ミニ遍路という誘惑~前編~(2022年4月)

えらいところに来てしもた…。
岡山市北区大内田とある。
市内なのでそこそこ都会だろうと高をくくっていた。
カーナビが示す道路の先は、車がすれ違えないほどの小径が集落に伸びている。
車では入れんやろ…。
自らの運転技術も考慮して、手前の田んぼ脇に駐車。
後にその決断が正しかったことを知る。
小径の先に突如石段がそびえ立つ。
急な階段を登り切ると、目指す千手寺が姿を見せた。

山門前に真新しい看板が立っている。

これぞ目的の地場大師八十八カ所霊場。
説明板とカラフルな地図には、本場八十八箇所のミニチュア版の札所が描かれている。
寺伝によれば、創建は奈良時代の報恩大師とあり、今は高野山真言宗に属する。
報恩大師は、聖武天皇の娘孝謙天皇の病気を治したとも伝わる高僧。

寺は集落を見下ろすように、高台に建っている。
参拝客の姿はなく、お寺の方の気配もなかった。
無駄なあがきはせず、本堂に手を合わせて引き返した。
先の石段を降りていくと、住民のお姿が。

「ここの八十八箇所巡りはどんなですか?」

「昔歩いたけど、今はもう足が悪くて行けん。村の人もほとんどやってないんと違うか」

前に少し歩いた愛知県知多半島の八十八箇所のようではあるまい。
寺に来た旨を告げると、「住職はいるからもう一度ベルを鳴らしてみ」とのこと。
再び石段を登り、ピンポ~ン。
すると住職さんが現れた。
さっそく八十八箇所のことをうかがった。
こちらの「写し霊場(本場八十八箇所を写した霊場巡り)」は1784年にできたもの。
県内でも「写し」としては初期の霊場になるという。
1周約12キロ。半日ぐらいはかかるという。
聞けば、札所の位置は、町の変遷と共に変わるらしい。
遠方の山を指して、「昔このあたりまで海がきていて、港でした」という。
当時札所が置かれた周辺では、埋め立てが進み、祠も移動。
最近では、巡礼道の一部が工場の敷地になり、札所受難の日々。
そこで地域住民らが立ち上がり、祠を移動させるなどして整備。
近年に地図にまとめた。
「2020」とあるから最近つくったものらしい。
カラフルなイラストが付いて、裏面には本尊の真言まである。

「さあこれからPRしよう」というところでコロナ到来。今は休止状態という。
廻りたかったが、お日様も傾きつつある。
巡礼は別の機会に持ち越した。

ご住職は実に面白い方で、いろいろ教えていただいた。
珍しいものが…と見せていただいたのは「大師も修法した求聞持法の板仏」。
求聞持法は記憶力がスーパーになる修法。
簡単に説明すると真言を100万回、一定期間に唱える荒行。
板仏は、阿字観のように自身の前に立てて使う。
江戸時代にはよく使われていたそうだが、今では現存するものすらほとんどないとのこと。
板には、かすかに線で虚空蔵菩薩像らしきものが描かれている。
現代版があるなら、小生もほしい…。
とまあ、こんな感じで2時間以上もお話をうかがったわけで。

ウィキ情報で知ったのですが、千手寺の寺紋は五芒星もあり、明治時代以前は陰陽道もあったという。
密教だけでなく、陰陽道も信仰する異形の寺だった。
コロナで小休止しているが、住職は在家の仏教会を開催されるなど、ニュータイプのお坊さん。
HPのFBには「仏教志塾」とあり、「インドの言葉で本当の仏教を学んでゆきます!」とある。
「密教志塾」には「大日経と金剛頂経から正しい密教を学ぶ」とある。
こりゃ、ホンマもんです。
後ろ髪引かれながら、岡山駅への帰還と相成った。

翌日は瀬戸大橋を渡り、香川県に。
考えなしに80番札所の高松の国分寺に向かった。
ここのグッズ売り場はセンスがある。
イカしたエコバックなどは霊場すべてにあると思ったが、ここだけのオリジナルという。

国分寺のことはどこかで述べるとして、裏手にある資料館を訪ねた。
こちらの職員の方とも、88のことで盛り上がった。

「そこまで関心があるならば…」

田井静明氏が書かれた「香川県の写し霊場の成立」という報告書をコピーしてくれた。
そこまでしていただいて多謝!
これが、よくできた資料なのである。
ミニ遍路は小豆島ぐらいにしかないと思っていたが、とんでもない。
岡山県内だけで30以上と書かれ、徳島県では80以上とある。
瀬戸内のほとんどの有人島に88が存在しているというのだ。

写し霊場は、本場の88を廻る時間とお金がない人のために島の有力者らが作った。
祈りといった信仰の側面と、巡礼という修行の側面が、ウケたのだと思う。
後年、娯楽の要素も加わり、島の観光にも波及していったという。
島民も本場同様に、お接待に精を出した。
同時期の江戸では、富士山信仰から各地に富士塚が作られた(今も参拝者がある。詳しくはこちら)。
この時期に、日本中で霊場作りが大流行したのではないか。
「寺を造るまではしんどいけど、石仏を置いていく巡礼道なら」とかいった理由なのか。
もちろん、大師信仰やお遍路が民衆の憧れだったという大前提はあろう。

島四国(島の写し霊場)では、潮が引いているときに沿岸部を廻る。
潮が高いときは、札所が流されることもあったと、報告書は述べている。
なので欠落している札所も多いそうだ。
興味深いのは、はじめ33観音霊場だったのが、八十八箇所に習合されたという例。
33では物足りないという、信仰のインフレが生じたか。

ただ、今では島遍路を取り巻く現実は厳しくなっている。
島人はお接待で巡礼者をもてなしたが、過疎化でその伝統も薄れてしまったという。
失われ行く88も多いのだろう。
島遍路は、思い立ったときに歩いた方がいい。

さておき、ミニ遍路は新たな仏縁の結び方かもしれない。
本チャンのお遍路はまだ先でも、ミニで予行練習をしておけと。
小生も、滋賀県にある古刹永源寺の裏山でミニ遍路を体験した。
香川の海岸寺ではミニ遍路ウオークのお手伝いがてら巡礼した。

当時は意識していなかったが、完歩したコースは5ぐらいはあるかも。
寺のお堂にある八十八箇所のお砂踏みなども入れると、10はあるか。
みなも同様と思うぞよ。
調べてみると、大阪の某スタジアムの催事スペースでは、札所の砂を集めて、
霊場巡りを行っていた。
う~ん、現代的過ぎて少しついていけない感じだが…。

後編では、さらに踏み出したお遍路の未来形を紹介したい。