民俗学的な考察と原初の「畏怖の念」(2015年11月)

円瓢よ

三峯神社はすごいな。そして「オオカミの護符」もよさそうやな。
関東も山間部にいけば、こういうたぐいの話も残っているんやな。
もちろん、都市部にもあろう。

びっくりなのは、明治期ぐらいはまだまだ日本の山間部では、野獣と戦っていたんやね。
それも、今と違い人間の手に負えない敵としての野獣。ゆえに、護符など神の力を用いて、
害獣を遠ざけようとした。
いわゆる「畏れ」という感情やね。

あと、猟師というのも面白いと思う。

アイヌには、イヨマンテという熊送り神事がある。
小熊を大事に育てて、それから丁重に殺し、神にまた帰ってきて下さいとお願いする。
育てはしないが、同様に日本の猟師も同じようなことをしていた。
イノシシなどの獣を殺すと、そこに弔いと山の神に捧げるという意味も込め、
シキビのようなものを立て、そこに獣の毛をはさむ。
マクドに行けば、牛肉が食える時代じゃないから、
捕食者と被食者の距離は近かったんだろうね。

だからこそ、無茶はしなかった。

円瓢と行ったときだろうか? テレビかな?
イノシシ狩りのことを聞いたときに、人の臭いをつけないようにするとか、神事めいたものを行うとか。
何かを行うときの清めという行為は、日本人にとり、というか非現代人にとり、
大きな意味合いを持っていたんだろうね。
だから、そもそもキレイ好きという習性も、単にその行為だけが、日本人の特性みたいに言われるが、
もっと自然や超自然的なものに対する素直な畏怖の念が、基底にあったと推察する。

それが原初の形で残っているのが、祭やと思うわ。
大名祭のオジンジキさまもそのたぐい。
そんなものに触れていたいと思っておる。
先日も、奥三河の花祭に行ってきた。
こちらも徹夜で神楽を基調とした舞を舞う。
この話も合ったときにの。

それで本題。
祭に行けるなら、2ぐらいから来てもらい、3、4で篠島というスケジュール。
正月重視なら、31日に合流する。
いずれにせよ、おぬしの来名のスケジュールを教えてもらえれば。
宿なども押さえないといけないので。

ではの。

空石