内田百閒先生を見習い良質の毒づき寺紀行が書けぬものか?(2014年11月)

空石よ、

いい!中々の毒づきっぷりで読んでいて清々しかった。
確かに、俺の突っ込みを色を変えて入れる感じで完成させようぞ。

俺らはもともとが善人ゆえ(?)あんまり一人で毒づいているとしんどくなって
くるのでな。そこは、俺ら二人の軽妙洒脱なぼけつっこみで書いて行こう。空石
がぼけて俺がつっこむ、と同時にぼけもする。で、最終的に「1人の毒坊主」
が書いているような趣にしてもええしな。二人でもええし。

内田百閒老師は、何というかセンスのある毒づきぶりよな。板についているのは
もちろん、毒を飲まされてもあんまり嫌な気がしない。「確かになぁ」という、
「あるある」と納得させる最大公約数的に選んだテーマと、しかし、そこに切り
込む鋭さは素数レベルの孤高なもの。そのハーモニーが、あの素敵な味わいの
「阿呆列車」などを生むのだろうな。

懐かしいよな。内田百閒の名作「タマや」(買っていた飼い猫が家出した、とい
うだけのテーマで一冊書き上げる筆の妙)はまだ熟読しておらんが、名作である
こと間違いないであろう。彼のことを知ったのは、先日も話した通りに荒俣宏の
「大都会隠居術」であった。高校3年のときに読んだ。

ちゃんと文庫になっているではないか。中古で77円てあんた…。
http://www.amazon.co.jp/大都会隠居術-光文社文庫-荒俣-宏/dp/4334723209

まさかその後に、四半世紀過ぎて、自分たちがそこをモデルとして筆を走らせる
ことになろうとは…。我の想像力は、25年前の十三神社へと飛んでいく…。

いや、仕事に戻るわ。