の身体には執着がないということらしい。
お願いしたらなんのこだわりもなく快諾、だったという。
境内の花草で埋まった壇にはプリンセスの名前を刻んだ銘板があった。
「彼女にとって一番大事なのはダルマ(仏教の法)と言われていました」
伊藤さんは「松山さんは家族だと言われていました」とお茶目に笑われた。
2人の話でますますブータンに興味がわいてきたことだけは確かだった。
話は飛ぶが、昨年はW杯でサッカーが盛り上がった。
ブータンもサッカーで注目されたときがあった。
2002年6月30日。
横浜ではW杯決勝でブラジルがロナウドのゴールでドイツを倒して優勝した日である。
同日、ブータンでFIFAのサッカーランキングで202位のブータンと
203位で最下位のモントセラト(中南米)の試合が行われた。
結果はホームアドバンテージがきいてか、4-0でブータンに軍配。
その様子が映画「アザー・ファイナル」になり話題を呼んだ。
監督はオランダ人。母国が予選敗退となったため、失念のうちに
企画を両国とFIFAに打診し、実現させたのだという。
これがなかなかの作品で、モントセラトの珍道中もいいスパイスになっている。
コーチが偉いさんとの見解の相違で母国に戻ったり、選手がウイルスに感染したり…。
モントセラトは最下位脱出をもくろみ、勝つ気満々で乗り込んでくる。
対するブータンの偉いさんは「勝ち負けではない。両国のサッカーの発展こそ意義がある」と仏教的である。
当日は、BBCやら海外メディアもやって来て、ブータン史上最大の記者会見が行われたとか。
オチもほっこりさせてくれる。
ブータン映画界についてはよく知らないが、有名な監督がいる。
ケンツェ・ノルブさん。
「ザ・カップ」というサッカーをテーマにした映画をオーストラリアと合同で製作している。
ブータンでサッカーが盛んなのは、
60年代にインドなどサッカーのある国にエリート層が多く留学したためという。
だから実際のW杯のときも、順位の割には盛り上がる。
このノルブさん、ゾンサル・シャムヤン・ケンチェ・リンポチェという高僧でもある。いやこちらが本職か。
チベット仏教を世界に知らしめることになった映画「リトル・ブッダ」にも出演されている。
3度生まれ変わったとされ、いわゆる活仏として認められている。
ブータンらしいのは、製作でも仏法が取り入れられ、キャスティングや撮影日もそれによったという。
そのため「仏のおかげで無事撮影できた」ということらしい。
ブータンのサッカー人気には、日本も少し貢献している。
指導者や選手が派遣されている。
その成果なのか、あれからブータンのサッカーは最下位から遠のいた。
順位はというと…。
やめておこう。
ランキングはあまり意味のないことだから。