今では、平清盛の出家したお寺としてテレビでも取り上げられる能福寺ではあるが、やはり能福寺といえば、兵庫大仏じゃろう。
瞑目したたずむ兵庫大仏さま
凛々しいお顔は、男惚れしそうじゃわい!
ん、ちょっと待たれい、大仏殿はわしの化身か?それともわしが大仏殿の化身か?
…それはひとまず置いておいて、大仏殿からいろいろなことを教えてもらったぞ。
まず、これは既に書いたやも知れんが、なんでも彼は2代目ということなのじゃ。
初代は1891年に豪商・南条荘兵衛の寄進により建立された。それが、太平洋戦争時の1944年に金属回収令で潰されてしまうのじゃ。「出征」ということで、初代大仏殿に赤いたすきがかけられたという。考えてみれば、こちらの副住職が言われる通り、大仏を溶かしてつくるのが、人を殺す兵器というのは、本当にいかがなものかと思うのじゃ。
忸怩たる思いで、市民が大仏殿に手をかけたことは、想像に余りある。
ただ、救いのある話もあるのじゃよ。
バラバラにされた大仏の破片だったが、これは戦後に川崎製鉄所から見つかったのだという。つまり、「出征」しなかったのじゃ!
そして、1991年の現在の大仏殿をつくる際には、その一部が再利用して使われたという。
まさに、大仏殿の意地というところかのう…。殺人兵器になる手前であった記憶を持つ、自身の身体の一部を、改めて平和の象徴である2代目ボディーに組み込むところに、並々ならぬ大仏殿の怒りにも似た慈悲を感じるのじゃ。
気高きお顔で、端座しておられるが、痛々しい過去を背負っておられたのであるぞ。