知ってしまったからには、行かずにはおられない。
風薫るすがすがしい福島・会津地方を車で走っておる。
会津若松城がある市街地から30分あまり。
会津美里町にある龍興寺を目指した。
どうしてこの地を選んだのか?
少し寂しげな町の中心に来るとわかる。
入り口に小ぶりのロータリーがある公民館。
今は閉館となっている会津美里町公民館。
その入り口に、あのお方がおられる。
慈眼大師こと天海の像が堂々と立っておられる。
道路を渡ったところにそびえる石碑には、誕生の地ともある。
初期の徳川幕府を支えた名宰相ゆかりの土地なのである。
以前の百日さんにさかのぼろう。
私は誰に頼まれるでもなく、「慈眼寺」詣でを敢行しておった。
そして何の因果か、見つけてしまった慈眼大師誕生の土地!
この町にしてみれば、会津といえば白虎隊もよいが、天海さんちゃうの!
町のシンボルにしようとした形跡もある。
そこからすぐにある龍興寺は、天海が出家した寺院とされる。
開基は東北では立石寺こと山寺を開いた円仁さん。
こういうお寺は一か八かのところもある。
どういうことかというと、まず観光寺ではない。
ということは、檀家さん向けで、一見の参拝客は相手にしてくれないことも少なくない。
ましてや、まだお盆が明けてまだしである。
お寺にとっては、忙しいことこの上ない。
本堂の扉が閉まっていたので、「ごめんくださ~い!」と入り口のブザーを押した。
「入ってもらって構いませんよ」
中から声がする。
よかった。お寺の方はおられるようだ。
本堂に上がると、ご住職が背筋を伸ばし、端座しておられた。
正面には金色に輝く豪華絢爛の厨子が圧倒する。
正座しながら、お寺のいわれを質問する。
住職は丁寧に、通る声で朗々と解答してくれる。
どういう流れだったか「天台は行が厳しいですね」という話になった。
すると、ご住職の眼光が一層輝きを放った。
「私は行者ですから、そういうお話にご興味があるなら、お茶でも飲みながら」
我が意を得たりというところか。
でも、お寺の住職さんじゃなかったのですか?
「そんなことは自分では言いませんからね」
MONKでも話題になった百日さんである。
千日回峰行を満行した阿闍梨なら、放っておいても話題になる。
でも、「百日ですか?」とは普通聞かれない。
天海さんはすっ飛ばして、天台宗の修行の話に花が咲いた。
百日でもやはり、『自分でやりたいからでは…』とはならないそうである。
ご住職の場合、「やらんか?」と師匠から言われたのを「考えさせていただきます」と
答えたら「アホか!」となったという。ものすごく名誉なことなのである。
百日さんも行う「太鼓回し」の地獄のような苦行を垣間見た。
「わたしも意識がなかったですよ。
先輩は大声を出していたと思いますが、ああでもしないと、初心者は失神してしまう。
命がけなんですよ」
比叡山の最澄廟の掃除を十二年も行う籠山行のこともうかがった。
「宮本さんの本を読んだの? 彼とは一緒に行をしたこともありましたよ。
ずっと掃除っていうけど、あそこは湿気が強くて、体がすぐにやられてしまう。
掃除をし続けるということは、体温を保つ意味があるんですよ」
なるほど、理にかなった行なのである。
「あれがつらいのは、後継者がいないと、行をやめられない。
だから、宮本さんも十二年を終えても、ずっと行を続けておられた。
今? 当然、行を行われている方はいますよ」
1つ疑問が沸いた。
ご住職は行者といわれたが、お寺もやられている。
ということは、行者が忌むとされる葬儀はどうされるのか?
「師匠は『なにがいかんのや? やればいい』とおっしゃってくれた」
その代わり、葬儀に挑む際は、
体を清め、衣はもちろん、数珠まで新しいものに交換するのだという。
けじめをつけられているのだ。
境内の裏手には、蓮の池があり、きれいに手入れされている。
さて、ご住職との対話で『なぜ行を行うのか?』ということがおぼろげながらわかってきた。
宗教者は異能のものでなければならない。
葬儀などの法要を行うには、普通の人間ではつとまらない。
そのために、厳しい行を修め、異能を習得する。
異能だからこそ、引導を渡し、浄土に旅立たせる。
天海誕生の地で知った天台行者のお姿。
「慈眼の旅」はさまざまな驚きと発見授けてくれる。
●龍興寺
大沼郡会津美里町字龍興北甲2222-3
JR只見線・会津高田から徒歩10分
☎0242-54-2446