入り口といえば入り口~阿波・淡路路~(2021年9月)

関西から淡路島に行くことになったので、ついでに橋を渡って四国の徳島まで足を伸ばすことにした。
コロナが落ち着かない時期だったので、滋賀から京都まではJR。そこから高速バスに乗り換えた。
京都駅は観光客の引くガラガラの音がけたたましかったインバウンド景気が嘘のようにガラガラ。
平日の高速バスは5人程度の乗客だった(こちらは日頃かもしれないが)。

徳島は仕事で何度か来たが、夜に泊まっただけでよく知らない。
少し寂れた県庁所在地の印象であったが、
駅前はそれなりに大きなデパートらしき建物もあり、意外ににぎわいはあるように感じた。


滋賀の県庁所在地大津駅前と比べての印象ではあるが。
地元民に聞くと「そごうも撤退したし…」と緩やかな衰退を口にされた。
2020年に駅前すぐにあるデパートのそごうが閉店したという。
11階建てのビルには専門店やホテルがテナントとして入っているようだ。
同年に、滋賀でも西武の大津店が閉店した。
最近の人は平均的な品揃えなど求めていないし、
そもそもネットで買い物する。
なのでデパートの撤退イコール地方都市の衰退かというと、少し違う。
そごう後の建物に入っている図書館は民間委託ゆえか、21時まで営業している。
これなら忙しい向きも仕事帰りに立ち寄れる。
館内では若者がキビキビと書籍を整理していた。
デパートが提供する品揃えが街なかにいらないだけで、
令和に必要な店舗やサービスはまだあるように思える。

2泊する旅館のおかみからも嘆きの声がもれた。
阿波踊りは今年も無観客のオンライン開催。
夏の阿波踊りの有無は宿泊業にとり、死活問題なのだろう。
コロナうらめしやである。

徳島の立ち位置はいかに。
1998年の明石海峡大橋の開通で、関西から淡路島経由のアクセスが容易になった。
ちなみに大鳴門橋は85年と少し早い。
2021年4月の市の人口は25万人という。これは全国41位という。
四国では最下位。規模でいうと、福井市や山形市程度ということになる。
これが明治初期の1873年の調査では人口は5万人弱だが、
博多や神戸をしのぐ10位ぐらいのまちだったというから、少し驚き。
調べてみると、江戸時代の徳島藩は阿波と淡路を有し、25万石の雄藩だった。
商品作物だった吉野川一帯で栽培される藍の収入が莫大で、
徳島藩士とその家族を題材とした小説「お登勢」には実質70万石とも書かれていた。
ただ藩主が徳川寄りだったことで、明治期からは土佐のようには優遇されなかった。
先の「お登勢」に詳しいが、淡路が本拠の徳島藩家老稲田家との対立で疲弊。
幕末に明治政府に味方したはずの稲田家も、徳島本家との争いがけんか両成敗となり、
北海道の静内地方に移住させられた。なんたる仕打ち…。
彼らは未開の原野を裸一貫から切り開き、この地は後にサラブレットの生産地となった。
また藍の生産は現在北海道が全国一。この技術も徳島からもたらされたといわれる。
鳥取藩もそうであったが、新政府は御一新後の武士の処遇に頭を痛めたらしく、
手っ取り早い解決策が、北海道開拓移民だった。
淡路の稲田家家臣団の悲劇を映画化した吉永小百合主演の「北の零年」では、
刀を鍬に持ち替えた彼らが、極貧の生活を強いられるさまを描いている。
映画について話すと、主人公の旦那を演じた渡辺謙の役柄が結構えげつなかった。

江戸時代からの長い歴史軸を持ち出すと、確かに上向きではないということか。


ただ萌芽はある。
駅から出たところにある建物の地下にある(普通は駅であろう)観光案内所のスタッフに聞くと、
市内ではないが、23年を一期生とする高専設立が話題だそうだ。
神山町という過疎化の進む山あいの村に、ITベンチャーらが集っている。
(ネット環境が昔から整備されているのだとか)
一部上場企業の社長らが核となり、そこに高専をつくるという。
講師陣も東京から引っ張るようで、
「卒業生の7割を起業家にする」という意気込みはあっぱれ。
宿でテレビをつけると、地元ニュースでも大きく報じられていた。
コロナでオンラインという新たな在り方も取り入れられた時代に、案外可能性があるのかもしれない。

後述するが、アニメ「鬼滅の刃」の製作を行う「ufotable」は徳島市内にサテライトオフィスがあり、
商店街や阿波踊りとタイアップしたイベントも行っている。
まちから消えた映画館を再興するなど、他にはない先駆的取り組みもある。
徳島のPRをする場ではないが、興味を持った向きは一度足を踏み入れることをすすめる。
案外間口は広いように思う。

いつも通り前置きが長いが、お寺の話である。
徳島から高知に続く国道55号を南に進む。
海沿いを走るわりには海は見えないが、広く快適な道路である。
目指すは「鯖大師」。
四国には弘法大師空海にまつわる逸話があちこちにゴロゴロしている。
鯖大師もその1つ。
大師が四国巡礼していた折、当地に差し掛かった行商の馬子に塩鯖を請うた。
でもそもそもお坊さんが魚を口にしてよいのか?
そこは置いておいて、寺のHPに詳しい説明がある。
大師は馬が重い荷物に苦しんでいるのをかわいそうに思い、
「塩鯖を譲ってくれないか」と頼んだ。
(自ら食べるのではなく、馬のためでホッとした)
しかし、馬子は身なりが汚い僧侶を見て、口汚くののしり、断った。
しばらくして坂に差し掛かったとき、馬が苦しみ出して先に進めなくなった。
そこで馬子は、先の僧侶が弘法大師だと気付いた。
時遅しではあるが、塩鯖を持ってお詫びした。
すると、馬の病気が直ってしまった。
大師が近くの法生島(ほけじま)で塩鯖をご加持すると、
なんと鯖が生き返るではないか。
仏心を起こした馬子は、空海の弟子となった。
この地に庵を結び、それが鯖大師本坊になったという。
いろいろネットをググってみると、こんな話もある。
空海のところが行基になっており、
彼が「大坂や八坂坂中鯖ひとつ行基にくれで馬の腹や(病)む」と詠むと馬が苦しみ始め、
馬子がわびると「大坂や八坂坂中鯖ひとつ行基にくれて馬の腹やむ」と詠んで
馬がもとの通りになったという。
大師もそもそもは行基菩薩の霊夢を見たことが、謂われになっているので、
もとは行基により建てられたお堂なのかもしれない。
小さな堂内には、右手に鯖を持たれた愛嬌あるお大師さまの石像がいらっしゃる。


インパクトは絶大であった。
絵馬には「●日から食べませんからこの願い事をかなえて下さい」と書かれている。
3年間、鯖を食べないと願いが叶うという。
「鯖絶ち奉納絵馬」である。
●月●日までと書き込む。
いい仕組みと思う。
ただ願うより、なにかを我慢しながら祈る。前に読んだ本を思い出した。
精神科医で作家でもある帚木蓬生の「ネガティブ・ケイパビリティ」
「メディスンマン」のことが書かれている。
いわゆる未開社会の呪術師のことで、
彼らは病気を治すために家族に「高い山に登って薬草を採ってこい」などと命じる。
帚木氏は、現代人はあきれるであろうが、これらの行為は的外れではないと述べる。
プラボノ効果というものが大まじめに研究されているという。
簡単にいえば、「これはよく効く薬です」と嘘をついて飲ます偽薬の効果である。
だがこれが意外によく効くのである。副作用まで出るのだという。
つまり、メディスンマンの祈祷は、これと同じで非科学的とは思いながら、
すべての望みを絶たれた家族が、最後の頼みの綱と思い、「効く」と信じると、効くのである。
そのためには、現実離れしていて、かつ時間がかかる方がいいという。
その間に、信心が強くなっていくのであろう。
まさに、鯖大師の信仰と同じではないか!
非科学的ながら、それで効いてしまう人がいるのである。
私もスーパーで鯖缶を見るたびに、祈りを思い出している。
3年も食べられないのかぁ…。

ところで鯖大師なるものはここだけなのだろうか?
調べてみると、ほかにも兵庫県の須磨寺にもあるらしい。
愛知県の知多半島の先にある日間賀島にもおられる。
日間賀島はタコ漁でも有名で、「たこ阿弥陀」さまもおられるという。
ちなみにこちらはタコが阿弥陀像を守るようにして網にかかったことによるもので、
造形がタコというわけではない。
(あとで知ったが、この島には鯖大師もおられることもわかった!)

八角形をしたお堂で作業されている作務衣の男性に声をかけた。
ご住職であられた。
「よかったら」と、お堂の中を案内していただいた。
明かりをつけると、壮大な円形ドームの護摩堂が姿を見せた。
外からは分からないが、大層お金がかかってそうな造りである。
ご祈祷は毎日されるという。
お遍路にも2年に一度、なんと徒歩で行っているという。
正真正銘の行者でもあられる。
感心していると、「本堂へ」とうながされた。
なんとこの護摩堂から石窟がつながっているのである。
薄暗い通路は88mにもなるという。
八十八カ所の本尊が脇に立たれ、霊場巡りもできる仕組みになっている。
こりゃ、ぶったまげた。
いくらかかったんだろうか…と余計なことも頭をよぎる。
鯖大師は20ある別格霊場の1つ。
八十八カ所と合わせ、人間の煩悩の数となる108を廻るスーパーなお遍路もある。
車すら滅多に通らない田舎道に、白装束のお遍路の男性がてくてくと歩いてくる。
こんな信者さんが、お大師さんと因縁のある寺院をこんにちも支え続けている。

しょっぱなからハードパンチを食らい、今度はルートを北上していく。
JR牟岐駅手前で山側に入っていくと正観寺がある。
東大寺が本山の華厳宗の末寺という。
宗派が奈良以外では珍しいし、そもそもなぜ徳島なのかよくわからない。
観光寺ではないので、あまり情報はない。
スリランカ・キャンディの仏歯寺から仏舎利を分与されたとあったことに気が引かれた。
お釈迦様のお骨というわけだ。
仏舎利があるとされる光明精舎にお邪魔する。
おそらくお堂の奥に厳重に祀られているのであろう。
堂内で仏舎利の気配は感じられなかった。
とにかく境内が広い。そして建物も立派である。
本堂に、円筒形をした奇抜な朱色の空堂など。


少し新興宗教のにおいがしないでもない。
「八大地獄」という施設があるらしく、人形などで地獄を表現しているらしい。
こちらのかいわいで知られるようだが、
珍寺というわけでなく、あくまで信仰のお寺のように思う。
受付に声をかけた。
話の最中に、突然建物に弾丸が撃ち込まれた!
なぜか非直線に動く黒い物体。
トンボなのだが、デカさが尋常でない。
受付の女性は「オニヤンマでしょ」と涼しそうに言った。
命中したらけがでもしそうだが、さすがは地元の方である。
華厳宗のことを尋ねると「東大寺の管長さんが来られてましたね」と事も無げに話される。
やはりただモノではないお寺なのだ。
コロナで参拝客は少ないという。
徳島のことも教えてくれた。
なんでも徳島は全国に先駆けて、コロナ感染を防ごうと、車の他県ナンバーをチェックすると言い出したらしい。
そのあおりで、実際住んでいながら徳島ナンバーでない自動車保有者が
登録変更に殺到したという。
確かにネットを探すと、全国から批判が殺到したともある。
ただそれは徳島が先だっただけで、ほかの県でも「住民が監視していた」という例はあった。
さすがに今ではにそんなことはないのであろうが、都会に対する田舎の視線を感じた。

「ここらは昔からサーフィンで関西からの車も多いから、
私は気にならないんですけどね」

その言葉に少し救われた気がした。

さらに1時間ばかり北上して徳島市内にある丈六寺に着いた。
ここは評価が難しい。

「阿波の正倉院」として知られる寺ではあるが、
お寺の方の姿もなく、11月にのみ建物などが一般公開されるという。
だだっ広い境内には、室町時代の山門や本堂など立派な建物がある。
もちろん中に入るとこはできない。
「血天井」なる物騒な説明板があった。
土佐の戦国武将長宗我部元親が、寝返りの可能性がった新開氏をここでだまし討ちにした。
そのときの血のあとが何度ぬぐっても消えず、天井の板に使ったという。
見上げれば、曇り空である。
人気がなく、どこか陰気な雰囲気が漂っていた。
左右に墓石が並ぶ参道奥に観音堂がある。
平安期とされる聖観音座像が鎮座する。
11月でないとご開帳されないが、目をこらすと3m超の巨像が拝める。
精緻な後背といい、美しい造形といい、すばらしい仕事であることは間違いない。
のちほど電話で確認すると、
「コロナで11月も開帳するかわからない」と話されていたが、
早く参拝できる日が来ることを願う。

まだ少し時間がある。
せっかく徳島に来たのだから…。
市街地を縦断して、霊山寺に向かう。
言わずと知れた四国八十八カ所の第1番札所である。


知多八十八カ所は、人はまばらだったが、さすがにここはコロナでも多いかも。
ワクワクして境内に足を踏み入れた。
夕方近くになっていたからか、人は思ったより少なかった。
ちなみに霊山寺である。
都会中心に何万人ものまえでシャウトされていた。
スーパーアイドル「ももいろクローバーZ」に「ももクロのニッポン万歳!」というノリノリの楽曲がある。
ライブでは大事ところで歌われるのだ。
日本の全都道府県をいちいち紹介しており、
四国のパートの最初が徳島県。
「まずは徳島 霊山寺~ 阿波踊りなんかしているヒマない」
少し失礼なくだりもあるが、そこはご愛敬。拙者も好きなので。
高知はカツオ、愛媛はみかんとなり、「最後は香川の大窪寺~」と続く。
ライブでも一番盛り上がるのだが、どれほどのファンが霊山寺や大窪寺を知っているであろうか?
ももクロがいつか「お遍路やってみた」とかなるとよいのだが…。

その萌芽はある。
先のアニメ制作会社の 「ufotable」 はその名もずばり「おへんろ。」というアニメを作っている。
美少女キャラがうだうだ言いながら、お遍路を行うというもの。
単なるアニメとあなどるなかれ。
このアニメは日本だけでなく、ハワイでも放映されたという。
さらに調べると、なんとハワイには八十八ケ所巡りができる場所まであるという。
(英訳はご自身で行って下さい)


ともあれ、お遍路パワーおそるべしである。