それにしても、である。
「びっくりしたわ。革靴でこんな山道たどって来なあかんなんて、まさに地獄やな。
宮内庁もなかなかのブラック企業やでぇ…。」
「いや、それはキャリアとノンキャリアの差と違うか?前の(参照地獄記事)東海自然道の看板をつくる国交省の係みたいによ(妄想)。」
「そんなん知らんと入社したらえらいことやで。『官僚やからデスクワークばっかりやろ』と思てたら、スーツで登山なんてよ!?」
調べてみると、皇族の墓というのは宮内庁管轄で全国に460も存在する。
これを手分けしてノンキャリが回るのか(…とMONK衆は思っている)。
「ただ宮内庁いうぐらいやから、やっぱ勤めてる連中も家柄重視なんちゃうんかな?」
「例えばそれこそ、皇族・士族の家柄とかよ。」
確かにそうだ。『天皇制反対』なんてやつが入省したらえらいことになろう。
ならば、コネ入省(言葉あるのか?)。いや身内しか入れない隔絶された組織なのかもしれない。
「ならええやんけ。しんどいいうても先祖のお墓参りやろ。それなら納得できるやん。」
謎は深まっていき、興味津々。誰か善知識なお知り合いがいれば教えてくだされ。
さて、開成皇子のお墓を参ったら、そのまま西に進んで箕面の滝を目指そう。
道のりにして、勝尾寺から開成皇子までの倍以上の距離があるけど。
しかし、乗りかかったこの盆地獄、行くところまで落ちようぞ!いつものことぞ!
勇んで山道を突き進むと、謎の円盤に遭遇した。
このさびた青銅の円盤、どうやらこの近辺の地理を現わしているようであった。
ただこれが少し変わっており、ひねくれた作者の意図を感じるのだ。
まず、結構精巧に高低差も立体的に現わした地形図だが、南北を上下にはしていない。
大阪湾の方角から見たもの、つまり東西を上下にしているのだ。
「考えられるのは、ここから視線を上げると、その地形が広がるということなんやろうな…。」
「やろうな…」という言葉の意図は、この通り理解されよう。
…。沈黙しかない。木、木、木。木が生え。…てるだけ。萩原朔太郎かい!
作成当時から木々が急ピッチで生育したのか、全く周囲の眺めがわからない。
展望もへったくれもない光景である。くだんの立体地図の恩恵がゼロである。
普通、こんな足を止めさせる休息所なるものは、眺望が開けたところに作るのが相場である。
なぜ、ここに、おそらくは苦労してまでこんなものを作ったのか?箕面のサルの陰謀か?
円盤をよく見ると、ランドスケープも特異である。
作成年は我らの生誕と同じく1971年。もちろん、阿倍野ハルカスなどない。
代わって散りばめられているのは、公園の位置と名前なのである。
しかも、寝屋川公園など「それが分かってどないなんねん!」と突っ込みたくなるマニアックな名前ばかりなのである。なにこれ?「公園オタク(そんなんおるのか?)」作成なのか?
うーむ。これを作成した意図が気になるわ。
こういう点も含めて、箕面は謎多き森である。
そして、事態は最悪の展開を迎えた。「地獄」はこうでなくっちゃな!
円盤に雨粒が落ちてきたと思うと、一瞬にしてザーザー激しい雨が打ちつけてきた。
小雨程度なら森の覆いが救ってくれただろうが、豪雨となると逃げ場はない。
ただ濡れ鼠になるのみだ。円瓢は何故か折り畳み傘を持っていたが、その絵面が山と合わないこと!
「ホントに箕面にはいい思い出がないわ…。」
私は思わずぼやいた。
この仏友らと昔、箕面の山に登ったときのことを思い出していたのである。
そのときは、夕方遅く山道に入ったので、「星でも見ていこう」とあいなった。
「箕面の星はやっぱちゃうわ!大阪やのによう見えるでぇ!」
星のきれいさに感動していたのもつかの間。
下山しようとして、都会育ち(同じ大阪だが)のわたしは絶句した。
「ま、ま、真っ暗やんけ!」
そう、森は本当に真っ黒だったのである。
コンラッドの「闇の中」のように、地獄すら連想するほどに。
「遭難…」
都会っ子の頭に2文字がよぎった。
しかし、友は手慣れたものだった。
視界なしの山道を鼻歌でもものしながら、軽快に下っていくのである。
電灯もなしに!ズンズンずんずんと!!転びもせずに!まじで、サルか!サルなのか!?
ここに、同じ大阪人でも箕面と市内では住む環境が違うことを思い知らされたのであった。
そして、悲劇再びである。今回はまだ昼だったが、豪雨に遭遇というわけ。
あまりにも激しいので、雨宿りしようということになった。
だが、雨あしは弱まるどころか、強まっていくのである。
「こら、行ったほうがええやろな…。」
同じく箕面育ちのM坊が勇んで進んでいったので、2人は続いた。
これはかえって、サンダルの方がいいわ…。何だかんだで箕面の二人が勝ち組だった。
そう思っていた矢先だった。
「やってもたで…。」
M坊が立ち止まった。
見れば、サンダルの緒が切れていた。
つまり、サンダルが使えないのだ。これは革靴どころの騒ぎでない。
3人で豪雨の中、腕を組んだ。だが、みな笑顔である。だって、地獄っぽいがな!
で、次善策でしかないが…。
小生と仏友がたまたま持っていたビニール袋をサンダルごとくるんで、きつく縛った。
これで、歩きにくいではあろうが、なんとか裸足歩行は免れることに。
その異様な見た目から、M坊は下山の間「傷痍軍人」と呼ばれた。
それにしてもである。
これは開成皇子の歓迎なのか、怒りなのか、あまりにも前途多難な地獄巡りとなった。
もうこのばか3人に言葉などない。
2本の足をただ前に動かすだけである。
対面する人ももちろん皆無である。
雨の中に薄着で行軍する、寺オタクどもの夢のあとである。
ようやく「箕面ビジターセンター」なる建物についた。
名前だと歓迎してくれそうなナウな建物を連想するが、トイレと駐車場があるだけである。
M坊を救ってくれそうなものは、皆目なかった。とりあえず用だけ足しておいた。
だが、我々は目ざとくうち捨てられている枝の残骸に目を止めた。
「これなんか使えそうやな!」
「ほほう!これはいけるで!」
M坊の新たな相棒がこれだ。
どの辺が「いける」のか?バカなのかこいつらは?
ますますもって、ジャングルから現われた負傷兵の様相となる。
目指す箕面駅までは約5キロとある。濡れネズミたちにはちょっと遠いぞ!
それをこの格好でいかねばならないのであるから、なかなかの荒行である。
だが、当のMの坊も含めて、みな笑いながら歩く。道が下りなので。
ようやく雨がぱらぱらと小雨になってきた。
山道もあったが、迷わず舗装された車が通る道路を選択した。
「箕面といえば猿やもんな。よくヤンキー車のボンネットに猿が乗って、『お前らのけや!』『ウキッキ!!』ってヤンキーが猿とガチで戦ってたのを思い出すわぁ。」
仏友も急場をしのいだからか、元のように饒舌になってくる。
確かに、猿の気配(?)もしてきた。
えーと。モンちゃん?
さらに仏友とMの坊が続ける。
「おれらは学校の時、遠足いうたら箕面の滝やったわ。でもよ、『箕面の大滝』が正式名称やねんけど、ちょろちょろで『大滝』やったとこは残念ながら一度も見たことがない。それがネタやった。」
たわいもない話で、道路を傷痍軍人を先頭にして進む。
そして、駐車場が現われ、いよいよ箕面の滝の登場である。
「おぉう!?なんかいつもとちゃう感じがするでぇ?」
2人が騒ぎ出す。はて?
谷を下るにつれ、轟音が聞こえてくる。ごうおんだと…?
そして…。
「こりゃ、すごいわ。何度も来てるけど、初めて見たわ、これぞ大滝やでぇ!」
2人が目を丸くする。中々に圧倒される光景だった。
前振りされていただけに、感動もひとしおである。
「普段はガキの小便みたくちょろちょろなんやで。お前は超ラッキーやわ!」
そうなんや。有難うございます。
われらを襲った豪雨が滝壺に流れ込んできたのであろうな。
我々がリスペクトする滝壺大好きの相応和尚も、これに飛び込んだらひとたまりもないであろう。
もっとも、彼なら飛び込むと思うが。
で、箕面の滝と縁の深い役行者の幻とでも対話すると思うが。
開成皇子も最後の最後には、ご褒美をくれた、というわけか…。
その後、宝くじ発祥の寺ともされる龍安寺に寄る体力は我々に残されていなかった。
そのまま、疲れた体を休めに、大改装された箕面温泉スパーガーデンに向かうことに。
1965年にオープンしたこの施設もバブルが弾け、一時は休業に追い込まれた。
その後平成になり大江戸温泉物語に経営再建されて、今に到っている。随分と様変わりした。
箕面の山中と違って、こちらは人で満員である。
ゆっくりと美人湯(なってもしゃあないのやけど)に浸かり、骨休め。
悔しいのは、炭酸ドリンクを飲みながらの眺めが山中よりよかったことである!
今年の盆地獄は、超ローカルだったが予想外のことだらけで楽しかった。南無。
勝尾寺
大阪府箕面市粟生間谷2914-1
電話072-721-7010
北大阪急行・千里中央から阪急バス・勝尾寺下車すぐ