その後~亀観音さま

その後、われら二人は茨木の総持寺に亀を探しに参った。閑静な住宅街に埋もれて、小道から寺の豪奢な山門が顔を出していた。境内は広いが、雑然とお堂が並び閑散としていた。本堂のガラスに顔を擦り付けると、いたんですよ亀様が。小作りの千手観音の下に、ニョキット伸びた鎌首。結構リアルで不気味な亀でありました。確かに異形の観音様だわな。おばはんにもインパクトあったわけだ。

社務所行くと、西国三十三ヶ所巡りの観光客たちが、日本が誇る工作機械よろしく、寸分狂わぬ動作で、朱印状に札所の印をついていた。紙から煙が上っていた。びっくりしたけど、あの台紙高い奴で3万円するんやで。そら、本気出るわな。私らは、亀との邂逅を楽しみ、ひそかにみやげ物コーナーにいやげもの(みうらじゅんが命名した、もらってうれしくない土産物のこと)に亀がなっていないか確かめた。しかし、亀については、『亀に乗った観音様』(500円)の小冊子があるのみであった。コンテンツを活かしきってその昔に興隆をみた当寺は、いまや西国観音霊場として、じじばばのニーズに応え続けているのであった。けど、俺なら孫の土産用に亀の置物ぐらい作るね。ちょとファンキーなよ。

そういえば、昔アメ車のCMで『サターン』ってやつあったよな?あれすごい嫌がらせやで。悪魔いりませんかっていってたんだもの。案の定、売れなかったな。ところで、われわれが出す本(『地獄街道をゆく全44巻(仮称)』を上梓する予定)は売れるのだろか?心配すべきことではないのだが、そこは考え出すと止まらない愛しき相棒、円瓢。またもやずば抜けた想像力と語りで爆笑の時間を過ごす。 寺参りは本当に楽しい。

そういえば、佐藤勝彦(画家)は本に自分の手書きの絵何千枚か入れとったで。

「彼はすばらしい」と高校の美術教師にレポートしたら、「こんな作家はしらんなあ」との返事。その後、彼の絵はJRのポスターになり、『アエラ』でインタビューされていた。見る目のない奴はやだね。根本を見つめる眼が足らん。

(付加:2004年06月08日~我(円瓢)が佐藤の絵を意識して知ったのはアメリカで中観思想の論文を書いていて般若心経の日本書籍を大量に読んでいたときなのでもっと後になる。後に、今は妻となった和ろ尼が学生時代から佐藤画伯をえらく気に入り、京都は二年坂のギャラリーにまで足を運んでいたことを知り、狂喜。縁どすなぁ。)

さて、以前に友が「チベット展」でのみやげの希望を聞く。のんきなことをと答えてやると、何を思ったか彼は「ケツがいいな、たぶん」とつぶやいた。彼の説明によると、ケツはチベットではプルパと呼ばれ、祈祷をするときに俗世と結界を作るために地面に突き刺す剣のようなものであるらしい。「分かり易く言うたら、うちの真言密教では『独鈷杵』に近い働きをするちゃうかな」と。…一体なにがどう「分かりやすい」のかよく分からんが、ともかく彼は、その日チベット展で購入したミニチュアを買ってきてくれていた(下写真参考)。



「そうや!ケツを入れようぜ、俺らの本のおまけとして!」「それは、話題になるわな!俺らの本読むときは、結界作って読みましょう、言うてな。熱心な読者のためにはビデオなんか作って、ホームシアターっぽく地獄を楽しむなんてのもお茶目とちゃうか?」

そんなことを大真面目で考えていくのが、地獄の友人たち。ほんとに、そんな時代がきまっせ。だってこの前、わたくしアウトドア雑誌『ビーパル』買いましたら、付いていたんですよ、アレが!組み立て式のおまけ。なんと、亀でっせ!うぉう!まさか亀観音さま!?…それはまずないわな。葉っぱみたいに保護色になるのだそうだが、これがまた気色悪い。エコロジーとか意識して作った付録なんだろうけど、長生きしまっせ、のほうがストレートでお守りになったのに残念。今度はわしらに言いや!まったくセンセないんやから。

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