MONK in 星野村

星野村。

いささかロマンチックな響きだが、そこに至るまでの道のりはたやすくない。

新神戸から博多に向かい、そこからつばめという豪華列車に乗り換える。
羽犬塚という駅で降車。ここまで約3時間。


戦国時代に、秀吉の軍を撃退した(助けたという説も)という羽のはえた伝説の犬がお迎えしてくれる。



こんな像が、町じゅういたるところにある。
だが、わたしはこの手の話に触れると、四国などでよく聞く「犬神さま」の話を思い出す。
ともあれ、羽犬さま、われらの旅を守ってくだされぇ。

ここは福岡県八女市というところだが、星野村はここからまだタクシーで40分という。

「キャンプのシーズンは終わったし、なにしに星野村に行くの?」

運転手の質問はまっとうだろう。
帰省に12月15日はちと早い。
こんな寒村に向かうまれびとは、怪しい以外、何物でもない。

「原爆の火」を採りに行くんですよ。
「聞いたことなかよ」

地元の人でもそうなのか。

われわれ寺好きが立ち上げたMONKフォーラムは、お寺を中心とした街づくりを掲げていた。
だが、みな仕事もおのおの忙しくなり、ここ5年ばかりは開店休業状態だった。
だが、このブログの前の回で紹介した僧侶が壮大な行脚を行う『GATE』という映画に心砕かれ、「これをお寺で上映したれ!」と思い到った。

とはいえ、上映会だけでは能がない。
ネットをまさぐっていると、映画にも登場する「原爆の火」というものが、福岡の星野村で管理されているという。さらに調べると、この火を使ったキャンドルナイトを行う方々がいるとある。上映会と「原爆の火」を使ったキャンドルナイトがお寺でできないものか。

妄想が一人歩きし、さっそく、連絡をとった。

この方こそ、かずねえことキャンドルマスター。
今回の旅のコーディネーター。

連絡はメールと電話のみ。当然、当日が初対面となった。
(大遅刻してしまったのが面目ない)

小柄で元気良さそうなアネゴが、快く迎えてくれた。
嫌味な顔一つみせず…。

あとで、このかずねえがとてつもないお方だと知る。

4時間の旅路の末、たどり着いた役所から、役場の方のデラックスカーの先導のもと、「原爆の火」がある平和の塔に向かう。



普段はべーべキューなどが行われているキャンプ場なのだが、さすがに12月に人の姿はない。
目指すは、映画にも出てきたここだ!



三角の頂点に広島に投下された原爆の火から燃え続けている「原爆の火」があります。



結構大変な作業なんです。
これを白金カイロに移して、種火の状態で持ち帰ります。
ちなみに、この火には、常時ガスが送られて、総務課でこれを管理しているのだそうです。
ご苦労様です。

さて、一行はかずねえの導きで、この「原爆の火」をこの村に持ち帰った山本達雄さんの息子さんの拓道さん宅に向かいました。

美しい棚田を通っていくのですが、ここ星野村は「日本で最も美しい村」の一つに認定されています。http://www.utsukushii-mura.jp/hoshino-index

拓道さんは陶芸家です。話の筋からいえば、「原爆に火」について聞くのが、いいのでしょうが、わが妻は興味を持ったら一直線。

「この焼き物はどのような特徴があるのですか?」と切り出した。
いきなりの変化球だったが、主人は眼を細めながら話してくれた。

「星野焼というのは、珍しい焼き物で、銘が入っているんですよ」

みると、星野焼の流麗な文字が、陶器の首に描かれている。
驚くことじゃないやんけ、というなかれ。
焼き物に個人の銘が入るようになったのは、ごく最近のことで、昔の時代に陶工が銘を入れるなんてことは、滅相もないことで、ときにその行為は、死をも意味したらしい。
変な話、「陶工の分際で」という時代だったんでしょう。

そういう意味で、昔の星野焼は無名ながら、マニアックなファンがいるらしい。確かに古い信楽焼でも、誰が作ったなんて彫ってあるのは、あんまり記憶にないものね。

「こんな話はめったにしないんだが、実はこっちの話の方が、ときにしたくなるんよ」

好好爺の興が乗ってきたとみえる。
さらに面白い話が続いた。

「昔の焼き物の技術は門外不出。持ち出せば死罪。その技術を盗むために旅人を装って、娘と結婚。何年もかけて、その秘法を盗んで、トンズラする輩もいたという」

まさに小説の世界ですな。

「でもだからこそ、そこでしかできない焼き物ができたんよ。水も土もそこのものしか使えない。だから個性が出たんよ。今はどこの土でも2日もすれば調達できる。でもそれによって、どこでも似たような形のものしかできなくなったのよ」

確かに、それは焼き物以外の世界でもいえる。
文明の利器が発展すればするほど、個性が発露される場は、少なくなるといえる。
昔のように、一子相伝とかなら、もっと個性的なこどもができるんだろうな。

このひとは無茶苦茶おもしろい!

「ところで何で陶芸を始められたんですか?」
「実をいうと、わたしは坊主になるはずだったんよ」

ん?

聞けば、面白い話である。
僧侶になろうと、関東方面のお寺で修行をされていたそうです。
だけど、仏道にも少し嫌気がさしていたときに、師匠さんから「陶芸も仏道に通じるところがある」と勧められたことがきっかけで、ミイラ取りがミイラに。気がつけば、窯を持つようになっていたということです。



なかなかの滋味である。

話は脱線というか、脱線しかしていなかったわけだが、ようやく本題へ。

拓道さんの父は、なぜこの「原爆の火」を持ち帰ってきたのか?
父は広島で成功したおじさんにかわいがってもらっていたのだという。そんなおじさんが、原爆で焼き尽くされた。跡形もなく…。
そこで星野村のおばあちゃんに、持って帰るものがなく、仕方なしに「原爆の火」を持ち帰ったのだという。

これにはこんな話も添えられる。

父は、広島の兵隊で、「その日」は広島へ行かなければならなかったのだという。だが、その日に限って、後輩が起こし損ねて、遅刻してしまった。後輩を怒り倒したというが、その結果が生き延びることにつながった。

「いうなれば天命ですね。僕も広島にいたことがあるのですが、そこで知ったお坊さんも列車に乗り遅れたことで、助かり、その経験から出家されたんですよ」

拓道さんが身を乗り出してきた。
「空外さんじゃないですか?」

...え?

「この窯は『錠光窯』というんですが、その窯の名前をつけてくれた方が空外和尚なんですよ」

絶句した。何たる奇縁…。失礼だが、こんな福岡の寒村で、空外先生の名前を聞くとは…。正直、広島でもその名前を人前でしたことはなかったのに。

聞けば、拓道さんの妻の母が空外先生と縁があり、「娘の夫が窯を開く」と伝えると「じゃあ、私が名前を差し上げましょう」ということになったのだという。その時は、彼が「原爆に火」を守っている息子とは全く知らなかったのだという。

そんなこともあるんかいなだが、私にとってもそんなことあるんかいなの世界である。縁とはこういうものなのだろう。

正直、この忙しい中、「何で福岡まで…」と思っていたのだが、ここに来た意味がわかった。

実は、このお寺を訪れてから、わたしは空外先生の軌跡をめぐってきた。空外先生は、もともと高名な哲学者で当時はフランスのサルトルも絶賛。書家としても知られ、レーガン大統領がその書をほしがったという。(これに対し、当時の首相は空外先生のことをしらなかったという)。

出家してからは、念仏業者として、各地を行脚。知る人ぞ知るの僧侶となった。そんな軌跡をたどりたい。私は山口県の西蓮寺、広島の多聞院を訪れ、先生の話をうかがった。
(参照: 安芸吉田の清住寺と山本空外老師(2009年8月)

それから2年がたち、星野村で空外先生にたどり着いた。
拓道さんうれしそうだった。

「めったに写真は撮らんのじゃが…」とカメラにも収まってくれた。

奇縁に蹴倒されたが、拓道さんの言葉も重く胸に残った。

「父にとって、はじめこの火はおじさんを殺した『憎しみの火』だったと思います」

父は家族にその火のことを一切話さず、夏の日もかまどの火を守り続けたのだという。その思いが今も星野村で燃え続けている。重い火だと思う。縁というものは、本人が思わぬ方向に、突き進んでいくこともある…。

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