天台宗に垣間見える深奥のヤバイ部分の理由は (2017年1月)

よう、空石よ!

納地獄はおもろかったわ。中々まとまらないというのも首肯できる。俺も先ほど
まで、そのときに拾った様々なパンフレットを、年始の初詣紀行@鎌倉のそれと
併せて復習していたところや。天台修験の聖地を急ぎ2日で周った訳やが、お主
と同行したせいでマニアックな疑問点などが笑いと共にたくさん出て来て大変賑
やかであった。

ぼつぼつでよいのでまとめんとあかんよなぁ。楽しみにしているMONKマニアが全
国のどこかにおるやも知らんしな。写真だけ並べても壮観やで、ほんとに。

回峰行をはじめとするやばい修行は、何故か天台に多く見られるような気がする
がそれは気のせいか。考えるに、真言の場合は徹頭徹尾「密教」やから、本音も
建て前もなく密教や。むろん隠された修行は多くあるやろうし、おどろおどろし
たものは奥に潜むが、それでも空海の明るさみたいなものと大っぴらな感じが前
面に出る。

ところが、天台は最澄の少し陰性なnatureと、本音はどろどろ密教の濃い部分を
やりたいのに、建て前として「法華も禅も密教もやってます」総合大学として朝
廷にも見せる必要があったので、結果として裏に回った諸々が暗い色彩を帯びる
タブー教義として生き続けたのかもな。仏教から少し離れた後戸の神々の召喚も
そう。泰山府君なんて安倍晴明おはこの冥府の神やからな。そう解釈したくなる。

日本密教への俺のイメージは、「国家優等生だが深い闇を持つ最澄くん」と「自
由奔放な天才パンクで隠さず清濁併せ呑む空海くん」やが、その感は年々深くな
る。より真言密教と親近性のあるチベット密教を背景に持ちながら、なぜ中沢老
師があんなに天台密教の「秘所」に興味を持っていたのか、何となく分かるな。

十二年籠山行などの得体の知れない行もそういうmentalityから来るのかね。真
言に伝わるそういう系の修行を今度はぜひ知りたいわな。そして、昨年末の聖地
巡礼を今度は真言バージョンで今年末に実行できれば素敵やな。

FBの笑い仏さんも一応の役目は終わったよな。(土)に、「新聞に載ったことあるか」
という話題で人と喋っておった。そのときに笑い仏さんの話をして、地元新聞、ラジオ、
果てはローカルTVの取材まで受けた3.5年のプロジェクトだったと、いつもののり
で軽く伝えると度肝を抜かれていた。一般人には、そういうミッションを勝手に企画
するというのは想像もできないことであり、さらには3年以上をかけて実際に行
動にうつす、さらにはそれがメディアに取材される、という流れがもう異次元な
のやろうな。改めて、MONKの1事業が終わったという感を新たにした。お主の行
動力の賜物ですわ。多謝。

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どういう風に活用するかを今後考えねばならんな。MONKサイトはアップデートす
べきやと思うわ、早晩。新居は4月以降に稼働するので、GWなどの少し長い連休
などに巧く予定を合わせて、我が家で「サイト改修合宿」を行うというのも手か
も。そういう集中時間がないと、だらだらして中々作業を進められる気がしない
ので。ちょっと見当してみましょうかね。

では!