ピンクレディーが裏切り者?!(2013年6月・静岡市・宝台院)

急須の使い方を知らない子どもが増えているという。
ただ嘆くほどのことではあるまい。
時代が進めば、「お茶くみ女」とかの蔑称もなくなるかもしれないし、彼らはスマートフォンの使い方は完全に熟知している。
「今の子ども」はあるところでは、「昔の大人」を確実に凌駕している。だって、急須とスマホなら、絶対スマホの方が扱いにくい。
 
ゴホン、今回はお茶にまつわる話から入らせていただく。
 
前回は、博多の名僧として聖一国師こと円爾について触れた。
博多の承天寺を創建し、うどんとそばと饅頭を伝えた御仁である。お茶を伝えたのは栄西だが、お茶の本場である静岡に伝えたのは、この円爾なのである。
 
彼の生まれは、駿河国で、今で言う静岡市である。勉学を積んだ円爾は、宋に渡り、大量の書物とともに、お茶の実を持ち帰り、それを故郷でも植えたとされている。
今では、静岡の市街地から北に行ったところの静岡市葵区平野というところに、円爾を静岡茶の祖として称える碑が建てられている。
ちなみに、京都の建仁寺には、栄西を称える茶碑があるという。何度も訪れていたが、知らんかった…。
 
友人を訪ねに、静岡に行ってきた。
なぜ、お茶の話をしたかというと、彼はお茶の卸会社で働いていた。そこで、一度行ってやろうと。
そして珍しいところを案内してもらいました。
 
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茶市場である。
 
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こんな風に、お茶を購入する業者のかたが、市場に集い、お茶を品定めし、値段を付けていくのである。
5月だったのだが、一番茶の取引はすでに終わったらしく、取引は控えめ。それでも市場は、お茶の芳醇な香りが充満していて、何ともすがすがしい心持ちになりました。
 
お茶といえば、静岡をイメージしますが、今では大規模にやる鹿児島もなかなかの生産量だと言います。全国茶生産連合会の平成23年調査によると、生産量の1位は断然で静岡県。33500トンです。次が23800トンの鹿児島になります。ちなみに、3位は京都ではなく、7345トンの三重県です。京都は2621トンで4位。だから生産量の多い鹿児島にも、茶市場があるそうです。ですが、友人は耳打ちするんです。
 
「静岡には鹿児島にはない情があるんですよ」
 
説明を聞いて、なるほどと思ったが、後日たまたまテレビを見ていたら、鹿児島の茶市場が映し出されていた。
そこでは、携帯端末を持ったおじさんが、希望額を打ち込み、それが最高値になれば即座に電光掲示板に表示される。
テレビでは「最新鋭の」みたいなことを言っていたが、静岡はそれを軽やかに否定する。
 
「静岡は取引は相対ですから、安くてもずっと買ってくれるから、どこどこさんに売ります、とかそんな情が入るんですよ。だから、小さなところでもずっとやってこられているというのもあるんじゃないですか」
 
この話って、案外身近でもありそうなことじゃないですかね。
市場を見学し終わって、彼がつとめるマルヒデ岩崎製茶さんにもお邪魔させてもらいました。
 
こちらの社長さんは、とにかく熱くて、お茶の話が止まらない。いろいろな企画もされていて、お茶の葉をブレンドする茶匠が選んだお茶をセレクトして世に問うたり、とにかく発想力がすごいんです。もちろん、入れてもらったお茶も濃厚で、甘くてこんなの飲んだことないぐらいおいしかったぁ。
 
トークで秀逸だったのは、ピンクレディーの話でした。
 
知らなかったですが、彼女らの出身は、このお茶の聖地でもある静岡市。まあ、お茶の国、待望のスターだったわけですが、「そりゃないやろ」というインタビューがあったというのです。
 
リポーター:どのようにすれば、そんなに細い体型を保てるんですか?
ピンクレディー:ウーロン茶をいつも飲んでます!
 
これがきっかけで、ウーロン茶がレディーを中心に馬鹿売れしたそうです。もちろん悪気はなかったでしょうが、地元のヒロインが、何とも皮肉な…。
 
ただ、そんなことで黙っているお茶の国の人ではありません。ドイツで商戦を開拓したりとか、いろいろやっているそうです。がんばれ、静岡茶!
 
ブログも面白いですよ。
 
とまあ、静岡お茶紀行であったのですが、その前にお寺も訪ねて参りました。JR静岡駅から歩いてちょっとのところに、宝台院という浄土宗のお寺があります。
 
ここは、前から行きたかったんですよね。
「戦国武将が愛した伝説の仏像たち」という本で、このお寺の存在を知りました。
ここは、1507年に作られ、1589年に徳川家康の側室で2代将軍・秀忠の生母が葬られたことで、西郷の局の菩提寺となりました。
そこに快慶が彫った阿弥陀如来さんが、おられるのです。
 
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お寺っぽくないですが、1940年の静岡大火災と45年の静岡空襲で元の堂宇は全焼してしまったといいます。
建物に入ると、これがホントに間近に快慶仏を拝めるんです。
金箔が残り、優しげなお顔をした秀仏は、白本尊と呼ばれています。というのは、黒本尊というのが、東京の増上寺にもあるんです。家康は、戦場にこの2体の仏像を持ち出し、戦勝を祈願したと言います。そう思えば、修羅場をくぐり抜けてきた威厳みたいなものも感じ、凜とした気持ちになります。
 
時代が、下って幕末になると、このお寺にある方が謹慎していたのです。徳川最後の将軍・慶喜です。幕府に恨みを持つ輩からの襲撃を回避するため、当時、このことは秘密のことであり、地元のひとにもほとんど知らされていなかったといいます。彼は、明治30年(1897年)に東京に移住するまでを静岡で過ごしました(その間、引っ越しはしている)。
 
謹慎といっても、元将軍ですからお連れもいました。ましてや旧幕臣は、明治時代に入り、いきなり職を失ったため、慶喜とともに静岡に移住した人も大勢いたと言います。
 
ただ彼らの食い扶持がなかった…。
 
そこで勝海舟らが目を付けたのが、そのころ輸出品として注目されだしたお茶だったのです。
 
幕府領だった静岡の牧之原を譲り受け、お茶畑にしていったのです。とはいえ、当時は不毛の地。刀を持って、すましていた人間が、いきなり鍬を手に、土地を耕すのは並大抵のことではなかったでしょう。でも時代は変わった。背に腹は代えられない。多数の離脱者を出しながら、開墾は進み、牧之原は、荒茶(茶の葉を乾燥させ、製茶する前の段階)の生産量全国一として知られるお茶処に変貌を遂げたのです。
 
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お寺の話は、ちょっぴりでしたが、お茶の歴史って、なかなかのものだと思いません?
そう考えたら、ペットボトルでグイッとやるのでなく、茶葉を急須に入れて、お湯を注ぎながら、お茶を楽しむのも味わい深いかなと。
 
宝台院
 静岡市葵区常盤町2-13-2
 JR静岡駅北口から約10分
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