コロナ禍のお寺。
恩師の四十九日で名古屋に妻と来ている。お寺を行脚して、福島県に仏像を届ける活動をしているとき、先の竜門さんに紹介された。名古屋に転勤になったときだった。
名古屋のお寺で毎月、お坊さんなどを呼んで、勉強会を開かれていた。その人脈で、福島に向かう途中のお寺をいろいろ紹介していただいた。はじめは、田舎くさい名古屋弁にドスが効いていて「おっかない人」との印象だったが、これほどまで人のために尽くす人を私は知らない。
お寺に集まりがあると、おはぎやらをみんなのために用意して、ビニールに包んで持って帰らす。それも大量に。さぞや早起きして、用意してくれたのだろう。妻の身体が弱いと知ると、自身が講師をしていた健康法を一生懸命教えてくれた。
奥様も「人のためにやりすぎるから、夏の暑いときも畑に出て、身体を壊すからこちらもひやひや」と尊敬半分、小言半分に苦笑いされていた。誰に対しても、言葉は悪いがお坊さん以上にほどこす。微塵の不自然さもなかった。
定時制の先生をされていた。先生は一度、大病を患った。
そのとき病院に行ったら、ひっきりなしに生徒さんが来られていた。本当に慕われていたんだなぁと少し誇らしく思った。
妻といつも心配していたのだ。「あんなに人のことばかりやって、もう少し自分のためにわがまましたらいいのに…。」足が不自由になり、最後に会ったのは、自宅近くの行きつけの喫茶店だった。
もうそこにも、自分の足では行けないのであろう。
いつもひとのことばかり話す先生が、そのときばかりは珍しく自分のことをネタにした。
過去にアフリカ始め、いろいろな国に行ったことなど。初めて聞く話ばかりだった。
2人で驚いていると、照れながらも実にうれしそうに懐かしんでいた。
帰り道で妻と「先生も自分で楽しんだときがあったんやな」とホッとした。
実は、先生が作ってくれたものは、手作り感満載のおはぎなどは美味というものではなかった。
だが、そのうまくはなかったおはぎが食べたいと思うときがある。