闇に葬られた逸僧と寺(2019年3月・京都市・神泉苑など)

2019年3月26日(火曜)21:18に公開
作者: 空石
京都で二条城は知らない人はいないであろうが、そのすぐ南にある神泉苑はいかがか?
 
私もこれまで訪れたことはなかった。
二条城は毎度の外国人観光客でにぎわっているが、
一本筋を超えると、喧噪と無縁の場所となる。
地元民であろう妙齢のおばさまがのたのた歩く、生活感漂う京都となる。
 
さて、神泉苑とはもとは天皇の離宮であった。
 
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平安京創建当時からの史跡というから、1200年以上の歴史を持つ。
ただし、元の大きさではない。
徳川の世に、二条城がこの神泉苑の広大な土地をつぶして建てられた。
東西220メートル、南北440メートルあった離宮が、
今では東西に60メートル、南北に100メートルに縮小。
天皇家の力が衰えていくとともに、東寺真言宗の管轄になってしまった。
 
しかし、ここには他にはない面白い社がある。
 
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一見、普通の社に見える。恵方社という。
パンフレットには「日本唯一歳徳神」とある。
福徳を授けてくれる神様とされ、陰陽道ではこの神様がいる方角を恵方という。
ではなにがスゴイかって?
恵方は毎年変わることは、みなさんもご存じのことであろう。
それは恵方巻きを食べるとき、「この方角に向かって」とかやるのでわかるはず。
 
この社の台座をよく御覧あれ。
なんと、これがグルリと回転するようになっているのである!
つまり、参拝者が何も考えずに手を合わせても、知らずして恵方を向いて、
拝める仕組みになっているのである。
お手軽感は否めないが、なんともほほえましい社である。
ではいつ廻すのか?
今ではなく…大晦日ですよ! 
夜10時過ぎの法要のあとに、何人かでえっさぽいさと、恵方に向けられるのである。
(正確には我々が恵方に拝むように、神様が向けられる)
 
ともかく、ここは歴史があるだけあって、この神泉苑はいろいろ飽きないんだわなぁ。
祇園祭の発祥となった御霊会もここで初めて行われた。
神聖な土地でもあったからである。
 
だが、歴史的に重要な舞台になったのは、824年であろう。
主人公は、かの空海。
そのとき、京は大干魃であった。
そこで淳和天皇は、東寺の空海と西寺の守敏(しゅびん)に降雨の祈祷を命じた。
話は様々だが、結果だけいえば、法力争いに空海が見事に勝利した。
 
それはそれでいいのだが、引き立て役の守敏はかわいそうである。
彼は空海のように唐には行っていないが、天皇のもとで着実に力をつけ、
東寺と並び立つ西寺のトップに抜てきされた。
それだけ実績のあるお坊さんなのだ。
 
それが、一説では自らが降雨祈祷に失敗したので、空海の邪魔をして、雨を降らせる龍王を
水甁に閉じ込めてしまったとか。
空海は「おかしい」と気づき、唯一守敏の法力を逃れていた善女龍王を引き寄せ、
見事に雨を降らせたという。完全に守敏は悪者にされてしまった。
(だいたい、水甁に入れられるのであれば、
とっくのとうちゃんに雨は降らせているはずだろうに)
 
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(こちらで善女龍王が祀られている)
 
歴史は敗者に容赦しない。
神泉苑を下っていくと、羅生門あとの碑に出る。
 
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そぐそばに、矢取地蔵のお堂がある。
 
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これも2人に因縁がある。
空海に恨みを持った守敏は、羅生門で待ち伏せして、空海に矢を放った。
それをこの地蔵様が身代わりになり、難を逃れさせたというのである。
 
いい大人が、そんなことはいたしません!
ましてや、西寺のトップに上り詰めたお方。
 
矢取地蔵を西に進むと、当時西寺があった場所に着きます。
東寺に比べると、なにもない…。
今や近所の少年らが遊ぶ公園である。
 
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ただ、歴史をひもとくと、西寺も東寺に劣らず重要な寺院であった。
東寺が空海が住したように、密教の中心地の役割を持っていた。
一方の西寺は、お坊さんを管理する僧綱所の役目を奈良の薬師寺から引き継いだ。
 
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なので、奈良出身の俊敏の師匠、勤操に白羽の矢が立った。
 
だが、彼は歳もいっていたので、後事を弟子の守敏に託した。
そして、人生最大のハイライトを空海との法力対決に敗れ、忘れられていった。
もしくは、悪名だけが残ってしまった。
これは無念きわまりないであろう。
 
こんな恐ろしい話もある。
「今昔物語集」という平安時代の説話集がある。
そのなかに空海が登場する。
 
神泉苑での空海とは一変。
興福寺の僧・修円とまたも祈祷合戦である。
反目し合う2人の行動はエスカレートしていく。
原文にはこうある。
 
二人の僧都、極て中悪く成て、互に死々と呪詛しけり。
 
つまり、お互い「死ね!」と呪いをかけ合うのである。
ホンマにこの人らは、僧侶なんか…。
 
結末がこれまた凝っている。
空海は弟子に命じて、自分が死んだように葬式の支度をさせた。
弟子の報告で安心したのは、修円である。
 
「あ~やっと死におったか。これでしんどい祈祷もひとまずお休みじゃ」
 
と油断した瞬間をとらえ、空海がこん身の呪いをぶち込んだ。
修円はあえなく死去。不毛な法力合戦は、権謀術数の上幕を閉じた。
 
この言い伝えから、俊敏と修円を重ねるものもいる。
 
空海と俊敏はどんな僧侶だったのか?
実のところはわからないが、2人をつないだ縁はある。
 
俊敏の師匠は勤操と書いた。
実は、彼こそが真魚時代の青年空海の剃髪の師なのである。
空海の日本の師匠ということで、一目置かれたのであろう。
奈良・大安寺では毎年5月7日に勤操忌が執り行われる。
 
弟子は明暗が分かれた。東寺は今も栄え、西寺は碑を残すのみ…
 
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そして、師はひそやかに人々の祈りを今も集めている。
 
 
 
●神泉苑
  京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町167
  阪急・四条大宮から徒歩10分
  ☎075-821-1466
 
●西寺跡
  京都市南区唐橋西寺町
  JR京都線・西大路から徒歩8分