長野に行ってきました。昔、スキーでよく訪れたのだが、まちを見るのは今回が初めて。実に気持ちのいいところだった。そばがうまいし、人も親切。高い建物がないので、視界が開けていて、圧迫感が全くない。いや実にすがすがしい。
まあ、あっしが行くとこにゃ、必ずお寺があるわけです。日本仏教界で知らないものはいないであろう善光寺に行ってきました。ベタな表現で申し訳ないが、あか抜けておる。関西出身の名古屋在住の人間が参道を歩き、思うには、〝東京っぽい〟なと。江戸のことを賛美しているわけではないのですが、伊勢神宮みたいに、関西のおばちゃんがいないので、すがすがしい。あの関西近郊の観光地独特の〝ぎゅうぎゅう感〟がないんです。これ、悪口ではありませんゆえ。
賑わっていました。「びんづる市」なる手作りマーケットが開かれていたから? そんな感じではなさそうです。ひとはみな、牛に引かれて善光寺に参るのです。そして、参道の誘惑にも惹かれるのです。
おやきといえば、ご存じの方も多いでしょう。小麦粉などの皮に具を入れたもの。肉まんみたいなものですが、具が野菜であることがミソなのです。一般的なものは野沢菜でしょうが、ここはへそを曲げて、小ナスをチョイスしてみました。これが何とも美味! 肉のえぐさもなく、甘くて、ちょぴり塩辛くて、大人のお味ですな。もう肉まんとはおさらばです。おやきで十分。とまあ、この参道はある意味、食欲やら物欲やらとの戦いに相成ります。そうこうして山門にたどり着くと、善光寺の偉大さを知ることになります。
案内板がかかっていました。当然、今いるのは善光寺なのですが、ほかにも善光寺は全国にたくさんある。多分、あなたが住んでいるお近くに善光寺は息をひそめて潜伏しておる。名前が善光寺のもの、そして阿弥陀如来さんを中心におまつりした善光寺式阿弥陀三尊を本尊とするお寺が集まり、全国善光寺会なるものを組織して、2年に1度サミットを開いておられる。その会員寺は100以上というからビックリ!
http://www.zenkojikai.com/gaiyo/index.html
そもそもそんなすごい仏像なんですか? そんな声が聞こえてきそうだが、何を隠そうこの仏様は西暦602年に、浪速の堀江(大阪です)で、発見された御仁なのです。見つけた本田善光なるお方が、出身の長野までお運びになられ、そこに堂宇を建てたのが、善光寺のはじまりというわけ。こんな話が有名ですね。
強欲ばあさんが開眼したという「牛に引かれて善光寺参り」も、中世からあった話が、江戸期に全国に広がったというから、ここは筋金入りの名刹なのです。嗚呼、南無阿弥陀仏。ともあれ、妻と本堂下の暗闇を歩く戒壇巡りもしてきました(触れば幸運になるというカギに触れなかったので、2度もあの暗闇を通ったが…)。何でも、その上には秘仏の阿弥陀さまがおられるのだそうです。そして、7年に一度(数えなので、実際は6年に一度)、ご本尊のご開帳が行われるのだが、そのときはけたたましい数の参拝客が訪れるのだという。御開帳に遭遇したわが仏友がそう申しておったような…。
(そこらへんの話は「根来寺」参拝のブログで: 空石による紀行文)
今回は、善光寺のお話と思ったら大間違い。それだけなら、気の抜けた紀行文。ここまではいつもの通り前座ゾ。実は、善光寺にお参りする前に、怪人にお会いしたのだ。善光寺の参道に至る前に、車を西方寺に置かせていただいたときのことだ。
彼はオレンジ色のカッパを羽織って、駐車場の番人をしておった。
「ここのお寺は観ていかれた方がいいぞ」
わたしもそのつもりであった。何せ、ここはかのダライ・ラマが来訪されたというのだ。山門をくぐると、左手に真新しいお堂が見えてくる。お坊さんが丁寧に案内してくださる。
「ここの阿弥陀さんはチベットの仏師が作られたんです」
確かに、お顔を拝見すると、どことなくエキゾチックだ。当然、古色ゆかしいものでなく、金ぴか!
わらを重ねて粘土をぬりつけて作られたそうだが、チベットの高名な大仏師さんが完成させた。今では、この方法で仏像を作れる方はチベットにもそういないそうであり、チベットのものというだけでなく、珍しいものという。さらに、2010年の完成のときは、ダライ・ラマが落成法要を行った。聞けば、ここの住職が若いときに、チベットに修行に行ったり、そんな縁でチベット僧をお寺に呼んだりしたことがあり、このチベット仏が誕生したのです。
わかりにくいでしょうが、石碑にあるのはダライ・ラマのサインだそうです。親切なお坊さんは、本堂も見せていただきました。大きな空間に天蓋がぶら下がっていました。これまた年季忌の入った…。
「実はここには善光寺のご本尊さんがいらしたことがあったんです」
なんたる事実! 1700年に善光寺が火事に見舞われ、7年の間、ご本尊が遷座されていたといいます。天蓋はそのときのお礼で、置いておかれたそうです。いわばプレゼントです。また、明治の世になり、県庁が長野に移ったときには、このお寺が県庁にもなったという。小さなお寺の割には、いろいろなストーリーが詰まったお寺なのです。
さて。善光寺仏に話を戻すと、善光寺のご本尊さんは、政争にも巻き込まれました。先の駐車場の紳士はおっしゃっていました。
「あの仏さんは、信玄公に盗まれたこともあるんじゃ」
その話は私でも知っている。でも怪人は続けた。
「本堂にはあげてもらったかい」
「はい、いろいろ面白いものを見せていただきました」
「仏像さんは見せてもらわなかったかな?」
「いいえ」
その答えに、怪人の口元にかすかな笑みがうかんだ。
「だろうな。こういう話もあるんじゃ…。このお寺に善光寺のご本尊が来られた話は聞いただろう。お寺に帰ったご本尊じゃが、今のご開帳も本尊の前に立つお前立ちの仏さんを見せていることも知っておられるじゃろう。だから、ご本尊さんを見たものはおらん。じゃがな…」
ゴクリと、私は図らずも唾液を飲み込み、次の言葉を待った。うららかな春空のもと、怪人はトンデモなことを話し出したのだ。
「このお寺にあるのが、本当のご本尊という話もあるんじゃ」
絶句です。そんなアホな。でも、ない話でもない…。信玄公も血眼で求めた仏さんである。そんな簡単に、善光寺におかえすこともない…というのか。
しかも、その事実を確かめるすべもない。300年にもわたり、隠されたストーリー。ダライ・ラマもそのご本尊を拝みに来られたのかもしれない。