From: 空石
To: 円瓢
Subject: よかともは一生の宝
Date: Tue, 12 Sep 2000 01:01:05
相変わらずの酔狂振りで高校に戻った気がして楽しく実に有意義な時空を過ごせたことは、至極千万至福の喜びであるゾよ。
山椒魚は悲しんだ。
ついでに俺は考えた。
俺と君で「関西地獄33箇所巡り」なるもんを 作ろうと思う。
もちろん第一札所は金勝山。
さしあたり第2札所は京の地獄に通ずる井戸か?
方針として、札所は身体的苦痛を伴うものにせねばならぬと思う。西国三十三箇所などはぬるぬるの貴族趣味的道楽。精神修養の意義は拡散しきって功徳も感じられぬ。 シベリアに送られたインテリゲンツアーが目指すものでない。
まわった後これは何かさび付いた人生への乾坤一擲になるようなもの。地獄からの生還、精神の鍛錬。これをわれわれの超私的趣味を社会に対して還元いたそう。(迷惑かね?←恐らくな。でも、迷惑だけが人生さ。)
何も寺とかにこだわる必要性もなかろう。 私は先日琵琶湖畔でバンジーをさせられたが、 30分にわたるインストラクターとの死闘(罵詈雑言) 死刑台に立ったような感覚はこれとて地獄の筈。 表紙は茶沸観音、これはいかすぜ。
そんなことを考えていたら、たとえばスポーツ紙でこんなことができないかとも考えた。
「日本がっかり紀行」
観光地と言われているものでがっかりするものは多い。 例えば奈良の南大門 あの仏を見て運慶快慶を思って欲しくない。 あれはたまたまでかいから気をひくだけなのじゃ。(よほど昨日のまがい仏の方が歓喜する) いわゆる観光地を徹底的にこき下ろすのじゃ。
人は観光地と言うだけで納得もしていないのに 満足することがおおい。 「この芸術がわからないのは不徳のなせる技じゃ」などと イカレチンコなことをのたまうやからは多い。 じゃなく、ほんとにおまえたちが思っていることを代弁してやろう。奈良みたいに過去の遺産にあぐらをかいている名所旧跡に天誅を食らわそう。 そして、釘抜地蔵に光を!
PS:地獄巡りは朱印帳など考えといたらいいと思う。Tシャツを朱印帳にして手形スタンプを押していくのはどうか? 黒Tに朱の手形結構外国人に受けると思うのだが・・・。 ロンリープラネットにでも企画を持ち込もうぜ。これもアソビや。
From: 円瓢
To: 空石
Subject: 真友との凶行、いかす;西国44個所地獄巡り;がっかり紀行いいねぇ
同感にて候。特にあの「ぎりぎりなのに妙な余裕」と「爺のような趣」、されど「若人の無謀さ」も兼ね揃え、まさに我等しか行えない胸を張れる凶行の強行であったことでしょう。
「関西地獄33箇所巡り」なるもん、大賛成じゃん!「肉体的にもかなり根性を必要とし、精神的にも一人では恐くて嫌」という辺りをテーマとし、「同行二人せざるを得ない巡礼」と位置づけ、着実に地獄を揃えていこうぞ。で、俺らがちかじか有名になったときに、我等のfollowers達が参考に辿れるように資料を整備しておき(もちろんサイトにも載せ)、言葉を使わずとも体験的に若人を洗脳していく、というシステマチックな社会貢献(妨害?)と為す。よきことかな。
札所をどこにするか考えるだけでもおもろいな、これは。そう、既に話しに上っていることもあるので、2番手は絶対に清水寺なんてメジャーすぎてあくびが出る、側にある六道珍皇寺の「地獄井戸」あたりでしょう。どくろ町なんていかすねぇ。で、その次が「地獄地蔵」あたりか!?
それにしても、第一札所、かなり強烈な先例を作ってしまったので、後発に気が抜けない脳。
「貴族趣味的道楽」とは、全く同感でござる。浄土的、華厳的な芸術性はひとまず置いておこう。で、一番えらそうなこと言うてるくせに瞑想を多く行い、幻覚をみつつも強烈に歯を食いしばらなあかん修行僧の面持ちがもっとも似合う禅宗と密教。この俺の愛して止まない教えを彷彿とするような札所で埋め尽くそうぞ。が、何も寺などの宗派がこれである必要はない。そんなものどんなこじ付けも可能じゃ。方便じゃ。茶沸観音のマントラを再度:「そういうことも、ある。」
「がっかり観光地」、これええのう!そう言えば、「ケーブル用フジTV」の3けたのチャンネルにある番組で「東京まずいもの紀行」とか言うて関西の芸人が吐きながらまわるというイブシギンのものをちらりと見た。が、こちらの空石の案の方がはるかにスケールも大きく、また汎用性のあるテーマ故、とても話題になると観た。
いずれにせよ貴様の企画、かなり濃いもんあるで!もう決まったな。大々的に「日本の旅ですか?それとも地獄巡りですか?」みたいにして宣伝することも考えられるぜ。まじで?
口コミで、「今までの京都回りなぞ屁」と、濃い外国人を取り込み、会員に向かえ、サイトで怪しい情報提供とcommunityを醸成し、仏教セミナーを開き、座禅会を催し、定期的会合をロッキーの山小屋とか釘抜地蔵の休憩所、とかで傍若無人に開き、皆で楽しくバリアフリーの仏教を楽しむ。
こういうところからでも、ちと毛色は違うが国際的なGNYATP (ごん・やーとぷ:Global Network of Young Aggressive Trustworthy Professionals)的な「普通人には迷惑をかけながら地球をよくする」団体が組めるものじゃて。 我等が動かんで誰が動くのじゃ!しかも、完全に無理のない「風流な自己の趣味」が発端。楽しまずして成功なぞないのだ。
やっぱり冴えてるどこまでも阿呆な我等。
向かうところ敵なし、とおもってるところで、朝の6時なので、お早ぅさん。
さらばじゃ!