隠元をめぐる旅@長崎(2017年3月・長崎市・崇福寺、福済禅寺)

坂の多い町である。
油断していると、目的地にたどり着けない。
 
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地図で見ると、すぐそこなのに…。
 
周りに人がいないので、坂の注目にひっそりある質屋で道を聞くと、「そこをまわって下に落ちていくと、すぐ正面」と丁寧に教えてくれた。
職業差別ではないが、勝手が違って驚いた。
実に親切な対応で、長崎初心者にお勧めの店まで教えてくれ、こちらが恐縮してしまった。
 
それにしても、なによりうれしいのが、寺が多いことだ。
それが都会にあるひっそりと、『よそもんは入るな』と世間と断絶した感じではなく、
『よってらっしゃい』てな感じで存在している。
そして、おのおのが個性豊かで、それぞれに味わいがある。いわば坂と寺の町といえよう。
ホントいい町である。
坂は、年配の方にはきつかろうが、そこを登ると、眼下には美しい町並みと海が見える。
江戸時代の鎖国政策の中、幕府は長崎だけに中国とオランダとの貿易を許したことは知っての通りである。
そのため、長崎はその時代、日本で唯一外国人が往来する特異な場所だったのである。
寺にその面影がありありと残る。長崎には、唐寺と呼ばれる寺がある。
日本で生活する商人が、お墓などの必要から僧侶を呼び寄せ、開基した。
屋根の反りやお堂の仏像や意匠が、明らかに日本の寺とは異なる。
 
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始めに崇福寺を訪れた。
門構えからして、中国建築である。建物も当然違う。
 
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内陣のきらびやかな武将の像を見れば、唐寺であることが了解できる。
福建省出身の商人の寄進で作られた寺は、中国風寺院としては、日本最古という。
ただ、黄檗宗という禅宗の一派だからか、観光寺の割には、観光案内を手助けしてくれるものは何もない。
 
「考えるな、ただ感じろ!」
 
ブルース・リーのようになれ、ということか。
そうだとしても、見ているだけで余韻を感じられる異国情緒がそこにある。
境内にはただ一人。小雨の中、極彩色の建築群にただただ圧倒されていた。
 
だがそこに、案内人が現われた。
土産物屋の揚おばさんである。
名前から察しがつくが、祖先は中国大陸の方という。
中華街でよく見かける『福』の字を逆さにする紙を眺めていると、なぜか俳優・福山雅治の話をしてくれた。
 
「あのとき、それはよく売れたのよ」
 
説明しておくと、この『福』を逆さにする張り紙は、中国や台湾の縁起物。到(来る)と倒(逆さにする)の発音が同じことから、『福』を逆さにすると『福』が来るという意味になるという洒落です。
こんなものが以前は、売れに売れたというのである。
 
「福山君が大河ドラマ『龍馬伝』で出てたとき、ここに撮影に来て、それを知ったファンが殺到したのよ。『そこのトイレを使ったよ』って女の子に教えてあげたら、ワーキャー言って、写真を撮ってたんだから」
 
なんでも、『福山』が来るというのも縁起がよかったのかも、とも補足してくれた。こりゃおもろい。ただ史実としては、ここを坂本龍馬が訪れて、ランタンのもと踊ったという事実はなかったそうな。
 
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長崎屈指の観光スポットを何としても全国ネットで、という大人の事情があったのでしょう。先ほど書いたが、このおばさんは華僑である。
先祖のお墓が、寺の上にあるという。
つまり山の上の方。しかも結構きつい坂の上。
 
「長崎は坂ばかりで土地がないから、上の方をお墓にしたんだよ」
 
なるほど、住宅地は下手にあり、寺が並ぶのは中腹。
そして、上に進むと墓でぎっしりと埋め尽くされている。
だが長崎の墓は、居士名がピカピカの金色で書かれており、暗さがない。
 
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しかも、海がすがすがしく広がる。
 
「こんなとこに住めたらなぁ」
 
そう思うのは土地以外のものだけだそうで、長崎ならではの事情もあるという。
 
「若いもんは、みんな車に乗るから、下の方に住みたがる。だから、年寄りが死ぬと、上の方の家はどんどん空き家になっていって…」
 
京都の町屋と同じ問題を抱えていたのである。
話は揚おばさんのことに戻るが、このおばさんなかなか勉強家なのである。
私みたいな知りたがりへの対応策なのか、寺の歴史を箇条書きにした単語帳もどきをめくり、
丁寧に説明してくれる。もちろん、福山ファンにも教えてあげたに違いない。
 
「おばさん、ここみたいに面白い寺はないかな?」
 
訪ねると、揚おばさんは古びた古文書のような単語帳を広げて、「ここはどうじゃ」と教えてくれた。
 
「昔は長崎駅から観音さまが見えただけど、今では見えん」
 
一端坂を下り、歩くこと30分たらずで目指す福済禅寺にたどり着いた。
これまた華僑のために作られた寺で、崇福寺と同じ黄檗宗である。
黄檗宗とは、江戸時代に中国から来た隠元により作られた宗派である。
ただ呼び名が黄檗宗になったのは明治以後で、はじめは臨済宗黄檗派と言われていた。
簡単に説明すると、中国・明の時代の厳格な禅である。
当時は、日本仏教界は、江戸幕府に手なずけられており、隠元は堕落した宗教界に変革を促したとされる。なにより度肝を抜かれるのが、本堂の上に立つ観音様だ。
白亜の立像が、亀の上にすらっと立たれている。
 
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前のめりなのがいい。実はこの建物は、戦後のものである。
そう、原子爆弾により、お寺は跡形もなく破壊された。
ちなみにほかのお寺もこのような有様だった。
 
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爆風を耐え抜いた石灯籠が資料館の近くに移築されていた。
 
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そして、原子爆弾の犠牲者追悼のため、1979年にこの観音様が完成した。
たまたま本堂を掃除されていたご住職にうかがうと、「この本堂は昔国宝だったんですよ」と、壁にかかる大寺の絵画を指さした。
 
「こりゃ確かにデカイ…」
 
以前は、政財界の要人がこの寺に集ったという。勝海舟も坂本龍馬も逗留した。
 
飄々と説明されるご住職が、「あれも見て言ってください」とヒモが伸びた空間を指し示した。
これが摩訶不思議な物体。
大きな穴に糸が張られている。先っちょには、球体が。これは一体?
 
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「フーコーの振り子なんです」それって、なんのためのものでしたっけ?
説明書によれば、地球の自転を説明するためのもので、糸の長さ25メートルは世界3位とのこと。調べてみると、『当時は』という話で、今の日本最高は弘前大学に45メートルがあるという。
ちなみに世界一はロシアの寺院にある91メートルのものとか。
ただ、現在は故障中で動いていない。
 
「島津さん(製作されたのが島津製作所)はよ来て直してよ」と住職は苦笑い。
でも、なんでまたフーコーの振り子を?
 
「先代が作ったんですけど、永遠不滅の観音様と常に動いている地球との対比を示したかったんでしょう」
 
なるへそ、そういうことなのかと納得したが、そこで話は終わらなかった。
さらに興味深い話を聞かせてもらった。
黄檗宗にまつわるストーリーである。
 
「黄檗宗は、あまり馴染みのない宗派なんですけど、近年中国が(開祖の)隠元さんを評価し出して、注目されているんですよ」
 
こういうことだという。
中国の国家主席・習近平が、出身地・福建の偉人でもある隠元老師が日本に多大な貢献をした、とスピーチ。確かに、隠元さんはインゲン豆だけでなく、当時中国の先端技術を携えて来日した。
それが時を経て、福建人のアイデンティティに火をつけ、長崎の唐寺にも中国僧が押し寄せているという。
 
「京都に大本山の萬福寺がありますけど、あれの本家は福建にあります。今までは、日本から篤志家が細々と援助していたんですけど、向こうの資産家が一発で、建物を新築しちゃったそうです」
 
あとで、雑誌・ニューズウィークの電子版を読むと、その額たるやなんと40億円相当!
中国の金持ちには逆立ちしても勝てません。
この話なかなか興味深くないですか?
350年前に、隠元という高僧が来日。「3年で帰る」という老僧の約束にかかわらず、
日本サイドは「もうちょいおってよ」と手練手管の引き留め工作で、宇治に萬福寺を与えるなどして、居座らせた。そして、ちゃっかり当時アジア最高級だった中国文化を吸収した。
ときが流れ、隠元さんはおそらく忘れ去られていたんだと思う。
それがまた今度は、中国サイドからの再評価です。
あのとき、あんだけ引き留めてたくせに…。
これは文化交流の面からも、いろいろ考えるべき命題だと思う。
この時点では知るよしもなかったが、長崎をきっかけに、隠元さんを巡る旅は芳醇な奔流になっていく。
 
 
 
崇福寺
 長崎市加治屋町7-5
 長崎電鉄・正覚寺下から徒歩3分
 ☎095-823-2645
福済禅寺
   長崎市筑後町2-56
 JR長崎本線・長崎から徒歩7分
 ☎095-823-2663
 
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