なかなか、第1札所にたどり着かんなぁ。
が、それがまたMONKクオリティとも言えようか。まあ、気長にお付き合いあれ。
曹源寺は、第1番札所だ。大事なことなので2回言いますと、第1番なんです。88カ所ある栄えある1番目のお寺な訳です。さぞかし、本場の八十八カ所のように、信心深いじじばばさまらが、たむろしているのではないか!?と思いきや、これがまたゆる~い感じな訳ですな。以前に、知人がいた本場の四国70番札所の本山寺のように、ご朱印帳の順番を待つ人も全くおらなんだ。ただ、1番札所である証左は、申し訳程度に置かれたお遍路グッズをまとったシュールな人形に見て取れるのみぞ。
「なんで、曹洞宗なんやろな?」
仏友が、ふと疑問を口する。
そういえば、八十八カ所といえば、空海の専売特許。ならば、真言宗が相場のはず。それが、1番札所から他宗の曹洞宗とはどういうことかいな。
「はめられたんとちゃうかな…。」
これまた不穏な推測が出たぞ。つまり、彼はこう言いたいのだ。当初は八十八カ所も爆発的な巡礼ブームで、各寺に利益をもたらしたが、知多四国八十八カ所は地理的な不利もあり、ゆるやかに衰退の途をたどった。そこで、真言宗が曹洞宗にもちかけた。
「オタクら、1番やってもらってもええでっせ?シナジー効果出しまひょや。」
ここに、東海での地位を盤石にしている曹洞宗が乗ったというわけだ。確かに、空海の時代から如才ない、商売上手な真言宗が持ちかけたことは考えられる。むろん、これはあくまでわれわれの誇大妄想なのだが…。それもMONK巡礼の醍醐味ゆえ、ご了承頂きたい。
そんなこんなで1番札所を後にしようとすると、出口のところで出会ったわかりにくい札所の案内板。これが、黄色い下地に、お寺マークが赤で描かれている。はてどこかで見たような看板じゃで。
「『曹洞ラーメン』やってます! って感じやな!!」
「○○一番やんけ、どう見ても、これは!?」
…ばち当たり全開で、そんなこんなで、納め地獄が始まったのである。
少し横着して、妻の車で回っておる。
横道にそれます。せっかく未知の知多半島に来たのだから。
1番札所から、知多半島の東を南下していくと、平行して、JR武豊線というのが通っておる。そこに、亀崎駅がある。ここが知る人ぞ知る隠れた名所。鉄ちゃん(鉄道オタク)なら、よだれも垂らすというもの。というのも、日本最古の現役駅舎あるという。そりゃ、鉄ちゃんの血が騒ぐというものやで!!…私の熱弁にあっけにとられる2人の了解をとり、最古の駅舎に向かったのさ。
で…。今度はこちらがあっけにとられた。
こ、これか…。1886年の開業当時にできたとされる駅舎が、ポツネンとありました。いろあせた感じは確かに古そう。ただ、ローカル線にある旅情を漂わす空気は微塵もない。全国で1万弱といわれる、あまたある駅舎で「最古」といわれる建物に対する敬意は、そこには感じられなかった。つまり、そんな大げさなことは露知らず、地元の民は、この駅で切符を買い、いそいそと電車に乗っているのである。でも、ふと考え直した。考えようによっては、それでこそ現役というものなのかも。最古を感じさせないところが、まだまだ「オレはやってやるぜ!」という明治男のひなびた気骨とでも言おうか。自分を納得させながら、2人に頭を下げつつ、また寺に向かうたのである。
次は、いきなり番外札所に照準を合わせる。歩くと、駅から10分ちょいの半田市にある東光寺に向かう。
坂の上の寺である。急坂を上っていくと、お寺が姿を見せる。
当然、人っ子一人いない。だが、これぞ訪れるべき霊場ぞ。
空海、空海、空海! これでもか!!
弘法大師が、45体も祀られています。誕生したときの空海、手足と口で5本の筆を操る空海、金色の空海。まさに空海のフルコース。多種多様の空海がおられる。1年ごとの空海をあらわした年弘法という。とにかく壮観! 宗教というより、想像力をかき立てられるアートを感じさせてくれるわ。
近隣の住民かと見まがう住職にうかがうと、最初は62体あったが、地震で壊れて45体になったという。数は減ったとはいえ、空海マニアには、たまらん穴場であろう。こんな寺がほかにあるのかと思い、調べると、意外にも灯台もと暗し。名古屋市内の覚王山というところに、歳弘法堂というのがあるらしい。ただし、21日の弘法の日しか、お像は拝めないとのこと。HPはこちらです。
3人で、「ほー、ほー」と感心していると、ご住職が声をかけてこられた。
「こっち来て、阿弥陀さんも拝んでいってくださいな。」
あ、ここは本堂ではなく、別にあるのか。ん、待てよ、阿弥陀さんということは…。そうなのだ。札所に関連があると期待させつつ、実はここも真言宗でないのだな。西山浄土宗とのことだった。西山派とは、法然上人の弟子の西山上人の流れをくむ一派。そりゃあ、住職さんも阿弥陀さんを勧められますよね。深々と3人で手を合わせました。すると、ドドンと、ポスターが目に入った。
海の中に立つ弘法大師。これよ! いわゆる上陸大師です。後述するので、ここでは多くは語るまい。
「ここまで渡れるんですよね!!」
住職にお尋ねすると…。
「ん?」
住職のお顔が少しゆがみました。
「そんな話は聞いたことがないなぁ。海の中にあるはずじゃけど…。」
ご住職は知らぬのだ。それはわかっております。でも、渡れなきゃ、そもそも像なんか建つまい。そんな大人げないことは言いません。では、なぜご存じない?
つまりこういうことなのかな、と仏友と推論しました。すごい空海さんをお祀りしているけど、「うちは浄土宗なんで、看板は阿弥陀さん!」というプライドが確固としてあるのです。だから、番外なんかいな?というか、やはり、そもそも、知多半島の八十八か所は「ゆるい」のですな。真言宗が前面に出てきてがっちりと空海さんを頂く、という風ではなくて、「現地法人」的に各宗派のお寺の協力を仰ぎながら、現地向きにと言うか、「弘法大師 as (真言宗の開祖としてではない)お大師さん」のスタイルで展開してきた歴史がここにある、という訳なのですな。
冬の日は傾くのが早い。もう辺りは陽の光が弱い。4つ目の寺に、急ぐ。
愛知県知多郡武豊町にある岡川寺(こうせんじ)だ。
どんな寺かということは、お堂に入れば一目同然。あのお方がおられるのです。しかもどデカイ。座像で一丈二尺というから、3.6メートルの高さ。こんな空海がいたら、さぞびっくりでしょう。
正直つくりは、精巧だとは言い難い。張りぼて感満載。しかし、素朴さというか、力強さだけは、ビンビン伝わってくる。寺守の方に聞けば、本場四国八十八箇所巡りの先達もが、この巨大空海に手を合せに来るという。
「『大師』はやっぱり民間信仰なんやろな…。『真言宗』な感じがさっぱりせんもんな。」
仏友が巨像を見上げて、のたもうた。同感だわ。狂気とも言えるあまたの年弘法といい、とにかく大きいのをという、無邪気で壮大な願望から制作されたであろう巨大弘法といい、誤解を恐れず言うと、真言宗とは何の関係もない。ただ、空海という高僧を純粋に慕っている。『大師』として。
中世には、高野山を飛び出した高野聖と呼称された遊行僧が、始祖・空海の偉業を全国に伝えた。当然、知多にも足を踏み入れたであろう。真言やら、曼荼羅やら、畿内の洗練された密教が、土着的な宗教観と融合して、知多なるものに昇華された。それが、この摩訶不思議なる空海信仰なのであろう。「すごいことを民衆のためにやってくれる空海とかいうお坊さんがおったらしい。この人を拝んだら、功徳があるだがや!!」ということが、知多の民に染み渡った。それは、実に土着的な香りのする信仰であった。
旅はまだ1日目。だが既に多くを学んでいるところがMONKの地獄の旅である。
あすは納め地獄にふさわしい激烈な情景が待っていることになるが、このときの我々はしるべくもなかったのじゃ。