コロナ禍の寺巡り~島根編(2021年5月)

GWにコロナ禍の中での寺巡りを考えた。
テレビでは「外出は控えてください」という呪詛の言葉が繰り返される。

でも寺ロスも限界に達した。
電車を使わず、酒も飲まず、迷惑掛けずで行くから許しておくれ。

それではどこに向かおうか。
大阪、京都はもってのほか。
HPには県境をまたぐ移動は控えるようにともある。
テレビで感染者の全国地図が映し出されると、ひときわ目立つエリアがある。
本州の日本海の西の方…。ほかが2ケタ感染者にもかかわらず、島根と鳥取は1ケタ台。
島根に知人がいたこともある。

念のため検温をして、体調が万全であることを確認して、車で高速をかっ飛ばした。
ラジオでは、女性シンガー大黒摩季と相川七瀬が軽妙なトークをかましている。
大黒の少しおばちゃんテイストのよた話が面白い。

「幼い頃、おばちゃんに言われたのが『男の心をつかむには5つの袋をつかみなさい』ということ」

胃袋、給料袋(もう絶滅したが)、知恵袋、堪忍袋、お袋とか。
金玉●という下品さこそなかったが、
大黒かあちゃんの昭和全開のトークに、さすがの相川も防戦気味で…。

強風でラジオの音声がブチブチ切れる。
軽自動車で車体を振られながら、約6時間。
小高いところを走る山陰道から海が見えると、ようやく本州に裏側に来たという旅情にかられる。
島根県の大田というまちに泊まった。
安い割にこぎれいなビジネスホテル。
こんなご時世でも、感染者が少ないからか県を挙げて旅行キャンペーンをしているらしい。
受付を終えると、日本酒やら米やらを手渡された。
これなら1泊実質3000円ぐらいか。得した気分ではある。
突然に思い立った旅行なので、到着してから友人に電話を入れた。

「なに言うとるねん。もう転勤で愛媛に来てるわ」とのこと。

苦笑いするしかない。
そして、コロナ禍にぴったりな一人旅が始まった。

テレビでは島根と鳥取の感染者はそれぞれ6人と2人と報じる。
全国でも最少のエリアである。
朝は天気予報通り、たたきつけるような激しい雨。
考えなしに石見銀山を目指した。
知名度は高いとは言えないが、2007年にアジアの鉱山として初めて世界遺産に登録されている。
観光地には違いないのだが、
雨だからなのか、コロナだからか、そもそもブームが去ったからなのか人の気配はない。
朝の静けさが旅の記憶を呼び起こす。
瑞々しさと緑の濃さ。なぜか東南アジアの朝を感じた。
映像というより、におい。
日本の都会では感じ得ない、むせるようなアジアのにおい。
間違いなく、ここはアジアだよ。

ただ向かうのは、寺である。
そこは初志貫徹。
礼儀として10時の開門を待ち、羅漢寺の窓口で入場料を支払った。
感染者は少なくても、対策としてしっかりビニール製の間仕切りがこしらえられている。

「コロナでお客さんも少ないですね」と向けると、

「もとに戻ったという感じだね。ただここはインバウンドとかはあまりなかったから」と返ってきた。

世界遺産ブームが去ったという意味だろうか。
このお寺もれっきとした世界遺産。
鉱山発展の過程で1766年に開かれた。
高野山真言宗という。
面白い構造の寺になっている。
受付を入るとすぐ本堂がある。境内には銭洗い観音などがあるが、これらはいってみれば余興である。
パンフレットの構成もそうなっておる。
本堂を出て、窓口からすぐの道向こうに重厚な石造の反り橋と赤い門がある。

実はそれらは、お寺に入らなくてもしっかりと見ることができる。
それら石造の建築群は中華風で、よりアジア感を醸している。
いい具合に苔むした石橋を渡り、奥に登っていくと石窟がある。
(ここからはお金がいりますぞ)
薄暗い空間に鎮座する五百羅漢が、寺の見どころになっている。
あまたいる羅漢さんはうなったり、嘆いたりと表情豊かである。
素材の石が特徴的で、薄青くみえる福光石は彫刻に適した柔らかさだという。

ただ、興味深いのと、居心地がいいのとは必ずしも同居しない。
すべてをみる間もなく、雨降る屋外に出た。

雨がいっこうに止まないので、屋内がいいだろう。
石見銀山世界遺産センターなるところに向かった。
世界遺産になったとき、お金をかけて作ったのだろう。
通りいっぺんの鉱山の歴史はよくわかった。
16世紀には石見をはじめとする日本の鉱山から産出する銀が、東アジア貿易に使われた。
だが、その繁栄も17世紀も後半になると、銀が枯渇しはじめ、衰退に向かっていく。
明治期に民間に払い下げられる。
1886年に大阪の政商藤田組により再開発されるが、1923年には休山したという。
昔大阪市で住んでいた近くに、藤田美術館というばかでかい敷地があり、これが藤田組の頭領である伝三郎の邸宅だった。
「あの藤田組か」と思っていると、さらに藤田組は海外の鉱山開発にも手を出したとある。
台湾北部にある九?はそのとき、金の産出で栄えた。

だが、その後産出量が落ち、1971年に鉱山は閉山。以降まちは寂れていく。
だが1989年にまちを舞台にした台湾映画「非情城市」が公開されると、90年代から観光地として復活を果たした。
狭くて急な石段に、ランタンが幻想的に映えるあのレトロな風景である。
さらにアニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台モデルにもなったとうわさされ、
日本人も加え、台北観光で外せないスポットとなっている。

かたや石見銀山には、映画であらゆる観光地を巡る寅さんも来ていない(隣の温泉津町ではロケをしたようだが)。
世界遺産認定で、県資料によれば年間入り込み客数は倍増の80万人ぐらいまで増えたが、一過性のものでその後は下降線。
ちなみに出雲大社は神社ブームもあり、250万人あたりをキープしている。
ネットで地元の方が書いた石見銀山についてのブログを見つけた。
そこには「石見銀山は世界遺産の地であり、観光地ではない」と論じられている。
言いたいことはよくわかる。共感もする。
人が少ないとか派手さがないから「なんじゃ」と思うのは、その価値を見抜く力がないということ。
価値があるから世界遺産なのだ。
ただ寅さんは来てくれない…。
この世界遺産は、今後なにを発信していくのか、興味ではある。

そして家に着いてから、驚きの動画を見つけた。
その名も「税から見る石見銀山」。
石見大田法人会という団体が、24分も長さで作成した渾身のアニメである。

http://www.iwamiohda.jp/anime-iwamiginzan

ただ恐縮だが、税のなにを知らしめたいのか一向にわからず、
石見銀山の時代と今をリンクさせたことで、余計に税のことがわからなくなっている。
ほんとこれは誰に向けて作られた動画なのか、理解に苦しむ。
この苦痛の24分を最後まで見たのは、小生だけではないのかとも思える。

泊まった大田に引き返し、歯ごたえがありすぎる地元の特大あなごをほおばった。
あなごに罪はないが、うなぎの方が好みかな。
雨があがりそうだ。
車を東に走らせた。

おそらく模範ルートなら、出雲大社となる。
だがそこはパスして、少し北の島根半島の山中にある鰐淵寺を目指す。
なかなかの山寺である。
駐車場を留めても、受付らしきものもない。
この道でいいのか不安になる。
しかも深遠な森が続き、昼なのにあたりが暗い。
当然、人は全くいない。
高僧らをたたえる説明板が続くが、古色蒼然として廃墟感すらかもしている。
引き返そうと思う気持ちをこらえて、15分ばかり心細い山道を進む。
ようやく受付にたどり着いた。
地獄巡りにうってつけの修験寺。出雲大社の別当寺を務めていたとパンフにはある。
初めて知った寺だが、全国的には有名なそうである。

あまりいい意味ではない。
この寺は古刹である。寺宝も多い。
なので盗難が多いそうだ。
2005年には後醍醐天皇ゆかりの重要文化財を含む13点が被害に遭ったという。
「鰐淵寺」といえば「盗難」として知られているのだそうだ。
さもありなん。
人里離れたところに広大な境内。しかも寺僧は受付で見たのみ。
目を付ける輩がいても不思議ではない。
それゆえ現在は、出雲大社の博物館に寺宝は収められているという。
なげかわしい限りではある。

翻って鰐淵寺。
武蔵坊弁慶ゆかりの寺とも。

諸説あるが、弁慶は松江に生まれ、当寺で修行し、京に出て行ったとのこと。
鳥取の大山寺の釣り鐘をここまで持ってきたという伝説がある。
車でも約100キロという距離を走破したことになる。
雰囲気のある石段を登っていくと、徐々に根本堂が姿を見せる。

迫力ある造りで、実にフォトジェニック。紅葉シーズンなどはいいであろう。
逆にいまの季節は、人を寄せ付けないオーラを出す。
それも一興か。冷気にさらされながら境内を散策していたが、
近寄りがたい妖気を発する神社が目に入った。

苔むしてそれなりに古いものなのであろう。
寺に神社とは、神仏混淆のなごりである。
なんと「摩陀羅神社」とある。

摩陀羅神とは、人の生死を扱う神とされ、円仁が中国から招来したとされ、天台宗では常行堂に祀られる。
臨終の際の人の屍を食するという荼枳尼天と一体ともいわれ、修法は口伝で秘法中の秘法とされている。
秘法は人の寿命をコントロールするものとされる。
パンフによれば「明治政府の神仏分離令を免れ、天台宗の秘神『摩陀羅神』を古来より祀り続けています」とある。
説明板には江戸時代までは出雲大社の裏にあったという。
明治の世になり、危険すぎるので鰐淵寺に秘されたというのか。
改めて凝視すると、人の気配のない建物から霊気が立ち上がっているように感じる。
秘法で守られる聖域を侵した盗賊どもは、もうあの世であろう。

久々の超絶寺院に圧倒され、下山しようとするが、まだ終わりではなかった。
思わせぶりな「浮浪滝」というものがある。
境内の外にあり、また心細い道を進んでいく。
5分ぐらい歩くと、異世界が出現する。
お堂がしぶきを上げている。
なんと滝の下に蔵王堂が組まれてあるのである。

鰐淵寺の奥の院とある。
三徳山の投入堂のように、断崖絶壁に建てられるお堂はあったが、滝壺の中のお堂は初めて見た。
眼前の景色が現実感を伴って、見えてこない。
神々しいような、畏怖を投げつけられているような。
こんなところで、修行してたら、見えないものも見えてくるのであろう。
往時は修験の寺。
摩陀羅神の修法はじめ秘法が研鑽されていたのであろう。
古代は大和朝廷に刃向かった出雲族の本拠でもあった。
まつろわぬものの末裔が祈願したのは、国家安寧のほかに幾ばくかあったか。
それはわからない。
深い祈りを捧げて、深遠なる山寺をあとにした。

精魂をもぎ取られて下山したが、まだ日は高い。
少し東にある一畑薬師に向かった。
この寺は鰐淵寺と対照的。
境内には笑顔の家族連れがたくさん。
参道もごみ一つなく整備されており、新興宗教の道場を感じさせる。

見上げれば青空で、売店では甘味物も販売されている。
鰐淵寺で感じた「恐怖」などという感情はみじんも起こらない。
地獄から天国へ。
まぁそれぐらい平穏な寺院である。
といっても、地元では名刹ではある。
目に効くという霊茶が有名で、無料で振る舞われている。
それを目当てに人が来るのだろうか。
そして、お目当ての説明板。
「のんのんばあ」とある。
彼女こそが幼き日の水木しげるを震え上がらせたお手伝いさん。

日常のなにげない現象も「妖怪が引き起こすもの」と怪奇現象のいろはをたたき込んだ。
彼女がいなければ、「ゲゲゲの鬼太郎」は世になかった。
結果的にだが、それぐらいの影響力があった。
ところによっては「のんのん」というのは、幼児語で仏を表すのだともいう。
信者だった彼女はそれで「のんのんばあ」と呼ばれていた。
水木少年に「頭痛にも効くぞ」と霊茶を注いでやったという。
今でもお寺ではお茶を販売している。
地獄から解放された小生も、気づけば「御霊茶」をありがたく手にしていた。

日はだいぶ傾いてきた。
松江市を目指すのだが、途中に寺があるのならば寄らないわけにはいかない。
「月照寺」という名前の美しい寺院に滑り込んだ。
松江藩主菩提所とあるだけに、境内はきれいに掃き清められている。
藩主松平家の墓所でもある。
大寺ではないが、見どころはある。
茶人としても著名だった七代不昧公の墓は、松江城が一番よく見えるところ小高い場所にある。
寿蔵碑というものが興味深い。
六代目の墓の前にあるのだが、業績が書かれているのであろう碑文を巨大な亀が支えている。
空を睥睨するように鎌首をヌッともち上げ、大地に爪を立て、周囲を威圧している。

山口でも同じようなものを見たが、もっと上品なものであった。
中国では亀趺(きふ)といい、貴人の墓に用いられる。
かわいく作ればいいものの、邪悪感満載である。
「耳なし芳一」を取り上げたかのラフカディオ・ハーンも、ビビッときたのか随筆で触れている。
なんでも大亀は、夜な夜な城下を徘徊し、子どもをさらったという。
そもそもは、七代目不昧公が父の長寿を願い作ったもので、なでると長生きすると言われていた。
時は移り、大亀はいまではインスタで若者にも人気とか。

不昧公がひいきにした力士雷電の顕彰碑もある。
手形に手を合わせられるのもうれしい。

雷電は江戸時代最強ともいわれた力士で、江戸本場所で35場所で254勝で10敗しかしなかった。
当時は横綱がないので、最高位は大関であった。
松江藩は雷電を大事にし、没後は東京都港区にある松江藩の江戸の菩提寺である報土寺に葬られている。
こんな話がある。
生前の雷電は母のために鐘を寺に寄贈したが、そこには力士が彫られていた。
「天下無双」との文字もあり、たちまち江戸っ子の人気となった。
だが松江藩と反目していた幕閣が、それを「傲慢」といちゃもんをつけ、
結果的に雷電は住職とともに江戸追放の憂き目に。
それでも雷電は引退後も力士や角界のために尽力したという。
だが次代藩主は相撲に関心がなかったため、最終的には松江藩との関係も解消された。
最強力士の晩年は不遇であったともいえる。
ただ遺髪は松江の西光寺にあるというから、藩も仁義は通したということか。

宍道湖の夕日でも眺めたいが、そろそろホテルに入らねば。

朝起きて新聞を広げると、コロナ感染者数は「島根3、鳥取0」とある。
鳥取ゼロは全国で唯一である。ちなみに大阪は1057人。

松江は茶人として名をはせた不昧公のおかげか、なかなか洗練されたまちのような気がした。
友人がいないことがわかったので、松江には別れを告げることにした。
さらば、宍道湖よ。
ちなみに松江は、宍道湖と東にある中海の間にある。
そしてこの2つの湖は川を通じてつながっている。
滋賀県に住んでて思うのだが、湖という代物は結構、交通の妨げになる。
ある行政マンは「自分が知事なら琵琶湖に南北に通じる橋をかける」と言っていた。
つまり湖は大回りを強要する。

ご託は置いて、中海の南を走り、島根県安来市の清水寺に向かった。
盆ならまだしも、GWのお寺は人もまばらだ。
清水寺は天台宗の名刹である。
境内も広い。そして上りが続く。
本堂で柳灌頂というものをいただいた。
柳の枝に霊水で浸し、それを信者の頭上で振り、霊水をいただくというもの。
内陣で行うので、結構秘儀感もあった。
高台にそびえる三重塔は登れるらしいが、時間の都合で割愛。
名物らしい羊羹を土産に鳥取最後の寺巡りを終えた。