生まれて初めて、お金をいただいて行う講演を拝命した。
広島から大阪に戻った11月のことである。
小生にとっての講演デビューである。
ただ、舞台は関西からはるかに遠い。三宮から車で3時間のところにある。湯村温泉で有名な兵庫県新温泉町の熊谷に向かった。(そういえば、円瓢も数年前におかんと嫁さんと3人で訪れ腹が爆発するほど食を堪能したと言うていたな…。)
午前10時30分から1時間、ご高齢の方約100名の前で話させていただいた。妻と行ったのだが、仕事の後は、ご婦人連手製の煮物やおむすびなど、ありったけの歓待を受けた。
「あの豚汁うまかったわ」と妻に向けると、
「あれってボタン鍋らしいで。あんたは共食い(小生は亥年生まれ)やで」と返された。
マジかいな!でも、死ぬほどうまくて、いやしくも2杯もいただいていた。摩利支天様(亥の守り神)ごめんなさい。ビンゴゲームにも参加したり、飲酒運転の実習講習にも立ち会ったり、楽しく過ごさせていただいた。何より、子供の表情がいい。屈託のない笑顔とはこのことだ。住民のみなさんも我が子のように、かわいがっていた。だが、聞けば、小学生が7人しかおらず、来年3月に廃校になると聞く。卒業生以外は、湯村にある小学校に行くという。過疎化の現実を間近に見た思いだ。
「戦利品」までいただいた。うちにある5㌔の鉄アレイより重たい3つの白菜。虫食いもあるが、そこが減農薬っぽくて美味そうだ。ネットで調べると、最近は上物で1玉400円前後するという。お土産までいただいて、本当に多謝であります。
宴もたけなわ…とすんなり帰ったわけではない。小生の話の前に、演壇に立たれた先生に、食事のときに聞いてみた。
「このあたりに面白いお寺さんはないですかね?」
「清富というところに観音さんをまつるお寺がある。そこに行ってみたらどうだろう。あっちは浜坂の方だし、今はカニ祭りもやってるだろう。住職に電話しておくよ。」
「またか…」という顔をする妻を「カニ」でなだめ、相應峰寺に向かった。
見事な石垣の上に、寺があった。
玄関でチャイムを押すと、住職が現れた。
「寺は葬式だけするとこちゃうねん!」
玄関で、いきなりアクセル全開の関西弁が響き渡った。
このエネルギッシュなお坊さんは、関西生まれで、教職を経て、この地で、観音様から住職の命を受けた。
まず聞かされたのは、ここが子宝に恵まれない夫婦がよく訪れるということだ。そんな寺はよく聞く。観音様にそのような御利益があるからとか。だが、そんなお寺は、仏像に一心不乱におじぎするご夫婦の姿は見るが、たいがい住職の姿は見かけない。ここは違う。住職とご夫婦が映った写真が、どっさりと部屋に並べられている。ここのご住職は、自らが動く。縁組みをしたり、時には叱責したり、「子供を産むことはいいことだよ」と励ますからだ。
「僕は旦那に出産に立ち会えと言う。嫁さんは命をかけて、子供を産むんですよ。男にそんなことはできない。何でそんなことを言えるのか? 僕は4人の子供の出産に立ち会ってるんですよ」
「住職だから…」という後ろ向きな批判は当を得ていない。私にも友人でお坊さんをやっているものがいるが、自分の時間などない。いつ檀家の葬儀が飛び込んでくるかわからない。実際、彼自身もそうであったらしい。だが、「オレは立ち会う」と願をかけ、見事に4度の出産に立ち会ったのだという。
「なんでこんなことを言うかというと、あの感動的な瞬間に立ち会った人は、子供を虐待するとかできない。今流行っているできちゃった結婚とかのカップルは、立ち会わない人が多いですね。最初は『子供ができたから、オレもしっかりせな』とかいう男に限って、出産のときに遊んでたりする。これでは子供に愛情はそそげませんね」
玄関口で約30分、当方がいかにお寺が好きかというお話をして、やっと気づかれて、「まあまあ入ってください」と通された。
昔、苦学生で中2から新聞配達をして、やっとの思いで教員に合格。教職員時代に、同僚が教え子に対して、不幸な事件を起こしたこともあった。そのときは、義侠心から、よこしまなマスコミの対応を1週間、学校に泊まり込んで行った。不登校の生徒に、自殺されてしまったこともあるという。
ここに記したのは、一例だが、よくもまあこんないろいろなことがあるものだと、感心する。その経験から紡ぎ出された言葉は、さすがに重くて、説得力があった。
また、この住職は、自ら昔のガリ版刷りのようなプリントを刷って、自らの教えを縁のあった人に手渡している。
これがまた濃ゆい。
何でも、インターネットでホームページという時代に、心を伝えるという作業は、やはりぬくもりが必要と感じた。
気が付けば、5時間が過ぎていた。
観音様を拝みにいったのだが、当然山は真っ暗で上れずじまい。ただ、〝生き仏〟の言葉を頂戴した。
兵庫県美方郡新温泉町清富にある相應峰寺でのことであった。
「あんたと来たら、いつもこうなる!」
カニにもありつけず、妻は苦笑いである。
「これも縁ということで…」
サンドバック状態でハンドルを握り続けた。