気になる駅名:伝法~西念寺(2011年11月)

会社に向かうときには、阪神なんば線なるものを使う。尼崎で乗り換え、なんばへ。このとき、仏教好きには看過できない駅の名がアナウンスされる。

次はフク~福~。
そして、デンポウ~伝法~。

気になりながら、出社前とあって、降りることはなかった。

しかし、御利益がありそげな響きから、知られざる仏教の一大拠点があるに違いないと妄想していた。

そして、ようやく2年間の片思いの末、真相を調べる機会に恵まれた。



小さい駅ですわ。確かに線路沿いのすぐにお寺はありましたが、目指したのはここではない。

駅から西に高速を横切り、細い道をしばらく行くと、西念寺のこじんまりしながらも立派な山門が現れます。



なぜここを訪れたか?ちょっとした理由があったんです。

ホラ、この石碑。「本山元摩耶」とあるでしょ。そう、この摩耶とは神戸市灘区にある摩耶山の天上寺。



写真を撮っていると、住職と思わしき方が寺門から現れた。こんなご縁にはなぜか恵まれている。すかさず、お寺のことを聞いてみると、これがまあ、立て板に水の説明で。立ち話であっという間に10分が過ぎ、

「まあ、中も見ていって下さい」

ということで、小1時間も案内して頂いた。ここからは受け売りでございます。

まず「元摩耶」というのは、天上寺が昔? 西念寺の末寺であったということです。なぜかというと、ここを建てられたのが日本仏教創世記の偉人法道仙人。インドのお方です。

そのお方が、ここにたどり着いて、布教を行った。だから、「伝法」とあいなります。それが証拠に、堂内には、お厨子がありまして、ここに秘仏の観音様があるそうです。

中川住職は、「こちらが本物」とおっしゃられてました。
こういう話は、大好きです。

もう一つの興味に、うちの母親がずっと以前にいたシカンジマというところに住んでいた。それが漢字がわからんかった。で、地図を見ていると、偶然にわかった。

四貫島でした。

それが、ここのすぐ隣町にある。そんな話を切り出すと、さらに面白かった。

なんと、山門の向こうは、国道が東西に走るのだが、ここは昔、川だったそうで、備前橋という太鼓橋が、伝法川に掛かっていたそうな。それはごっつい橋で、江戸時代は商船が往来し、朝鮮通信史も立ち寄ったという。

いわば、文化のクロスロード。川に面した西念寺は、その名残で、舟寺と呼ばれ、今でも川施餓鬼という古くから伝わる法要を営んでいる。

当時は、見渡す限り境内で、小学校も敷地にあったそうだ。それが、淀川がよく氾濫するので、明治期に川を埋め立てた。さらに、こんどは北側にあった寺領が掘削され、新淀川となった。摂河泉の寺で、東の四天王寺、西の西念寺といわれた大寺が、今日のサイズになったのだという。

だから寺の北側は堤防で、その向こうは新淀川なんですよ。



そいでもって、堂内は立派でした。本尊は阿弥陀三尊さま。その左右にも仏さんが安置されています。彩色が施されていましたが、実に丁寧な仕事。

聞けば、輪島の塗り師の仕事だそうで、ざっと2000万円というから、頭がクラクラしました。

本尊の阿弥陀さんは、ずっしりとした量感。僕の大好きな運慶のつくりを彷彿とさせます。じっと見れば、右ほほにお傷が…。空襲のときのものか。

いやいや、室戸台風のときのものだそうです。そのときは、すごかったそうで、台座から1メートルの高さにある仏さんも被害に遭われたのだといいます。そりゃ、堤防が決壊するんやからなぁ。
 
昨今、水没したバンコクの惨状に「いつ水が引くんやろか?」と思っていましたが、水害って、日本でも意外につい最近までのできごとやったんですね。

とまあ、蕩々と住職のつもる話は続きました。でも、お互いタイムアップ。

ホントに、この駅で降りてよかったと思います。彼の地が仏教の一大拠点であったことも証明されたのでありました。

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