南無阿弥陀仏をたどる旅(2009年9月)

南無阿弥陀仏。
誰もが耳にした事のある念仏である。
それでいて縁遠い。不思議な言葉である。
今回は、私がこの六文字に導かれた軌跡を綴る。
 
「南無阿弥陀仏」とは法然が開いた浄土教の念仏である。
極めて簡単に説明すれば、この六文字を唱えると、誰もが西方浄土にいる阿弥陀如来が救ってくれるという有難い呪文である。
 
その六文字に救われた青年がいた。
 
1921年8月。場所は山口県の大島郡という寒村の山里深くに立つお寺である。名前は西連寺という。
 
青年の名は、山本幹夫という。
「何のために人間は生きているのだろう?」と哲学の根本命題に頭を痛めた松山高校の若者は、「この悩みが解決しなければ、命絶っても…」という決死の覚悟で、山門をくぐった。
 
この青年が後の空外上人となるお方である。
空外上人いついては、拙文「不思議なこともある」を参照されたし。
 
私がこの山寺を訪ねたのも8月だった。
正面ではなく、裏道から失礼したのだが、雨上がりの里山は、薄い霧で覆われており、少し感傷的な気分にもなる。
それは、一人の青年を癒す温かさをたたえた風景だった。
 
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山本青年は、当時の住職に念仏三昧の教えを受け、木魚をたたたきながら、「南無阿弥陀仏」と唱え続けたという。
そして、三日目の晩に、まさに「闇」が明けたのである。
 
「空外の生涯と思想」(龍 飛水編)にこうある。
 
「一命をいただいた喜びの中に山門を立ち出る足の軽さは、入山のときの心の重さにくらべて、まさに正反対であった」
 
つまり、念仏のおかげで、自分の進むべき道を発見したのである。そんなお寺に私は立っている。
 
お盆に関らず、対応していただいた現住職は、
「建物も当時とは違って、新しくなって、空外先生について知るものは、いただいた書(これはこれですごいものだが…)以外はなくてねぇ…」と首を傾けた。
 
「ただ、空外先生が『鉛が足に付いていたような足取り」で登り、『羽が生えたような軽やかな気分』で降りた道というのが、下に伸びる参道ですよ」
 
何の変哲もない田舎道だが、青年の生死を決した道と聞くと、感慨深い。仰ぎ見ると、近代化された寺が山に張り付いていた。
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去り際に、「空外先生のことをお知りになりたいなら、広島の多聞院に行くといい」と住職は親切に教えてくださった。「あなたが、空外先生に興味を持ったのも何かの縁。行かれるといい」。
 
愚鈍には、わからぬ。なぜ、空外上人に魅かれたのか?
ただ、「縁」という言葉に魅かれた。
 
9月に入り、広島市内の比治山を訪れた。
比治山は市街のど真ん中にある小高い山である。
東側からはいると、「ここが中心地からすぐのところか?」と思うほどに、うっそうとした緑に覆われている。
山を越えて、西側の市電が見える裾野に多門院がある。
 
ん、多門院って名前からして、真言宗でないか?
空外先生は、浄土教だし、ホントにここでいいのかな。
 
住職を訪ねて、寺務所の扉を開けると、
「念仏堂でお勤めをしてるんですよ。すぐに呼んできましょう」
本堂の右手に、コンクリート造りの新しそうなお堂がある。
しばらくすると、人のよさそうな老人が姿を現した。
 
「ま、こんなところでなんですが…」
 
待合室のようなところで、お茶とお菓子をいただいて、
お話となった。
 
「いきなりですが、このお寺は真言宗のようですが、何で浄土教の空外先生なんですか?」
 
目を細めるように、住職は切り出した。
「あの方は、宗派とかを越えた方だった。一念に念仏を唱えるというあの姿勢に共感した。あれは、長野で行われた念仏の会だった。そこで、この方に説法をしていただこうと、お願いしたのが、空外先生とのご縁の始まりでした」
 
それからご住職は、このお寺で念仏を続けられれている。
信念の通り、空外先生の教えは、宗派を超えて今も息づいている。
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