さかい、堺、Sakai!~南宗寺など(2010年6月)

他県民からみて、大阪というところは、「やくざ」「たこ焼き」「芸人」といった単一的なイメージをお持ちであろうが、地元の民にとっては一枚岩ではない。
ましてや北部に住む人間にとっては、難波以南は異国ですらある。

以前から興味を引きつけてやまない街が大阪の南にあった。
それが堺である。
仁徳天皇陵があるのは、日本国民が知ろうとも、実際そこを訪れた人は多くあるまい。(私は高校生のとき、昔あった高校生クイズの関西予選で行った記憶だけあるが…)
大阪市のすぐ下に位置するが、北に住む大阪人にとっては、仕事でもないかぎり、何の用もないところであることは、他県民と同じである。
 
だが、ようやくその未知の扉に手をかけるときが来た。
何のことはないのだが、高校時代の連れ…「地獄記」の「醍醐寺」でも登場した瀧之坊である(参照はこちら空石による紀行文)…が堺に引っ越してきたのだ。
 
「堺に何しにくるん? 難波でもええのに」
 
それはまっとうな問いかけであるが、こちとらこの機会を逃すと、一生堺に縁がなくなる気がしたので必死である。
現に、知り合いの記者が堺支局に勤務していたが、「来てください」という段になって、転勤になってしまった。
堺行きとは「友人を訪ねる」という動機を借りなければ、達成されないほど、容易ならざることなのである。

関西人として、堺ぐらい知らんのもどうよ? という感覚もある。
中世は日本で唯一南蛮人が跋扈し、日本文化の神髄を打ち立てた千利休を排出した街だ。近いだけに、堺を知らんというのは、教養人の名折れという気もする。
前置きが長くなったが、ついに時機を得た。
 
難波から南海電車で10分。堺駅に到着した。
びっくりしたのが、こんな駅(失礼)に観光案内所がある。
しかも、田舎の観光地が驚きそうなパンフレットがズラリ。
堺ってそんなに見るところがあったっけ?
手に取ると、つくりはご立派。
でも、いっぱいつくらんでも一冊にまとめてもいいやんとは感じた。銭はあるような気がした。さすが貿易で栄えただけのことはある。

さて、ボランティアのじいさまが、懇切丁寧な案内を始めた。
いっぱしの寺マニアとして、学習したものばかりだったが、それを無碍にするのも無粋というものだろうと拝聴した。ただ、昼飯を友と食らうための場所は求めた。

「有名なそばやがありますよ」
 
お礼をいって、友と堺の街に繰り出した。
堺というと、中世に栄えた文化都市のイメージだが、なかなかその面影を探すのは容易ではない。
東に出ると、すぐ海に出る。
対岸には、バブルのころのゴルフ場の風呂屋にありそうな女神の像が殺風景に屹立している。
入り江には、白い船が日に照らされて、乱反射している。
漁船ではなく、高そうないわゆるプレジャーボートばかりだ。
青い空と白い船。そして、昼寝するおやじの白い腹…。
リゾートしてるやんけ。



昔習った煙もくもくの工業地帯のダークなイメージが吹き飛んだ。

「こんなとこあるねんな。昔は海の近くにいたら、臭うぐらい汚い感じやったけどなぁ」

連れがいうのは、日本が第二次産業で急成長していた1970年代の公害垂れ流し時代か。
折しも、司馬遼太郎が『街道をゆく』でこのころのことを書いている。
 
「(前略)堺のほうはすっかり変わってしまった。私がわずか十五、六年前にみた環濠の一部などは、土手に泥柳が生え、水はどぶのように黒く、それでも往昔の堺の町をしのばせたが、それさえいまは埋めたてられて存在しないというのである」

とすれば、この晴れ晴れとした風景は、その反省の成果か。
かつての貿易都市に俄然興味が沸いてきた。
 
「堺の人はどういうたらいいかな。アメリカンな感じやな」

アメリカン? 米国で大学時代を過ごした男がいうのだから、そうなのだろう。つまり、開けっぴろげで、おおらかという意味か。
あまり考えず、享楽的。
中世の貿易都市の名残なのだろう。

堤防を歩いていくと、日本で2番目に古いという灯台につく。
今度は群青の海に、白い灯台。
なかなかの風情で、堺の絵はがき集をつくったら、仁徳天皇陵の次にエントリーしそうだ。堺は意外にも風光明媚でもあった。



道路を渡ると、大浜公園がある。
駅のボランティアのじいさまが教えてくれた。
「日本一低い山」があるという案内に後ろ髪を引かれた。
これも何かの縁…。
友人にはとんだ迷惑ではあろうが、ご足労願った。
なるほど、〝山道〟にはただし書きがある。



汗一つかかないで、登頂に成功した。
蘇鉄山というだけあり、山頂には蘇鉄がある。
幼子とのピクニックには格好の場所だろう。
 
さて、この大浜公園であるが、今ではママと子供の姿しかみえないが、昔は栄えていたようである。

看板によると、水族館まであったそうである。
この地は1895年に開かれたとある。
そして、1903年には水族館ができ、1913年には海水を沸かした潮湯なるものがあり、少女演劇もある一大歓楽地だったという。本当に、リゾート地だったわけだ。

盛時には、堺の市街地から鉄道まで通っていたというから驚きだ。
その姿は今はみじんもない。
そんな時代の移ろいを私は愛する。

わずかな残滓が、さきの女神像。
これはこの公園で第5回内国勧業博覧会が行われたときに、水族館の前に設置されていたものを平成11年に復元したのだという。

多くの人でにぎわったであろう公園も
1945年の堺大空襲のとき、被害を受け、衰退の途をたどった。
悲しきアメリカン…。

はてそれ、瀧之坊はこの愛すべき堺に複雑な思いを抱いているようであるが、深いところではつながっているようだ。

友の卒業校は、米国をはじめ世界の秀英が集うカリフォルニア大学バークレー校。世界ランキング上位常連校で、ノーベル賞学者を多数輩出し、シアトルマリナーズの会長・ハワード・リンカーン氏やソフトバンクの孫正義氏の出身校でもある。とにかく、東大以上のすげえ大学というわけだ。ちなみに、我らがMONKフォーラム共同創設者である円瓢もここ出身。と言うか、瀧之坊とは同時期にキャンパスで戦った「戦友」でもある。

そして、瀧之坊は「あの町が世界で一番住みやすい」というほど、でき愛している。
調べてみると、堺市はあのバークレー市と姉妹都市なのである。
何でも、1965年に大阪府立大の学生が堺市長の親書をもっていき、それが縁で交流が始まったのだという。1976年には堺市・バークレー協会なるものまで誕生している。

これは、なんぞの縁やで。

昼飯に、これまたボランティアのじいに教えてもらったそば屋に行く。店の名を「ちくま」という。
阪堺電車という路面電車の線路沿いにあるのだが、通り過ぎてしまったほどおとなしい店のつくり。

ブロックで囲まれた駐車場の奥に、木戸がみえる。
店の上は、巨大な鉄工所を思わせる奇っ怪な構造。
工業都市堺を老舗そば屋がアピールしているのだろうか。
薄暗い店の中は、なるほど老舗っぽい座敷になっている。
割烹着を着た店員が、温かいそばを運んできた。
この温かいというところが、このそば屋のウリである。
別段うまいとうなるものではないが、昼にビールを飲みながら、そばをすするのは格別である。
ちなみに、さきの「街道をゆく」をよむと、司馬遼太郎氏は、この店を雨の日に訪ねたが、
定休日で入れなかったと、残念な思いをつづっている。

腹ごしらえが終えたころ、妻が車で到着。
満を持して、南宗寺に向かった。
おそらく、堺を観光で来るならば、最初で最後の名所であろう。
ただ、HPで調べても魅力的な響きは一切ない。
だだっぴろい境内の奥に、入り口がある。



お金を払うと、「ガイドの人について行くといい」と黄色いカッパを着たおやじを指さした。
ボランティアとおぼしき人はお寺の見所をよどみなく説明してくれる。なるほど、これなら聞く価値はある。

お寺に入ると、枯山水がある。
周りの松の木を造園業者が手入れしている。
禅宗のお寺の持つ独特の小ぎれいさがほんのり、アピールされている。
黄色のカッパは「白砂が瀬戸内海をイメージさせています」と説明した。古田織部作というから、この業界では有名な庭のはずだ。
そもそも、この黄色カッパは何者だろうか?
彼らこそ、堺の街を紹介するボランティアで、駅前の案内所とあわせれば合点行くが、堺とは観光に力を入れている街なのである。

堺市のHPでこんなくだりを見つけた。

「堺は古い歴史と伝統を持ちながら、現在のところ観光誘致の点で大きな成果をあげるに至っていない。また関連業界、市民とも、その振興に対する意識が必ずしも高いとはいえない状況にあった」

これは平成18年4月の政令指定都市入りを意識してつくられた報告書だが、その意気込みに立脚して予算が割かれたのが、案内所であり、ボランティアなのだろう。

大浜公園以来の復権をもくろむが、意外に30年前に、堺に人が押し寄せる時期があった。
1978年に放映された大河ドラマ「黄金の日々」である。
堺の豪商、呂宋助左衛門の生涯を描いたもので、視聴率も好調。
昔の人は余程、勉強熱心と見えて、このドラマの名跡を訪ねようと、堺にこぞって押し寄せたらしい。当然、この南宗寺にも観光客は来た。

ただその結果は、火を見るより明らか。
あまりにも観光スポットもなく、地元民のアメリカンな態度に絶望して、観光客は堺と別れを果たしたのである。

そんな反省が少しは生かされているのだろう。
実は、南宗寺には、かの徳川家康の墓がある。
もちろん、伝説にすぎないのだろう。
大坂夏の陣で家康は、傷を負い、このお寺で埋葬されたというのである。だから、秀忠、家光の歴代将軍もここを訪れたのだ。
こんなエピソードを観光に役立てたいとも報告書にあった。

涙ぐましい努力だろうが、どこかズレている。
刃物ミュージアムも立派だが、われわれは料理人ではない。
まず、堺といえば、南蛮貿易と千利休のまちなのだ。

町中どこでも茶の湯がたてられていれば、千利休もお喜びだろう。ボートで川を巡るツアーもあったが、もっと南蛮船をイメージさせるべきだろう。「堺にはこんだけ冒険して、こんだけもうけた人がおまっせ」と豪商記念館があってもいい。

とにかく、きれいに収まらないでほしい。
もともとアメリカンな街なのだから。

最後に寺の文章なので、書いておく。

南宗寺の「八方にらみの龍」!
これは必見でっせ!



しかも写真撮り放題のサービスぶり。
堺より愛を込めて、でした。

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