前項コラムで、後醍醐天皇陵が北を向いていることを書いた。
このたびも北向きの話である。
このたびも北向きの話である。
舞台は、長野県である。
夏は新緑がすがすがしく、風が涼しい。
中高年向きの雑誌に、「田舎暮らしのランキングの1位が長野」とあった。そんな気にさせる風土が確かにある。
夏は新緑がすがすがしく、風が涼しい。
中高年向きの雑誌に、「田舎暮らしのランキングの1位が長野」とあった。そんな気にさせる風土が確かにある。
足を運んだのは、別所温泉というところである。
上田から上田電鉄別所線というローカル線に乗る。実に風情がある。
上田から上田電鉄別所線というローカル線に乗る。実に風情がある。
何とも愛らしい車両が、田畑の間を疾走する。それは言い過ぎ。ガタゴトと走り抜ける(乗り心地はよくないかも)。車内もいい。停車しているときに思わず、撮ってしまった。
これ、昔の別所線の風景が張ってある。アイデアやねぇ。
多分、こんなローカル線だから、広告スポンサーもつかないんだろう。そこを逆手に取った。黄金の稲穂の中を走る列車。モノクロもある。地元写真家が取りためたものだそうが、これなら列車への愛情が沸くこと間違いなし。地下鉄で見せられる消費者金融の広告と、そこに苦しむ人への過払い金の請求を訴える弁護士団体の広告にはない、ゆとりがここにはある。もちろん、景色も最高。是非乗られたし、別所線!
多分、こんなローカル線だから、広告スポンサーもつかないんだろう。そこを逆手に取った。黄金の稲穂の中を走る列車。モノクロもある。地元写真家が取りためたものだそうが、これなら列車への愛情が沸くこと間違いなし。地下鉄で見せられる消費者金融の広告と、そこに苦しむ人への過払い金の請求を訴える弁護士団体の広告にはない、ゆとりがここにはある。もちろん、景色も最高。是非乗られたし、別所線!
そうこうしているうちに、何とも昭和の雰囲気を漂わせる木造の終点駅に着く。別所温泉駅である。しかし、目的の寺の姿はおろか、温泉街風情すらない。う~ん、と弱りながら、なだらかな坂を上ること、約5分。突如として、温泉風情が現われる。王道は右折だが、ここは左に。目指す北向観音がそこにある。
土産物屋が並ぶ短い参道を抜けて、急な石段を登ると、お堂に出くわす。
善光寺に似た威容だが、少し小ぶりで田舎町に実に合う。
善光寺に似た威容だが、少し小ぶりで田舎町に実に合う。
ようやく本題だ。北向きに建っているから北向観音。明快なネーミングだ。まず断っておくと、寺は南面が多い。中国では北が尊いとされる。北斗信仰などもあるぐらいだから。日本でも参拝者が、北を仰ぐように、南向きに作られることが多い。阿弥陀さんが西方浄土におられるとして、東向きに建てられることもある。いずれにしても北向きは少数派である。
ではなぜに。
こんな伝説がある。昔、孝行者の娘が奉公して、毎日観音様を大事にしていた。時が経ち、娘も嫁に。出立するときに、振り返ると、観音様も振り返ってくれた。それが北を向いていたそうな。後付けとしてもほほえましい話ではないか。
またここを拝んだ人は、得をした気になる。「善光寺だけなら片参り」と地元の人はいう。善光寺と一緒に、ここを拝んでこそ大願が叶うというもの。何でも、善光寺は来世の願いをかなえ、北向観音は現世の願いをかなえるとか。世の人は、善光寺は参っても、別所に足を運ぶ向きはまれである。大いに自慢すべきである。
北向きを利用した商魂は恐れ入る。天下の善光寺を「片参り」として、己の懐に入れてしまうのだから。ローカル線に揺られて来る、のどかな湯治場ゆえの苦肉の策といえよう。
ではなぜに。
こんな伝説がある。昔、孝行者の娘が奉公して、毎日観音様を大事にしていた。時が経ち、娘も嫁に。出立するときに、振り返ると、観音様も振り返ってくれた。それが北を向いていたそうな。後付けとしてもほほえましい話ではないか。
またここを拝んだ人は、得をした気になる。「善光寺だけなら片参り」と地元の人はいう。善光寺と一緒に、ここを拝んでこそ大願が叶うというもの。何でも、善光寺は来世の願いをかなえ、北向観音は現世の願いをかなえるとか。世の人は、善光寺は参っても、別所に足を運ぶ向きはまれである。大いに自慢すべきである。
北向きを利用した商魂は恐れ入る。天下の善光寺を「片参り」として、己の懐に入れてしまうのだから。ローカル線に揺られて来る、のどかな湯治場ゆえの苦肉の策といえよう。
面白いものがある。参拝の前に寄るところ。手水舎である。
手に注ぐと、びっくりするよ。だって、温かい。水ではなく、温泉なのである。
これぞ温泉街ならでは。寺で温泉ですよ。得した気分で、参拝を終えた。ちょいと、はがきを買おうと思い立ち、土産物屋ののれんをくぐった。
同年代とおぼしきレディーが対応してくれた。
聞けば、東北の震災で、実家のある長野に、家族で移ってきたのだという。われわれは、逆に「笑い仏」を被災地の福島に届けようとしている。奇遇よろしく、話が弾んだ。
同年代とおぼしきレディーが対応してくれた。
聞けば、東北の震災で、実家のある長野に、家族で移ってきたのだという。われわれは、逆に「笑い仏」を被災地の福島に届けようとしている。奇遇よろしく、話が弾んだ。
この北向観音は、近くにある常楽寺の所属なのだそうだ。
昔、新幹線でアルバイトをしていたとき、そこの住職によく声をかけてもらったのだという。そのお方こそ、天台宗の256代座主であられる半田孝淳さん。90を超えるお年である。何で、こんな話になったかというと、この座主さんが話題になったことがあった。当方も記憶にあった。
歴史的和解! 天台座主が約1200年で初めて高野山を訪れる!
昔、新幹線でアルバイトをしていたとき、そこの住職によく声をかけてもらったのだという。そのお方こそ、天台宗の256代座主であられる半田孝淳さん。90を超えるお年である。何で、こんな話になったかというと、この座主さんが話題になったことがあった。当方も記憶にあった。
歴史的和解! 天台座主が約1200年で初めて高野山を訪れる!
興味のない向きには、何のことかわからいであろう。2009年に半田座主が真言宗の聖地、高野山を訪れたということ。天台宗は最澄が起こした宗教で、真言宗は空海が起こしたもの。で、この2人だが、最澄の弟子が空海に弟子入りした件をきっかけに、仲違いしてしまったのだ。開祖同士のたわいない争いに、後続も巻き込まれた。気付けば約1200年。だから、超歴史的な出来事なのだ。
もちろん、おかえしに第412代・高野山真言宗座主の松長有慶さんも比叡山を訪れた。何ともほほえまいい話ではないか。だが、小国の同じ宗教同士の和解に1200年もかかるとは…。イスラム教とキリスト教などは、いつぞや真の和解があるのやら。
もちろん、おかえしに第412代・高野山真言宗座主の松長有慶さんも比叡山を訪れた。何ともほほえまいい話ではないか。だが、小国の同じ宗教同士の和解に1200年もかかるとは…。イスラム教とキリスト教などは、いつぞや真の和解があるのやら。
そう考えると、北向観音が善光寺や真言宗と手を結んだ知恵が、生かされないものかと、小生もしばし考えるのである。
○北向観音
長野県上田市別所温泉1656
上田電鉄・別所温泉駅から徒歩10分
長野県上田市別所温泉1656
上田電鉄・別所温泉駅から徒歩10分