火が踊る~お水取り(2011年3月・奈良市・東大寺)

聞いたことはあれども実はよく知らない。
そんなお寺の行事に行ってきた。

嫁の粋な計らい。
まだ底冷えのする奈良に向かった。



こいつらどこでめし食ってんだろう?

奈良県庁の職員によると、鹿苑という食事にありつけるところがあるのだそうだ。

知人が紹介してくれたというツアーは、
東大寺の「お水取り」を見ようというもの。
まずは、奈良国立博物館で学芸員から説明を受ける。

「お水取り」とは、二月堂から火天役がたいまつをかかげて、
参拝者が無病息災を祈って、火の粉を浴びるというもの。
舞台を焦がさんばかりの猛火は奈良の風物詩である。
ただイマイチよくわからなかった。
というより全然わかっていなかった。
スライド付きの説明を聞いて、目からウロコであった。

まず、この行事自体は、練行衆といわれる11人の僧侶により行われている。しかも、3月から始まる本行の前に、「別火」といわれる身を清めるための前行が2月20日から行われる。

そして、仏教行事ということからして、当然拝むべき対象がある。
これが十一面観音さんなのだが、これが「小観音」と「大観音」とあり、2体おられる。これが本業の前半と後半で入れ替わって、祈られるという。
なぜに? そこまではよくわからないらしい。

正式名「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるこの行事は、鎮護国家、五穀豊穣、万民快楽という超ビッグなお祈りをする。

そこはやはり東大寺だけある。

そもそもこの行事が始められたのは、驚くなかれ。752年の大仏開眼の年である。このときから1250年以上一度もこの行事が途絶えたことはないのだという。平氏に焼き討ちにされたときも、戦国時代の松永の兵火にかかったときも、江戸の火事のときも一度も法灯を消すことはなかった。こりゃすごいことですぜい。

これだけ続く宗教行事だから、いろいろな伝説に彩られている。
それが興味深い。

まずこれをはじめたのが実忠という僧侶。開山良弁の弟子である。
『二月堂縁起』によると、彼は山城の笠置山(南北朝時代に後醍醐天皇がこもったところ)の龍穴に入ると、それが天界に通じており、そこで菩薩たちが行うこの『十一面悔過』の行を見るのである。感激した彼は、「是非これを人間界でもやらしてくだされ」と頼み込む。

菩薩 「それは無理な話だっせ」
実忠 「いやそこを何とか」
菩薩 「いけず言うてるんとちゃうで。まず天上界の1日は人間界の400日になるよってに。そんだけの時間があるかいな」
実忠 「時間を短くするため、走ってそれをやります」

 * このため練行衆は走りながら行をつとめるとされる。

菩薩 「それと十一面さんをまつらなあかんねんけど、それは生身でないと具合が悪いんだす」
実忠 「何とかします」

人間界に帰った彼は、摂津の浪速津で補陀落山(観音さんが住むとされるところ)に向かって一心に勧請した。
すると、というか当然観音様が海から流れてこられたのである。
拾い上げると温かい。「これこそ生身の観音様ぞ!」と実忠は歓喜雀躍。これこそが「小観音」だ。

講座を受けたあとは、博物館でその名も「お水取り」という企画展を鑑賞。そこに、さきの話の絵巻がある。
勧請した実忠からは、天界に向けて、ウルトラマンもビックリのレーザービームが放たれている。これって、すごい想像力だ。
荒唐無稽なお話なのだが、補陀落山にお祈りするところなどからも、中世の聖らがストーリーテーラーぶりをいかんなく発揮した成果に思う。

閑話休題。昼食は東大寺の横の春日大社。そこで古式にのっとった? 食事をいただいた。出されたときは、少したまげた。



神様に供えるために、固めて盛っているのだそうです。

そもそも論として、なんで「お水取り」なの? というのはまっとうな問いかけであろう。
これもムチャおもろいお話がある。
行の中には「神名帳」を読み上げるところがある。
要は神様のお名前を奉読するのである。
これぞ、神仏習合の極み!

名前を呼び上げたが、ある神様の返事がない。その神様こそ若狭の遠敷(おにゅう)明神。釣りをしていて、遅刻したというのが、憎めない。彼はそのお詫びとして、若狭から奈良まで香水を提供しようと言う。それが二月堂の下にある若狭井である。

それ以来、その香水を観音さまにお供えすることが、行事に組み込まれている。ちなみに、源流?がある若狭でもその流れから「お水送り」という行事が行われている。

二月堂に向かう路は、整備されているとはいえ、土塀や入り組んだ小道など、いにしえの香を幾ばくか伝えてくれる。
5時ごろに二月堂に着いたが、もう人だかりである。
何でも1万人が火の粉を浴びに集まるという。
酔狂なひともいるものだ。

せっかく来たので、火を浴びるのもよいが、堂内に上がることにした。この道は松明が通るので、5時30分になると、ロープで仕切られ、8時過ぎまで降りることができなくなる。
遠方にみゆる堂宇の屋根が黒い固まりになり、いよいよ二月堂にも夜がやってくる。
灯籠に火が入れられ、辺りが静粛な気に包まれる。

そして、松明が堂下から上がってくる。
火の玉が漆黒の闇の中で踊っている。
建物の端で、一度松明を回転させると、火の粉が落ちて、下にいる参拝客からどよめきが起こる。
堂内では、よりコアな参拝客が内陣を囲んでいる。すだれがかかり、中の様子はうかがえない。
しかし、白いすだれのむこうで、陰だけが茫洋とうごめく。
甲高い沓(くつ)の音が厳粛にこだまする。



これは神聖といっていいのか…。
のぞいてはいけないものを見たという
いわばおどろおどろしさを禁じ得なかった。
なんせ1250年以上も続いてきた行事である。
その歴史が持つ厚みに圧倒されて、しばし立ちつくした。

いつも新聞の一面で見る華やかさだけでない。
その現場は実に宗教的な結界が幾重にも張り巡らされた
迷路にも似た異空間があった。

奈良の帰り道は暗い。
「お水取り」の水のことはわかったような気がした。
ではあの「火」は?
連れだった方は「練行衆の足元を照らす明かりだったらしいよ」という。
そうかもしれないが、そんなことではない。
あの「火」に感じる違和感…。
あれって、本当に大和の国の行事なのか?

ネットをたぐると、一つのヒントにぶち当たった。
実忠という僧侶だ。
この高僧は、インド出身とされている。
しかし、イラン学者の伊藤義教氏は「ペルシャ文化渡来考」の中で自説を展開している。

はしょっていうと、彼はペルシャゆかりの人物で、その行事で主役ともいえる演出をほどこす「火」は拝火教ともいわれるゾロアスター教からきているのではないかという。
また、練行衆が行う五体投地などは、明らかに日本発ではないはずだ。

もちろん、事実はわからない。だが、そうだとすれば私の違和感も解消される。「お水取り」のルーツがゾロアスター教にあるとは衝撃的な話である。

この説にインスピレーションを得た松本清張は「火の路」という長編ミステリーを執筆している。

この宗教行事の不思議なところは、仏教的な臭いがあまりしないところである。十一面観音をお祀りしているとはいえ、まとわりつくストーリーは、どれも非仏教的な臭いを醸している。
 
最後に、立ち読みした雑誌に載っていた写真家・入江泰吉の話を紹介したい。

彼はこの行事が世間の評判になる前から、カメラを向け続けてきた。そこである僧侶から戦争時のときの話を聞いたという。
1200年以上続けてきたとはいえ、空からは焼夷弾が降っている。そんな中で煌々と火を放って、半ば敵を威嚇するような行為をすべきか。中止を求める声もあったが、歴史を守ることを決断した。その意志は実に高貴であったといえる。

そんな情念でつながれてきた伝統。
それは、古来の日本のみが参加したものではない。
生み出されては、破壊されるというサイクルを是としてきた昨今において、幾千の人間に受け継がれてきた情念こそは、
畏怖しながらも守り続けねばならない。

 

まだ終わりません。続編に続きますよ。

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