何もない沖縄の寺(2016年2月・宜野湾市・神宮寺)

生命力がほとばしる真緑の植生
明らかに日本とは異なる南国風料理の味付け
国道から結界がなされる異様な米国基地、
刺激的な邂逅を暗示する土地、
それがヤマトンチュウー(本土人)にとっての沖縄である。
だが、しばらく沖縄にいると、その期待は幻想であることがわかってくる。
 
米国占領期に沖縄を訪れた大芸術家・岡本太郎も『忘れられた日本』のなかで、沖縄の聖地・久高島の御獄(礼拝所)を訪れ、こう感想を述べている。
 
「礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森のちょっとした何もない空地。その何もないということの素晴らしさに私は驚愕した」
 
一番の聖地でさえ何もないのである。
ドデカい水族館やショッピングセンターはあるが、
それは沖縄にあったものではない。
首里城にしても戦後に再建されたモノである。
寺とても同じである。
戦火ですべてが灰燼に帰したという悲しい過去もある。
だが、そんなことで「何もない」とは言っていないのだ。
 
米軍の普天間基地に隣接する神宮寺を訪れた。
当然こちらも沖縄戦で焼失し、1953年の再建である。
普天間宮の隣にあり、立派な本堂もある。
本尊は、観音様で宗派は東寺真言宗とある。
 
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風体はお寺でも、本土でいうところのお寺とはちと違う。
ご本尊の横に台がある。これは沖縄のお寺にはよくあるのだそうだ。
 
「ビンシーを置く台なんですよ。沖縄独特のお供え物をする箱を台に乗せて、ユタ(霊媒師)さんが拝み(祈り)をするんです」
 
寺僧さんが丁寧に教えてくれた。
お寺なんだけど、行われているのは、沖縄土着の先祖崇拝や神様に対する信仰。
誰もがお釈迦さまに祈っているわけではない。
本土からすると、不思議な感じがするが、考えてみれば、仏教なんてモノは沖縄の人にとっては、最近流れてきたもので、庶民にとっては縁遠いモノ。だから、お寺など街の辻つじにある土着の礼拝所のしゃちほこばったやつぐらいにしか考えていない。
だから、寺でなくてもよかった。そこまで仏教がデカイ顔をしていない。いやできない。本土が思う仏教はないのである。寺僧さんがさらに教えてくれた。
 
「本土みたいに、檀家という発想は薄いですね。すぐお寺を変えたり、沖縄の人はしますしね」
 
言われてみれば、沖縄の人は亀甲墓という一族全部の骨壺が収容できる巨大墓に埋葬される(庶民に亀甲墓が許されるのは、明治になってかららしい)。それゆえ、寺と墓という主従関係は希薄にならざるを得ない。
こんな調子だから、沖縄の寺に本土のような、歴史的な建造物や仏像を期待してもそんなものは存在しない。そこには、純粋な沖縄の信仰があるだけだ。
だが、それこそが沖縄を沖縄たらしめる「何もない何か」なのである。
パワースポットという言葉はあまり好きではないが、それが意味する土地は沖縄のあちらこちらで発見することができる。まず生命力あふれる木々。「すげぇな」と思い、近づくとたいがいにちっぱけな石で組まれた粗末な祠があり、線香が捧げられた跡がうかがえる。礼拝所(うがんじょ)である。
本土のお地蔵さんに近いが、もっと素朴で原初的で、形式的なものでない生命と直結した信仰である。
失礼な話だが、寺よりローカルな礼拝所の方が、神聖な気がしてくる。
 
もう一つの寺院訪問も多くのことを考えさせられた。
那覇の新都心にあり、入り組んだ住宅地の坂を上っていったところに、
日蓮宗の法華経寺がある。
偉そうに書くが、同行した方が道に迷い出くわした寺である。
これも仏縁かとも…。立派なお堂である。
1981年に建てられたというから、まだ新しい。
 
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近くには大型ショッピングセンターが建ち並ぶが、ここは沖縄戦でシュガーローフと呼ばれた最大の激戦地である。日米一進一退の攻防が1週間にわたり続けられ、米軍は2662人の死傷者を出したという。戦後すぐは一面焼け野原。
 
そんな因縁の地に寺院が建てられている。
本堂脇には、団扇太鼓がある。日蓮宗の証しである。
これを叩きながら、門徒は南無妙法華経と唱える。
 
「この太鼓を叩きながら、ひめゆりの塔まで行進したんです」お寺の方が親切に説明してくれた。沖縄慰霊行脚と題して、日蓮宗の方が、糸満からひめゆりの塔まで題目を唱えながら、平和を祈りつつ行脚するのだという。
 
話は少しそれるが、日蓮宗の活動は過激である。
この行脚のように、活動が目に見える。
1970年代の公害が社会問題になったとき、
「公害企業呪殺祈祷僧団」なる組織が日蓮宗僧侶で起こされ、四日市ぜんそくが発症していた三重・四日市などで、公害企業の経営者に呪いをかけていた。
昔の話だと笑うなかれ。先日も、戦争法案反対、安倍内閣退陣、原発再稼働阻止を掲げて、「呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)」が組織された。
日蓮宗はこちらの組織との関係を否定している模様だが、この過激なパフォーマンスは日蓮の激情的な信仰を源にしているのは間違いない。
 
話を戻すと、この寺院は慰霊行脚からわかるように、沖縄に特化させた性質をもっている。本土から参加者も募り、日本で唯一凄惨な地上戦が行われた沖縄で命の尊さを伝えている。
これはこれでありだと思う。
私も何回も沖縄を訪れるが、戦争がリアルに迫ってくるまでには時間を要した。
「ひめゆりの塔」を訪れる人は数多いるだろうが、沖縄の住民が無抵抗のうちに軍隊に組み込まれ、皇民化教育により肉親同士が殺し合う集団自決まで経験したという経緯に行き着く人は少ない。
子どものうちに、修学旅行で判で押したような歴史教育で眠い目をこすり、次に子供らと観光で訪れたときには、ちゅら海水族館などのリゾート地にしか足は向いていないだろう。沖縄で戦地めぐりをするのは、元軍人かよほどの変わり者だろう。そんなおろかな本土人にも、沖縄の人は優しかったりする。
 
ただ先の太郎はこうも言っておる。
「沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである」
厳しくも、温かくもある卓見であろう。
 
思い上がるなヤマトンチュウーよ!
そう、沖縄の人は見ておるぞ。
沖縄に散った霊も見ておるぞ。
 
これが「何もない何か」の正体ゾ!
 
 
神宮寺
 沖縄県宜野湾市普天間1-27-11
 ☎098-892-3335
 
法華経寺
 沖縄県那覇市安里3-16-1
 ☎098-862-3741
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